【コラム】日本の戦場ジャーナリストに明日はあるか?
新型コロナウイルス関連報道に隠れがちであるが、コロナ禍の中にある世界においても、残念ながら紛争や人権侵害は続いている。今月18日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が発表した報告によれば、2020年末の時点で紛争や迫害を逃れ、故郷を負われた人々は、の数は8240万人だという。これは、過去最大の数であり、イギリスやフランスの人口を優に越え、ドイツのそれに迫るものである。多くの難民や国内避難民を発生させている国々としては、シリアやベネズエラ、アフガニスタン、南スーダン、ミャンマー(ビルマ)などがあげられる。パレスチナ難民も、パレスチナ問題の長期化で避難先の国々で子孫が生まれていることから、その総数は約570万人にも膨れ上がっている。
紛争や人権侵害の実態を伝え、国際社会の中での日本の役割についての世論喚起を行う―そのための紛争地取材の重要性はますます高まっているものの、コロナ禍によって海外取材が困難であることを除外しても、日本人のジャーナリストが紛争地取材を行い、発信していくことは、いろいろな意味で難しくなってきている。筆者自身、イラク戦争の現地取材から始まり、主に中東での紛争地取材を行ってきたが、今後もそうした取材活動を続けていけるかは先行き不透明だ。本コラムでは、この間紛争地取材を行ってきた者として、あくまで個人の経験からではあるが、日本のジャーナリストと紛争地取材のこれまでと今後について現時点の見解をまとめていきたい。
◯ジャーナリストへの攻撃
極めて日本特有かつ皮肉な状況であるが、今日、日本のメディアにおいて紛争地取材について論議されることがあるとして、その中心的な話題は、紛争やその中での人権侵害のことではなく、現地取材を行うか否か、ということだ。取材において、現場に入ることは当たり前のことであり、いわばスタートの時点でのことで論議しなくてはいけないこと自体がナンセンスなのであるが、2004年のイラクでの日本人拘束事件以降、いわゆる「自己責任論」バッシングなど、日本では紛争地取材への政治的・社会的な圧力は、ますます顕著となってしまっている。
確かに、この間、日本人のジャーナリストが紛争地取材の中で幾度も危機的状況に陥り、命を落とすことも続いた。2004年には橋田信介さんと小川耕太郎さんがイラク中部マハムディヤで武装勢力に襲撃され、亡くなった。
2007年にはミャンマーで取材中であった長井健司さんがミャンマー国軍兵士から至近距離で銃撃され亡くなった。2012年にはシリア内戦を取材していた山本美香さんがシリア政府軍に銃撃され亡くなった。後藤健二さんは2015年、シリアでの取材中、過激派組織IS(いわゆる「イスラム国」)に誘拐され殺害されてしまった(遺体・遺品は現時点も日本に戻ってきていない)。これらの痛ましい犠牲には、紛争においてジャーナリストが狙いうちされる傾向が共通しているように、筆者には思える。実際、2018年11月2日、
アントニオ・グテーレス国連事務総長は、ジャーナリストへの犯罪不処罰をなくす国際デーに寄せたメッセージの中で、世界的にジャーナリストが危機的な状況にあると危機感を募らせている。
同メッセージの中でグテーレス事務総長は「私は各国政府と国際社会に対し、ジャーナリストを守り、その任務を全うするために必要な条件を整備するよう呼びかけます」「真実と正義を求め、一緒にジャーナリストを守っていこうではありませんか」と訴えた。
グテーレス国連事務総長のメッセージに対し、筆者も心から賛同する。ただ、日本人のジャーナリスト、とりわけ紛争地を取材するジャーナリストは、現地での危険をいかに掻い潜るかだけではなく、日本政府や社会からの圧力にもさらされている。確かに、これまでも、日本人ジャーナリストの紛争地取材に対し、日本政府は決して好意的ではなかった。
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