普通の人が普通に見に行って異様に面白い政治ドキュメンタリー映画「香川1区」
筆者は映画やドラマが好きでよく見るのだが、ドキュメンタリーは苦手だった。社会問題や権力批判をテーマにしたものが多く、大事なことを描いているのだろうが面白くはないしどこか上から目線。そんなイメージを持っていたからだ。
だが2020年、「さよならテレビ」「はりぼて」と立て続けに面白いドキュメンタリー映画に出会った。同じ年に話題になった「なぜ君は総理大臣になれないのか」(以降「なぜ君」)もその流れで見てこれがまた面白かった。小川淳也という野党の政治家を17年間追ったもので、その熱血ぶりに惹きつけられた。タイトル通り「こんなに頑張ってるのに、どこか浮かばれないのはなぜだろうなあ」という視点で日本の政治について考え込んでしまった。特に立憲民主党を支持しているわけではないのだが、小川氏には報われてほしいと感じた。
その続編が現在東京地区で先行公開中の「香川1区」だ。「なぜ君」に続いて小川淳也氏を追っている。これが前作に輪をかけて面白かった。選挙ドキュメンタリーらしく、政治の裏を暴く側面もある一方で、ふだんさほど政治に興味がなくても惹き込まれる何層もの魅力にあふれていた。いくつかのポイントに沿って紹介したい。
エキサイティングな選挙区のドラマチックな物語
続編と言いつつ前作と大きく違うのは、タイトル通り選挙区「香川1区」での選挙を昨年4月からの半年間に絞って描いていることだ。この選挙区は、そもそも自民党の大物政治家・平井卓也氏がいる。代々続く政治家一家の3世議員であり、平井家は香川県で圧倒的シェアを誇る四国新聞のオーナー一族。地盤は盤石だ。
そんな大物に対し、小川氏は2003年の初立候補以来、選挙区ではなかなか勝てなかった。2009年に民主党に吹いた大風で一度だけ勝った以外、比例でなんとか復活当選するのが常だった。だがじわじわ地力をつけてきてはいた。ひょっとしたら今回は、と注目の選挙区なのだ。
平井氏は昨年デジタル庁を立ち上げ初代デジタル大臣に就任して注目を集めた一方で、暴言問題が浮上し逆風が吹いていた。小川氏が優位になったかと期待が高まる。
ところが、10月に入ると維新からも町川順子氏が立候補を宣言。焦った小川氏は町川氏に立候補辞退を迫ってしまう。これがまた問題になり、批判された。
こうした様々な悶着が次々に出てくるのが面白い。中でも維新候補者への辞退要求についてはちょうど問題になった日に事務所にカメラがいて、小川氏を諭しに来た政治評論家に逆に食ってかかる場面が映しだされる。すぐさま反省した小川氏が電話で謝る場面もあり、見ていてハラハラしてしまった。
もちろん選挙の結果を私たちは知っている。小川氏が念願かない選挙区で勝利する。知っているのにハラハラするのが不思議だが、それくらい小川氏は危なっかしいキャラなのだ。
自分のような人がたくさん出てきて思いを語る
そんな風に小川氏が面白いのだが、この映画ではその周りの人々が描かれるのが大きな魅力になっている。奥さんや二人の娘さん、そして両親が心配しながら応援する姿。重要な地域・小豆島に選挙期間中住み込む政策秘書。自民党支持が当たり前な土地柄で複雑な思いを抱える地元の支持者たち。選挙事務所の空気を変えようと新しい手法で支援する女性たち。映画「なぜ君」を見て小川氏のファンになった県外の人々まで応援に来ている。
会社の都合、地域の人間関係とはまた別の、その人それぞれの思いがあり、それを小川氏に託しているのだ。小川氏を応援しているというより、小川氏の選挙を通じて自分の中にある思いを実現したくて集まってきている。
つまり、これはドキュメンタリーなのに群像劇になっているのだ。それぞれが抱える思いを描いておき、それが投票日当日の夜に一気に結実する。小川氏の念願がかなうだけでなく、それぞれが達成感に包まれる瞬間。勝つのがわかっていたのに胸が熱くなるのは、自分と同じような普通の人たちの達成感を共有するからだろう。そしてそれがフィクションのように映画的な感動を胸に湧き起こす。ノンフィクションだからこその、意図しなかった感動が押し寄せてくる。この展開は大島新監督が予定したものではないが、巧みな構成でクライマックスでの共感を盛り上げている。
作り手が当事者になってしまう
この映画でもう一つ面白いのは、先に「なぜ君」があったことにより、作り手たちが当事者になってしまうことだ。
前作では大島監督が「この人はどんな人なんだろう」と思いつつ徐々に距離が詰まっていく過程が面白かったが、今作ではいきなり距離が近い。冒頭では小川氏の誕生日に自宅を訪れ家族とともに祝う。香川の本拠地に行くと大島監督を選挙スタッフが温かく迎えてくれる。
一方、平井陣営は身構えている。東京の事務所で平井氏が取材を受けてくれるが、用心しているのが伝わってくる。それでも余裕の受け答えだったのが、選挙戦中には露骨に大島監督とカメラを嫌っている。選挙スタッフがカメラにいちゃもんをつけ出す。しまいには演説していた平井氏が大島氏とクルーを責めるようなことを言い出す。
「なぜ君」を世に送り出し話題になったからこそ、続編の今作では大島監督とクルーたちは当事者にならざるを得なくなったのだ。ドキュメンタリーの作り手として観察者の立場でいようにも、平井陣営からは「敵認定」されてしまう。
そして平井陣営が拒めば拒むほど、作り手は小川氏側に追いやられてしまう。映画が完成されれば、拒んだことが不利に働くことが想像できないくらい、平井陣営は追い込まれていたとも言える。そこまで考えが至ると、少し可哀想でさえある。
平井陣営に嫌われてしまうほど、「なぜ君」は世の中に影響したし、例えば県外から応援に駆けつける人を産んだのだから、「なぜ君」と今作は小川氏の勝利に加担してしまったとさえ言える。
ドキュメンタリーとその作り手は、取材対象にどこまで客観的でなければならないのだろう。どう見ても小川氏と周りの人たちに惹きつけられている大島監督とクルーたち。そして2つの映画を見て小川氏が好きになってしまった私たち。それでいいのかはわからないが、それも含めて「香川1区」は面白いのだ。どうあるべきかはともかく、そこからは逃れようがないのだと思う。
そんな風に、ドキュメンタリーを作ることと、それを見ることについて考えてしまう。実はそこが「香川1区」の類まれな魅力になっている。
ドキュメンタリーは新しい文法を探せ
最初に書いたように、ドキュメンタリーにはいいイメージを持っていなかった。そんな筆者が「香川1区」を見てこんなに語りたいことが溢れてくるのは、なんて幸福なことかと思う。
選挙を舞台にしたドキュメンタリーの多くは、日本の政治の裏にあるおどろおどろしい側面を暴く。「香川1区」にもそんな側面はあり、そこも面白さの一つになっているのだが、それだけで済まないのが素晴らしいと感じた。むしろ小川氏やその周りの人々、ひいては対立候補だった平井陣営の悔しさも含めて、小さな選挙区の大きな宇宙を浮かび上がらせている。それがこの作品を「映画」にしたのだ。何かを暴く以上の普遍性を、作品が帯びることができた。これは大島監督とスタッフがドキュメンタリーの新しい文法を探しながら作っているからだと思う。
ドキュメンタリーに取り組む人は、特にテレビの作り手には多い。ついつい、先人たちの手法に則ってしまっていないか。だが何を描くかと同じくらい、どう描くかを考えてもらいたい。それが最後に一番言いたいことだ。
どんなに社会悪を描くにしても、どれだけ陽が当たらなかった弱者を描くにしても、描き方を模索しないなら作り手として怠慢だ。特にテレビが若者から見放されかけている今の時代に、十年一日のような手法で、演出で、音楽で、編集でいいと思っているようではダメなのだ。保守的な社会を暴く番組が、手法を考え直さないのでは、自分の中の保守を打ち破れない。それでは表現として効力を持てないだろう。
日本のドキュメンタリーには伸びしろがある。「香川1区」を見て、さらにその次に出てくるであろう新たな作品に期待した。皆さんもぜひこの作品を通じて、ドキュメンタリーの新しい面白さを発見してもらいたい。日本のドキュメンタリーの次を期待して欲しい。
1月21日からは上映館が全国に広がる。あなたの近くでも上映されるといいなと思う。