スケボーの美徳とは。12歳の開心那が史上最年少銀メダル。
炎天下、長髪をなびかせ、12歳の笑顔が弾ける。4日。スケートボードの女子パークで、夏季五輪史上最年少日本代表の開心那(ひらき・ここな)が銀メダルに輝き、最年少メダリスト記録を更新した。年齢のことを聞かれると、「あんまり気にしていません」と無邪気に笑うのだった。
金メダルが19歳の四十住(よそずみ)さくらだった。ミックスゾーン(取材エリア)。開は「すごくうれしいです。日本人が金メダルを獲ってくれて」と言って、胸に下げた銀メダルを持ち上げて見せた。
「すごく重いです。今まで獲った中でめちゃめちゃ重い、びっくりです」
スケボーは今大会で初めて五輪の種目となった。路上から始まった競技の自由さ、仲間との遊びの楽しさゆえだろうか、互いを讃え合う文化がある。決勝の最後の演技者、15歳の岡本碧優(みすぐ)が果敢に攻めて転倒し、すり鉢状のコースから上がってくると、開は真っ先に両手で抱きしめた。海外の選手も集まり、岡本を担ぎ上げた。
4位に終わった岡本は、笑いながら涙を流した。最終順位が確定すると、開、四十住、銅メダルの13歳、母親が日本人のスカイ・ブラウン(英国)の3人が肩を組んではしゃぎ回る。チャレンジして失敗しても、転んでも、メダルの色が違っても、みんなが互いをリスペクトし、拍手を送る。スポーツの原風景を見る思いだ。
この日は猛暑日となった。東京の最高気温は35度。強烈な照り返し、会場の有明アーバンスポーツパークのコンクリートのパークコースは、それこそ実際は40度を超え、焦げた石釜のような状態だっただろう。「すごく暑かったです。でも、戦いなので暑さを気にしないでやってました」と振り返った。
3回ランの2本目。軽快なBGMに乗って、スピード感のあるラインディングと回転などの「エア」を披露した。得意のボードの車輪をつなぐ金具部分でコースの縁を滑る「ノーズグラインド」も決めた。
世界一のかっこいいスケートボーダーになりたいと言っていた開は、「少し近づけたと思います」と言葉に充実感を漂わせた。
「一発目は、レールみたいなところにフィフティ―(・フィフティ―)でかけたんですけど、(2本目は)そこをスミス(グラインド)に変えて難易度を上げ、あとちょっとラインのレベルを上げました。メダル争いは気にせず、自分のラインができればいいなと思っていただけです」
3本目のランはトリップ(技)の難易度をさらに上げたが、転んでしまった。誰もやっていない技への果敢な挑戦、これまたスケボーの魅力である。初めての五輪の舞台の印象を聞けば、開は「すごく楽しかった」と笑うのだった。
それにしても、スケボーの日本勢は強い。女子ストリートで13歳の西矢椛(もみじ)が金メダル、16歳の中山楓奈が銅メダルだった。なぜか。この日金メダルの四十住は、「日本開催のオリンピックだから」と説明し、こう声を弾ませた。
「みんな、スケートボードが大好きだから。楽しくやれたことが、好結果につながったのだと思います」
開の名前の心那は「ここな」と読む。由来は、南国好きの母が「ココナッツ」から名付けたという。その母の影響で5歳からスケボーを始め、北海道・苫小牧市から札幌市の専用パークに母の運転する車で往復3時間かけて通った。実は運動が苦手で、自転車には乗れない。ただ、スケボーには熱中した。楽しいから。
日本チームの西川隆監督は開を「好奇心の塊」と評する。「色々自分でやってみる。こういうのはカッコいい、ああいうのをやってみたい、と常に考えている。周りの選手も色々教えてくれる文化がスケボーにはあるので、(開は)どんどんうまくなるのです」
繰り返すが、開はまだ、12歳。同監督は「ふだんは、まだまだ子どもですね」とこっそり教えてくれた。甘い菓子が好きで、キャンディーなどを監督や周りにプレゼントしたりするそうだ。好きな食べ物が、母の作る三色丼(鳥そぼろ、炒り玉子、ホウレン草)とか。
開も、スケボーも可能性は無限大である。何といっても、ただ上手になるのがうれしい、というのがいい。これぞスポーツの原点か。史上最年少銀メダルの12歳は2023年のパリ五輪ではもちろん、表彰台のてっぺんを狙うことになる。