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【その後の鎌倉殿の13人】鎌倉幕府執権・北条泰時は寛喜の大飢饉にどのように対応したのか

濱田浩一郎歴史家・作家

寛喜3年(1231)は飢饉の年でした。鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』には「今年、世上は飢饉」(同年3月19日条)と記されています。多くの百姓が飢え死にしそうな状況が現出したのです。それに対して、鎌倉幕府の執権・北条泰時は、どのように対応したのでしょう。先ず、泰時は自らが守護を務める伊豆国と駿河国の民衆に「出挙米」(すいこまい)を施します。農民へ稲の種もみを貸し付けたのです。食料庫を有している者たちに言い聞かせて、その事を実行しました。

担当の奉行は、豊前中務丞実景。実景は、泰時の仰せを受けて、文書を作成します。そこには次のように書かれていました(実景から、北条家の家臣・矢田六郎兵衛尉に宛てた3月19日付書状)。「今年、世間は飢饉のため、人民が餓死するという噂が流れている。これはとても不便である。伊豆や駿河において、貸付米を持っている輩がそれを放出しないので、人民は生活の仕様がないという。よって、早く、貸付米を与えよとの仰せである。後日、貸付米を与えなかったならば、報告にしたがって、処分する積もりである」と。泰時は出挙米(貸付米)を放出させて、領国で困窮する人々を救おうとしたのでした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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