パリのノートルダム大聖堂の火事から1年。修復、原因、寄付・・今はどうなっているの? 沖縄との交流も
パリのノートルダム大聖堂の火事が起こったのは、4月15日ー16日、1年が過ぎた。
鉛問題、放火疑惑問題など、数々の問題が襲っていることは、半年経ったときに報告した。
ノートルダム大聖堂、火災のその後。3つの課題:鉛汚染、黒い疑惑と新計画(フランス・パリ発)
4月10日には、復活祭のお祝いがノートルダム大聖堂で行われた。新型コロナウイルスのせいで、数人の参加のみの厳かな式となった。
それでも、昨年のクリスマスのお祝いはノートルダムでは何もできず、シャトレのSaint Eustache教会で行われたのだから、少し嬉しかった。復興は少しずつ進んでいるのだ(今はコロナのせいで止まっているけれど)。
下のビデオはその日の様子。アベ・マリアの独唱に、たった一つのバイオリンの演奏・・・シンプルな儀式がかえって美しさを際立たせていたと思う(3分35秒)
1年経った今、状況はどうなっているのだろう。
火事の原因
世論調査によると、3分の1のフランス人が「火事の原因は事故」に疑いをもっている。
54%が「たぶん事故」、29%が「闇がある」、7%が「政府は隠しているが放火である」と答えている。10%が未回答だった(Ifopにより今年3月中旬に調査)
パリの検察庁が立ち上げた予備調査は、昨年6月下旬、電気系統の故障、あるいはたばこの不始末ではないかとした。しかし、「不本意な悪化」のために始まった調査は、説明にはほんのわずかな要素しか発表していない。
科学の力を「アイオリ」に集中
よく話題になるのは、デジタルデータを使った再建計画だ。
国立研究センター(CNRS)では約50の学際的なチームをつくって、いま解読に励んでいる。
大聖堂の焼失したアーチの下にレーザーセンサーとカメラを設置して、正確に損傷の程度を測定した。次に、建物の3Dモデリングを数ミリメートルの精度で実行した。
この様子は、以下のビデオで見ることができる。言葉はわからなくても雰囲気は十分に伝わる(4分35秒)
リーダーは、Livio de Lucaさん。モデルおよびシミュレーションの研究所の責任者だ。
火事の前と後に収集したデータを駆使して、デジタルプラットフォームは完成しつつある。これは「デジタルエコシステム」と呼ばれていて「アイオリ(AIOLI)」という名前もついている。
大聖堂のさまざまな状態を比較できるシステムだと、『ユージーンヌ・ヌーヴェル(工場ニュース)』は報じている。
学生も参加
さらに「アイオリ」は、研究を一元化するという、重要な役割を果たしている。
修復の仕事は、各専門のワーキンググループ(木材、音響、石材、建築など)に分かれている。
例えば、「音響」専門知識グループでは、ノートルダムの音環境を科学的に定義して、失われた音の世界を可能な限り見つけようとしている。音響学者や考古学者が共に働いている。
ブルゴーニュ出身の大工である、まだ24歳のアルチュール・コルデリエは、あるプロジェクトを主導した。
実物の20分の1のスケールで、ノートルダムの複製をつくるのである。これは全体の骨組みを知るのに重要な作業だ。後陣、中央公間、身廊、2つの翼廊、尖塔が、塔の中にある鐘楼を支えている。
彼のグループは、30人の学生である。彼らはノートルダムを「森」と呼んでいる。そして6カ月、800時間の作業のあと、完全な複製に成功した。
このような各グループの成果を、デジタルの「アイオリ」に結集する。各人はグラフィック表現にコメントもする。
こうして、全員がそれぞれのグループの成果と情報を共有できるようにしているのだ。
集まる寄付金
寄付は、当初は6億5000万ユーロ(約760億円)が表明されていたが、現在9億150万ユーロ(約1070億円)にも達している。
そのうち約2割が既に現金化された。
寄付の宛先は様々だ。例えば、化粧品などで有名なロレアルは、2億200万ユーロ(約236億円)を、直接公共機関に寄付した。
ただ、ほとんどの場合は、国によって指名された4つの財団宛てである。4つ合計で寄付は6億2170万ユーロ(約727億円)にものぼった。
形態は様々で、小切手を渡したり、財団が行うメセナという形で合意文書(契約書のようなもの)をつくったりする。
4つの中で最も多く集めたのは、「ノートルダム財団」(Fondation Notre-Dame)で、寄付全体の3分の1強にあたる3億3500億ユーロ(約392億円)を集めた。
このうちの2億ユーロ(約234億円)は、世界有数の富豪、ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)の総裁アルノー家からの寄付である。日刊紙『パリジャン』が報じた。
4つの中で「郷土愛財団」(Fondation du patrimoine)は、1年経った現在の寄付状況の詳細を発表した。
全体で2億2780万ユーロ(約267億円)の寄付が集まった。小口の寄付はほとんど個人から。フランスだけではなく外国からもあり、23万6146 件あった。平均寄付額は109ユーロ(約1万3000円)だったという。
沖縄との交流
フランスでは、年末になると、公的サービスに関わっている人が、カレンダーを配布することで寄付(チップ)を集める習慣がある。
昨年12月上旬にパリのシャトレの近くを歩いていると、パリの消防士が二人、カレンダーを持って立っていた。「私はフランス人でもキリスト教徒でもないけれど、ノートルダムをパリの大切なシンボルと思って愛着をもっている。ありがとう」と言ってチップを渡した。
その時に消防士が「日本でも大変な火事があったね。世界遺産のお城が燃えてしまったんだろう?」と言った。
1ヶ月半ほど前の10月31日に発生した、沖縄の首里城の火事のことを言っているのだ。
日本人と言っていないのに、日本人と見破られたこともちょっとびっくりしたが(店員やレストランの人なら全然驚かないが)、首里城のことを知っているのは、更にびっくりした。
しばらく後に、あるニュースを発見した。
パリ消防局指揮官から、首里城火災に対応した那覇市消防局長宛てに、見舞いの手紙が届いたというニュースだった。火災発生日の10月31日付の署名で、12月13日に市消防局が受け取った。
「パリの消防隊全員が首里城の火災映像を茫然(ぼうぜん)と見ていた」「国や地域を代表する遺産を失っていることを、我々は深く理解している」と思いを寄せ、「消火をするために絶え間なく戦った多くの消防隊員は多大な勇気と献身的な姿勢を見せてくれた」と讃えていたという。(『沖縄タイムズ』『琉球新報』参照)。
城間幹子市長が、定例記者会見で明らかにした。城間市長は「本当に心が温まる。遠くパリの同友からメッセージを頂き、消防局員も非常に感動している。この激励の言葉でますます使命感を持って業務に当たると思う」と感謝した。
那覇市消防局の島袋弘樹局長は「突然の手紙に大変驚いている。職員一同、感謝の気持ちとさらなる勇気をもらった」とコメントした。
近く、礼状と親善の印として市消防局の紋章ワッペンを贈るということだった。
このニュースを聞いて、すぐにシャトレで出会った消防士を思い出した。きっと日本への手紙は、上からの発案ではなくて、署内の人たちが「沖縄に励ましの手紙を送ろう!」と盛り上がったから、実現したのかもしれないな、と思った。
このような火事は、世界のどこであれ二度と起こってほしくない。でも、両者の温かい交流には、何だか心がほっこりした。とても嬉しかったし、勇気をもらった思いがした。
こうして国を超えた連帯がうまれるのは、素晴らしいことだ。辛いときこそ、こういう連帯が必要なのだと思う。
◎4月15日、1年前に火災が始まった時間であり、医療従事者との連帯を示す時間になっている20時、火災後初めてノートルダムの鐘が鳴らされた。通常は電動だったが、今回は手動で鳴らされた(防護服を着たカジモド・・・かも)。