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ノートルダム大聖堂、火災のその後。3つの課題:鉛汚染、黒い疑惑と新計画(フランス・パリ発)

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
再建までの礼拝堂案 FRANCOIS ROUX/Alamy StockPhoto

今年2019年4月15日、パリのノートルダム大聖堂が火事にあってから、はやくも4カ月近くが経とうとしている。

火事の直後、マクロン大統領は、5年後までに再建する意志を表明した。5年後には、東京の次にパリでオリンピックが開催される。

ノートルダム大聖堂は、その後どうなっているのだろうか。

いま、3つの課題がある。

一帯が鉛に汚染された?

8月6日、ノートルダム大聖堂の地域で、高濃度の鉛汚染が発見された。

4月中旬、火災の直後、環境保護団体「Robin des bois」は、大聖堂は「有毒廃棄物の状態」になっていると告発した。焼け落ちた尖塔と屋根に使われていた鉛が少なくとも300トン、火事によって溶け落ちたために、大聖堂の界隈は汚染されてしまったと主張した。

同団体は、声明の中で「すべての有害物質の地図化」を求めた。その後、複数の団体や労働組合が「大聖堂の封じ込め」を要求していた。

鉛は、人体に重大な被害をもたらす可能性がある。発がん性があり、神経への毒性もある。男女の生殖器官にも悪影響を及ぼし、消化器、腎臓、心血管に疾患を引き起こす。特に子供への影響は重要である。

鉛の灰による空気の汚染、地面、水・・・ノートルダム大聖堂のすぐ脇には、セーヌ川が流れている。

汚染が隠蔽されているとの批判を受け、修復工事に携わる労働者のための健康を守るために作業は一時中断、夏休みの間に近隣の学校を除染することになった。それでも当局は、汚染そのものには否定的だった。

そこにきて、今回の報道である。ニュースが流れたばかりで、今後さらに問題になるだろう。工事の遅延は免れない。

再建にたちはだかる法律

マクロン大統領に続いて、フィリップ首相は、焼け落ちた大聖堂の尖塔を再構築するために、国際建築コンペティションを開くことを約束した。

でも、どのように再建するのか。

「火事前の状態に、忠実に戻せ」という意見は根強い。テクノロジーは進化しているのだから、再建には新しい技術や、丈夫な素材を使うことは許されるのではないか。

デザインはどうだろう。現代性に基づいた、新しい美しさの可能性を探るのか、もし探るならどの程度まで許されるのか。

ルーブル美術館では、ガラスのピラミッドを建築することで、現代性と伝統を見事にマッチさせて、新しい美を創りだすことに成功した(ただし、ピラミッドが建築された場所は駐車場だったのであり、古い建造物は関わっていない)。

火事前の状態に忠実に戻すのならば、5年後の再建は無理である。

これは国民的議論となっている。

ここに立ちはだかったのが、法律である。歴史的建造物に関する国内法が色々あるのだが、政府は「ノートルダム大聖堂の修復と保存のための」例外的な法律の提案を発表している。

国内法だけではない。例外的な法律をつくるのさえ、歴史的建造物の修復に関するユネスコの「ベネチア憲章」(条約)という、国際的な約束に違反することができないのだ。

この点は、4月にユネスコの代表団が大統領と会合し(といってもユネスコの本部はパリにあるのだけど)、大聖堂の再建の支援を表明した。「変化と変形については、自然で歴史的なプロセス」に適応して、「テクノロジーの進化によって提供される新しい可能性」に適合しながら、すべての世代が遺産を構築する権利があるとした。

7月16日には、修復に関する国内法案が、大議論の末に可決された。これで法的な用意は整ったことになる。一安心である。

黒い疑惑

人々の心に棘のようにひっかかっている問題――それは「どうして火災が起きたのか」である。

公式発表では、調査の様子は知らせるが、「これが原因」というものを特定していない。当時工事に携わっていた人たちが、規則に反してたばこを吸うことがあったのは認めたが、それが原因とはなっていない。

火災の衝撃がちょっと一段落したころ、筆者のFacebookに出回ってきたのは、ある数字を示す記事や発信であった。

それは「昨年の2018年、フランスでは1063件のカトリック教会で、火事などの反教会的な行為があった」というものだ。

日本ではほとんどニュースになっていないが、ノートルダム大聖堂の火事から約1カ月前、3月17日、パリ6区のリヴ・ゴーシュにあるサン・シュルピス教会が、火事にあったのだ。今でも修復中である。

火元は、一人のホームレスの衣服が積まれていた場所だった。火災当時、その人は不在だった。

ホームレス間の問題なのか、それとも、ネットで騒がれていたように「カトリック教会に対する放火」なのか。

この火事はもちろん、テレビで報道されるニュースになった。

この火事のあと、前述の「昨年、1063件の反カトリック教会の行為」が報道されたのだった。複数の政治家が、リアクションをした。

ただ、この衝撃的な数字が大々的にメディアで報道されたかというと、そんなことはなかったと思う。おそらく、カトリック教会自身が、慎重な姿勢を好んでいるためもあるだろう。模倣の犯罪を引き起こしたくないという願いがあるという。ユダヤ教会(シナゴーグ)が攻撃されると、1件でもメディアを含めて大ニュースになるのだが、メディアも慎重な姿勢を示していたように見える。あまりにも問題が微妙すぎるのだ。

それに、サン・シュルピス教会はパリっ子や、パリに詳しい観光客には有名な教会だが、フランスやパリのシンボルというほどではないせいもあるだろう。フランス人でも知らない人はいると思う。

それから1ヶ月後、ノートルダム大聖堂の火災が起きた。そして、前述の衝撃的な数字が、広くSNSで出回ったという印象を筆者はもっている。

日本では、変質者による殺人が起きる前に、近隣の野良猫が殺される現象が複数回あった・・・サン・シュルピス教会の火災は、それに似ている事件だったのだろうか・・・などと、そんな凶々しいことを思ってしまった。

フランスのカトリック教会は、誰にでも開放されている。ドアさえ開いていれば、誰でも気軽に入ることができる。フランスでは、教会に入場料はない。ノートルダム大聖堂すら、無料だった。だから安全管理がしにくい面がある。

「2番目の火元」とは

ノートルダム大聖堂の火災のすぐ後に、2つのメディアが「火元が二つあった」と報じたと言われている。

一つはLCIというテレビ局。これは最もメジャーな民放であるTF1と同じグループで、24時間ニュース放送をしているチャンネルだ。

もう一つは、Fdesoucheという、「フランスメディアのレビュー」というサイトで、極右に位置づけられている。

前者はとっくに削除してしまい、報道が本当にあったのか、もはや確かめようがない(ただ、人々の多くの反応がネット上に残っているので、きっと本当なのだろう)。

その後、『ジャーナル・ドゥ・ディマンシュ』という日曜日に発行されるメジャーな新聞が、「引退した消防士が描いた」というデッサンを公表している。

『ジャーナル・ドゥ・ディマンシュ』の公式ツイッター。左上に、内部の一部の拡大図があり「foyer secondaire(2番目の火元)」と手書きで書かれている。

この記事は、あくまでこの絵を書いたルネ・ドスネさん(72)の仕事を讃えている内容である。

彼は大聖堂で火災が起きたとき、自発的に現場にやってきた。火災状況や風向き、リフトアームの位置によって影響を受ける領域を、3D透視図で示すライブ図面をつくり、400人の消防士の消火活動を助けたという。

消防士は、断片的な見解しかもっていない傾向がある。でもこのような3Dライブ図面のおかげで、近年では責任者が全体像を見渡しながら指揮を行えるようになった。ルネ・ドスネさんは、開発者の一人として讃えられている――という記事内容だ。

しかし人々が注目したのは、彼が描いたデッサンのほうだった。

「2番目の火元」とは何を意味するのか、記事は何も語らない。しかし人々は当然、それが意味することを思った。

当時、奇妙に静かだったという印象をもっている。

SNSで、前述の衝撃的な数字が出回るのでも、コメントは控えめで記事だけが次から次へと拡散される、そんな印象だった(筆者のSNSには極右支持者の投稿はめったにまわってこないので、彼らのSNS上の動向はよくわからない)。

証拠がないことだから、気安く言えないというのはある。しかし、証拠がなくても騒ぐのがネットではないか。

サン・シュルピス教会の火事のときのほうが、よっぽど騒いでいた。もちろん公式に「放火」と発表されたせいもあるが・・・。

もう安易に騒ぐことも、口にすることすらもできない。口にして非難しだしたら終わりだ、フランス「共和国」が崩壊してしまう、あれほどフランス人が大事にしてきた平等の精神も人権の精神も、すべてが崩れ去ってしまう・・・そんな重さを感じる。

希望の見える新計画

人々の心の中にささった棘は、時間とともに和らいでいくのだろうか。

鉛問題で揺れるなか、法的な整備も整い、少しずつ前進している感があったころ、希望が見える新計画が発表された。

アメリカの建築会社Genslerが7月末、自発的に具体的な再建計画を提案したのだ。このような提案は、初めてだ(タイトル写真)。

といっても、本体の再建がなされる前の一時的な措置であり、一時的な祈りの場所をつくるという提案だ。

大聖堂の前に、幅22.5メートル、長さ75メートル、面積1600平方メートルの、細長くて光に満ちた礼拝堂をつくる。800人の信者が祈れる場所になるという。

Gensler。教会内部の構想。
Gensler。教会内部の構想。

デザインしたのは、イギリス人の建築家たちだという。このアメリカの会社は、北米に31カ所、その他地域に17カ所の事務所をもつ、大会社である(東京にもあるが、フランスにはない)。

アメリカの会社が、このような具体的な前向きの提案をしてくれたことは、とても嬉しかった。悲惨を乗り越えて新しいものを創ろうとしている人達がいる。光に満ちたモダンなデザインは、古いもののくびきから離れて、新しい明るい道へと人々をいざなってくれるような、そんな印象を与えた。

人々の意見は、賛否両論だ。モダンで良いと思う者、モダンすぎると思う者、様々だ。でも、前に進んでいるような様子は、心を明るくしてくれた。

ある国の、どうしようもなく閉塞した状況を救えるのは、外国人であり、外国なのかな、と思えた。

特にヨーロッパは、歴史の呪縛から逃れられないところがあるから・・・伝統があるからこそ美しいのだけど。アメリカの会社というのも意味深い。アメリカとヨーロッパは、やはり切っても切れない絆のある姉妹なのかもしれない。

人々はたくましくて、冷静で、理性的で、着実に再建への手続きを進めている。

鉛騒動で、また心が塞ぐような難問が立ちはだかっている。でも、フランス人は理性的で強い人達だ。西洋哲学でなぜ「理性」が大きなテーマになるのか、少し実感として理解できた気持ちがする。国の象徴のモニュメントがこのような事態になり、「彼ら」のしわざではないかと疑いながらも、まだ冷静を保っている。本当に大したものだと思う。

フランス人の理性と強さを信じたい。外国からの温かい支援を受けながら、大聖堂の美しい再建は、フランス人ならできると思う。

参照記事:槍玉にあがる、ノートルダム大聖堂の再建に大口寄付をする大金持ちたち

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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