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【インタビュー】アルカトラスを支えてきたキーボード奏者ジミー・ウォルドーに訊く

山崎智之音楽ライター
Jimmy Waldo / photo by Yuki Kuroyanagi

2020年7月31日、世界同時発売となったアルカトラスのニュー・アルバム『ボーン・イノセント』をグラハム・ボネットとジミー・ウォルドーが語るインタビュー全3回の最終回。

アルカトラスといえばイングヴェイ・マルムスティーンやスティーヴ・ヴァイなど、超絶テクニカル・ギタリストを輩出してきたことで知られている。新作でもクリス・インペリテリやボブ・キューリック、ダリオ・モロ、若井望らゲスト陣が凄絶なギターを披露しているが、バンドの音楽性の屋台骨を支えてきたのがキーボード奏者のジミー・ウォルドーだ。

全3回のアルカトラス・インタビュー。第1回第2回ではグラハム・ボネットに語ってもらったが、今回はジミーが新作でどんな役割を果たし、どんな遍歴を経てきたのか訊いてみよう。

<アルカトラスの歴史の新しいページを切り開く作品>

●アルカトラスのギタリストにはどんな要素を求めますか?

アルカトラスは最初の2枚のアルバムで独自のアイデンティティを確立した。我々は決してライヴでジョー・スタンプに『ノー・パロール・フロム・ロックンロール』をそっくりそのまま再現することは期待していない。でも、そっくりそのまま再現出来るだけのテクニックは持っておくべきなんだ。それをどう発展させていくかが、そのギタリストの技量というものだよ。グラハム・ボネット・バンドにいたコンラド・ペシナートは優れたギタリストだった。人間としても素晴らしい。でも彼のスタイルはアルカトラスとは異なっていたし、順応することが出来なかったんだ。ジョーイ・タフォーラは当初アルカトラスのスタイルにハマっているかと思ったけど、やはり違っていた。彼は自分の存在がアルカトラスより大きなものだと考えていて結局、他のことをするために去っていった。カート・ジェイムズはテクニック的には凄かったけど、すべてがバラバラだった。「アイランド・イン・ザ・サン」を演っても普通に弾くのは最初の4小節ぐらいで、ヴォーカルやリズムのことを考えず、どこかに飛び立ってしまうんだ。それで新しいギタリストを探すことになった。

●カート・ジェイムズの後、どんな候補が挙がったのですか?

ALCATRAZZ『BORN INNOCENT』ジャケット/ワードレコーズ 現在発売中
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カートが脱退したとき、スケジュールが詰まっていて、大至急新しいギタリストを見つける必要があったんだ。候補に挙がったのは元フィフス・エンジェルのジェイムズ・バードとケンドール・ベクテルだったけど、やはりスケジュールが合わなかった。次に名前が挙がったのが、ロサンゼルスでインストラクターをやったりしているフランキー・リンディアだった。“シャーヴェル”ギターのスタッフから「凄い奴がいる!」と勧められたんだ。有名バンドに在籍したりツアーをしたりの経験はないけど素晴らしいギタリストで、『ノー・パロール・フロム・ロックンロール』の全曲をテクニックとエモーションを込めて弾くことが出来た。まさに秘密兵器という感じで、新生アルカトラスで世界デビューさせたかったけど、講師としての活動で忙しかった。それで俺とマネージャーが探し回って、ジョー・スタンプの名前が挙がったんだ。メールをしてみたら、3分ぐらいで「やりたい」と返事が来た。ジョーはオーディションで、アルカトラスの曲を完全にマスターして、しかも自分だけのエモーションを込めていたよ。

●2019年5月、アルカトラスの来日公演はあなたにとってどのようなものでしたか?

日本でプレイするのは、いつだって最高の気分だよ。アルカトラスの『ノー・パロール・フロム・ロックンロール』とレインボーの『ダウン・トゥ・アース』を完全再現するスペシャル・ライヴは、日本のプロモーターから打診されたんだ。どちらも大好きなアルバムだし、やってみることにした。まあ“完全再現”といっても、どちらのアルバムからも半分ぐらいは普段からライヴでプレイしているし、みんなが考えるほど大変ではなかったよ。俺たちはみんなレインボーやマイケル・シェンカー・グループが好きだし、それに自分たちのテイストを加えるのは楽しい作業だった。「メイキン・ラヴ」「ノー・タイム・トゥ・ルーズ」など、普段プレイしない曲をプレイするのはチャレンジであり、興味深い経験だったね。

●ジョーは昔の曲にどのようにアプローチしていましたか?

ジョーは長年のツアー経験で、ライヴ慣れしている。百戦錬磨なんだ。彼はオールド・ファンを喜ばせながら、自分のテイストを加えていた。彼が加入してから日本とヨーロッパでツアーをしたことで、全身にエネルギーが溢れる状態で『ボーン・イノセント』を作れたよ。とてもナチュラルな作業だったし、さらに大勢のゲスト・ギタリストが盛り上げてくれた。彼らはみんな、どんな曲を書いて、どうプレイすることが期待されているかを知っていた。しかも俺たちの期待を上回っていたんだ。クリス・インペリテリにも何も指示なんてしなかったし、彼も訊いてこなかった。他のギタリストについても言えることだけど、まるっきり的外れな曲を送ってきた人は1人もいなかったよ。ただ、『ボーン・イノセント』を単なる同窓会アルバムにはしたくなかった。アルカトラスの歴史の新しいページを切り開く作品に出来たと確信している。

●『ボーン・イノセント』でのあなた自身のキーボード・プレイは、初期アルカトラスからどのように変化しましたか?

アルカトラスだろうがグラハム・ボネット・バンドだろうが、俺のプレイ自体は同じだよ。昔やっていたニュー・イングランド以来、ほとんど変わらない。少しはうまくなったと考えたいけどね(笑)。

●ハード・ロック・キーボードをプレイするにあたって、どんなポリシーを持っていますか?

お客さんがアルカトラスのライヴを見に来るのは、グラハムのヴォーカル、そしてホットなギターを聴きに来るんだ。キーボードが主役になることはないけど、バンド内に確固たるポジションを築いている。大事なのはキーボード・ソロでエゴを発散させることではなく、曲をより良いものにすることなんだ。『ダウン・トゥ・アース』でプレイしたドン・エイリーは最高のキーボード奏者だ。彼からは多大なインスピレーションを得てきたよ。俺が影響を受けたのはディープ・パープルのジョン・ロードだったり、アトミック・ルースターのヴィンセント・クレイン、ソフト・マシーンのマイク・ラトリッジ...イエス時代のリック・ウェイクマンは神憑っているね。レッド・ツェッペリンでのジョン・ポール・ジョーンズのキーボードも素晴らしかった。彼らがハード・ロック・キーボードの礎を築いたんだ。

●『ボーン・イノセント』でのキーボード・プレイは、どんなことを志しましたか?

“音楽に仕える”ことだよ。本当は、もっと曲を書きたかったんだ。でも今回はギタリスト達の貢献度がいつも以上に高くて、俺は共同プロデューサーとしての役割が大きかった。ギタリスト達のコーディネートとか、曲のアレンジとかね。次のアルバムでは、もっと曲を書きたいね。もう幾つもアイディアがあるし、きっと良いものになるよ。

●『ボーン・イノセント』は“グラハム・ボネット・フェスト”的なアルバムで、彼が共演してきたギタリスト達がゲスト参加していますが、クリス・インペリテリやダリオ・モロなどは、あなたにとって初共演ですよね?

クリス・インペリテリとやるのは初めてだけど、彼とは長年の知り合いだよ。イングヴェイが脱退して、新しいギタリストを探すことになったとき、俺の友達のデヴィッド・ローゼンサルがスティーヴ・ヴァイという凄腕のギタリストがいると教えてくれたんだ。クリスの電話番号をどこで手に入れたか忘れたけど、とにかく2人に連絡してみて、同じ日にオーディションしたんだ。凄いよな(笑)。2人とも背中に冷や汗をかくぐらい凄いギタリストだった。俺たちがスティーヴを選んだのは、彼の方が経験豊富だったからだったよ。イングヴェイが突然辞めて、ツアーのスケジュールが入っていたから、ゆっくりリハーサルする時間がなかったんだ。それにスティーヴは、音楽に没入していく姿勢に鬼気迫るものを感じた。「こいつしかいない!」と思わせるものがあったんだ。

●アルカトラスに加入する前、フランク・ザッパとやっていた頃のスティーヴは主にリズム・ギターと採譜を担当していましたが、『ディスタービング・ザ・ピース』で突如開花したのは何故だったのでしょうか?「ゴッド・ブレスド・ヴィデオ」のミュージック・ビデオでのタッピングは衝撃でした。

彼がオーディションでタッピングのテクニックを見せたのは、俺たちも衝撃を受けたね。「ゴッド・ブレスド・ヴィデオ」は簡単なリフと曲構成を書いた段階で、ある日、俺が早めにスタジオに来ていると、スティーヴが「こういうのはどうかな?」と提案してきた。ドラム・マシンに合わせてタッピングして、ディレイをかけながらダブル・トラッキングするのを聴いて、最高にクールだ!と思ったよ。スティーヴはテクニックだけでなく、サウンド作りの面でも斬新だった。スティーヴがバンドに加わったとき、「すごく正直に言うけど、フランク・ザッパの音楽はあまり好きじゃないんだ」と話したのを覚えている。でも彼はアルカトラスを新たな次元に持っていった、革命的なギタリストだった。

●ダリオ・モロは?

ダリオは幾つかアイディアを送ってくれて、それを何度かキャッチボールして仕上げていった。とてもやりやすくプロフェッショナルだったよ。彼と初めてSkypeで話したとき、気がついたら2時間話していたよ。それだけウマが合ったんだ(笑)。彼はメロトロンのファンだし、話が尽きなかったよ。ボブ・キューリックとはブラックソーンで一緒にやったことがあったし、ノゾム・ワカイ(若井望)もアルカトラスの音楽がどんなものかを知っているギタリストだ。彼らからのトラックを受け取るたび、クリスマス・プレゼントをもらっている気分だったよ。

●ライオットのドン・ヴァン・スタヴァーンが6曲でベースを弾いていますが、彼との共演はどんなものでしたか?

ゲイリー・シェアがレコーディングに合流するのがスケジュール的に難しくて、スタジオ作業の前半はドンに来てもらったんだ。彼はプロフェッショナルなベーシストで、過剰に目立とうとせずに、俺たちの求めるタイトなプレイを弾いてくれたよ。ドンは元々アルカトラスのファンだったし、どんなベースが求められているか判っていたんだ。

Jimmy Waldo / courtesy of Ward Records
Jimmy Waldo / courtesy of Ward Records

<日本はワンダー・カントリーだ>

●あなたは音楽ライターのスティーヴン・ローゼンとお友達なんですよね。

うん、彼はギターを弾くし、一緒にアルバムを出したこともあるよ。『Voices From The Past』(2018)というアルバムで、ジェフ・スコット・ソートやポール・ショーティノが参加しているんだ。

●ポール・ショーティノとあなたはクワイエット・ライオットで一緒だったそうですが、印象深いエピソードはありますか?

ポールとはアルバム『新たなる暴動/QR』(1988)の大半の曲を共作しているよ。アルバムを出す前、“JAPAN AID 2”フェス(1987年10月7日)で日本でもライヴをやっている。ただ、そのとき俺はステージ脇で、お客さんに見えないように弾いていたんだ。サポート・メンバー扱いでね。正直、良い気分ではなかった。ステージ脇で演奏したのはそのときだけだよ。そのショーの後にフランキー・バナリに「もう二度とやらない」と言ったんだ。彼は理解してくれて、次のショーからはステージ上で姿が見えるようにしてくれた。もうひとつクワイエット・ライオットで俺が提案したのは、コーラスでテープを使うのを止めることだった。カルロス・カヴァーゾやショーン・マクナブ、そして俺もコーラスを取れるし、生のヴォーカルの方がロックだと主張したんだ。

●スティーヴン・ローゼンは日本の音楽雑誌に連載コラムを持っていますが、昨年(2019年)10月に亡くなったジンジャー・ベイカーへの取材について“人生で最も不愉快な経験”と書いてあったのが印象的でした。

ああ、なるほど(苦笑)。俺自身はジンジャーと会ったことがないけど、もう10年ぐらい前かな、彼と一緒にやっていたスティーヴ・ヒルというギタリストから連絡があったんだ。「ジンジャー・ベイカーのバンドでキーボードを弾かない?」と言われた。オーディションの日程を設定することになって、1週間後に電話があった。「君とは友達だし、不快な思いはさせたくない。ジンジャーと一緒にやると、酷い言葉を投げかけられて、最悪な気持ちになる。どうしてもやりたいなら、オーディション無しでいいけど、お勧めはしない」ってね。俺にとってバンドというのは人間の集まりだし、どんなにテクニックのある伝説的なプレイヤーでも、一緒のツアー・バスでやっていけないのは無理だ。それで辞退することにしたんだよ。もし直接会っていたら、殴り合いの喧嘩になっていたかも知れない。もちろん俺にとってクリームは神様だし、ちょっと会ってみたかったけどね。友達になれたかも知れないし。

●アルカトラスの前にやっていたニュー・イングランドは、アメリカの音楽シーンにおいてどんな位置を占めていましたか?

(1978〜1982/2005年に再結成)

ニュー・イングランドはハードでメロディがあって、プログレッシヴな展開もあるユニークなロック・バンドだった。トッド・ラングレンがプロデュースして、イエスやキング・クリムゾンから影響を受けていて、面白い音楽をやっていたよ。『ニュー・イングランド』(1979)を出す前、ボストン周辺でライヴ活動をやっていた頃、他のバンドとはあまり交流を持っていなかったんだ。自分たちのソロ・ショーをブッキングしていた。一晩に4回のセットをやったりしたよ。その後にアルバムをポール・スタンリーがプロデュースした縁で、KISSとツアーした。彼らとはマネージャーも一緒だったし、よく飲みに行ったりしたよ。それからAC/DC、ジャーニー、スティクス、カンサス、フォガット、チープ・トリックなどとツアーした。彼らからは音楽性よりもエンターテイナー、ショーの流れや盛り上げ方で影響を受けたね。

●2017年に突如、あなたとゲイリー・シェアが参加したヴィニー・ヴィンセント・ウォリアーの1982年の音源が『Warrior Featuring Vinnie Vincent』としてCD化されましたが、当時のことを覚えていますか?

ニュー・イングランドが解散して、俺とゲイリー、そしてドラマーのハーシュ・ガードナーはバンドを続けることにしたんだ。それで有名無名のあらゆるギタリストのテープを聴いた。それでも決まらなくて、KISSのジーン・シモンズに相談したんだ。彼は分厚いメモ帳を持っていて、「このヴィニー・クサーノって奴が良いんじゃないかな?電話してみなよ」と提案してくれた。それが後のヴィニー・ヴィンセントだったわけだ。彼はデモを送ってくれて、ボストンまで飛行機で来て、ジャムをやることになった。これは行ける!という感触があったんで、俺たちはLAの“レコード・プラント”スタジオで“CBSレコーズ”向けのデモ・セッションをレコーディングすることにした。で、そのときKISSは隣のスタジオ・ルームで作業をしていたんだ。それでヴィニーは彼らと共作するようになったから、いずれ彼が引き抜かれることは予測していた。まあ、仕方ないよ。それがビジネスってものだ(苦笑)。ウォリアーでのヴィニーの曲は大好きだし、全員が最高のプレイをしている。あのバンドが続かなかったのは残念だよ。でも、そのおかげでアルカトラスを始動させることが出来たわけだし、結果として良かったと思う。

●ヴィニーとは連絡を取っていますか?最近の彼はほとんど表に出てこないようですが...。

『Warrior Featuring Vinnie Vincent』を出すにあたって、何度もヴィニーと連絡を取ろうとしたんだ。でも、どうしても捕まらないまま、CDを出さねばならなかった。俺がかつて知っていたヴィニーは、そんなタイプの人間ではなかった。どんな環境だろうとギターを手に取って、ガガーン!って弾くタイプだったよ。数十年連絡を取っていないし、彼がどう変わってしまったのか判らない。いつかまた一緒にプレイしたいね。

●現在世界が大変な状況ですが、アルカトラスが日本のステージに戻ってくるのを楽しみにしています。

うん、俺にとっても日本はワンダー・カントリーなんだ。いつだって日本のファンは俺たちを熱狂的に迎えてくれてきた。アルカトラスの初めてのジャパン・ツアー(1984年1月)で、おもちゃ屋に行ったのを覚えている。店内放送でニュー・イングランドの「ハロー、ハロー、ハロー」を流して、拍手で迎えてもらったのが昨日のようだよ。ビックリしたけど、嬉しかったね。あれが日本に恋に落ちた瞬間だった。一生忘れないよ。

アルカトラス 『ボーン・イノセント』

2020年7月31日 世界同時発売

【新作日本公式ウェブサイト】

https://wardrecords.com/page/special/alcatrazz_innocent/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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