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「IPCC報告書」の信頼性は?

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

3月25日から横浜で開催されていた「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の総会で、気候変動の影響と適応策についてまとめた第5次評価報告書(第2作業部会)の「政策決定者向け要約」が承認され、31日に発表された。IPCC報告書は、気候変動について現在科学的にわかっていることをまとめたもので、気候変動の国際交渉(国連気候変動枠組条約の締約国会議(COP)など)や各国の政策における科学的認識の基礎を与える。

「政府間パネル」の名のとおり、IPCCの主体は各国政府である。各国政府の推薦に基づく名簿から選ばれた数100名の専門家が執筆者チームとして組織され、4年ほどかけて作成された報告書の案を各国政府が審議して承認する。IPCC自体は研究を行わず、世界中の専門家がそれぞれに研究して出版した膨大な学術論文に基づいて知見の評価をする。また、IPCCは政策提言を行わず、政策決定に必要な科学的情報を提供するのが役目である。

では、この重要な役割を持つIPCC報告書の信頼性は、どのように確保されているのだろうか。折しも、巷では「STAP細胞」論文騒動で、研究者や研究論文の信頼性が問題になっている。IPCCも、実は2007年に発表された前回の第4次評価報告書(第2作業部会)に間違いがあったことが2010年に見つかっている。

2007年の報告書の間違いは軽微なものを含めるといくつかあったが、最も重要なものは「ヒマラヤの氷河が2035年までにほとんど融けてしまう可能性が非常に高い」という記述だ。引用元は環境NGOの報告書で、その元をたどると科学雑誌のインタビュー記事であり、科学的根拠は無かった。執筆者の一人がIPCCの執筆ルールを守らずに紛れ込ませてしまった記述が、レビュー(査読)をすり抜け、最後まで残ってしまったのだ。報告書全体の結論を揺るがすようなものではなかったものの、IPCCにとっては痛いミスだった。

この問題を受けて、IPCCの運営プロセスを評価する外部委員会がインター・アカデミー・カウンシル(各国の科学アカデミーの国際連合体)の下に組織された。評価委員会は、IPCCのこれまでの活動を全体として成功であったとしながらも、いくつかの運営プロセスについて改善を勧告した。運営プロセスの改善は、IPCC総会での各国政府の審議を経て実行に移されている。今回の第5次評価報告書は、改善されたプロセスの下での最初の包括的な報告書だ。

筆者の認識では、IPCC報告書の作成プロセスは、当初より相当念が入っていたといえる。報告書の原稿は、三回にわたってレビューを受ける。一回目は専門家、二回目は専門家と政府、三回目は政府のレビューである。世界中から寄せられた数万というレビューコメントの一つ一つに対して、対応方針を示し、必要に応じて原稿に反映させる作業が行われる。さらに、執筆者とは別に任命された各章のレビュー・エディター(査読編集者)が、すべてのコメントへの対応が適切に行われているかチェックし、責任を持って署名を行う。極め付けは、すべてのコメントと、その対応方針の一覧が、ネット上に公開されるのである。今回は、このプロセスのすべてが、前回までよりもより厳格に行われたといえるだろう。

今回から、専門家のレビューはネット上で申請すれば(専門性などを申告する必要があるが)誰でも資格が得られ、報告書の原稿を手に入れてコメントを送ることができた。IPCC報告書は、政府から推薦された一部の専門家が勝手に内容を決めているという批判を聞くことがあるが、IPCC報告書の内容が偏っていると思う専門家がいるなら、正式な手続きを経て原稿に対するコメントを送り(実際にそういうコメントも少なくなかった)、自分のコメントにどう対応がなされたかを公開された資料から確認し、それを基に必要であればさらに議論すればよいのである。そのプロセスは誰にでも開かれている。

また、今回から、執筆者を含むすべてのIPCC関係者が、気候変動問題に関する自分の利害関係(たとえば、気候変動対策を推進する組織や反対する組織から報酬を得ていないかなど)を申告し、利益相反に該当しないかどうかのチェックを受けた。報告書に偏りを生じさせる原因となりうるのは必ずしも金銭的な利害だけではないだろうが、このような手続きをとることで関係者の気が引き締まる効果もあったかもしれない。

今回、横浜の総会で行われていたのは、最終原稿の「政策決定者向け要約」に対する政府コメントへの対応であり、40ページほどの要約の一文一文を各国政府が承認する作業であった。このプロセスがあることで、IPCC報告書は政治的な妥協の産物であると批判する向きもあるだろうが、筆者の認識では、ここで行われるのは基本的に表現の調整であり、科学的な知見は政府の圧力でねじ曲がりようが無い。政府の希望により要約から削除される数字などがあったとしても、報告書の本体には残る。むしろ、このプロセスがあることにより、IPCC報告書は専門家が勝手に作った報告書ではなく、各国政府がオーナーシップを持った、政策決定において無視できない科学的知見の総体になる。このことの意義は大きい。

今回発表された報告書に一つも間違いが無いかどうかはわからないが、IPCC報告書の作成プロセスには信頼性を確保するための様々な工夫が施され、今回は特にそれが丁寧に実践されてきたことをぜひ理解して頂きたい。筆者は今回横浜で発表された第2作業部会報告書には直接関係していないが、昨年9月に発表された第1作業部会報告書(自然科学的根拠)の執筆者である。「IPCC関係者なのだからIPCCは信頼できると解説するに決まっている」といわれたらそのとおりだが、筆者の結論を鵜呑みにせずとも、その根拠に注目して頂き、その上で報告書の内容を重く受け止めてほしい。

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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