会社員の半数は生きがいすらないという衝撃的事実をどう受け止めるか~「生きがいのない時代」の生き方
会社員の2人に1人は生きがいがないという衝撃
「サラリーマンの生活と生きがいに関する調査」というデータがあります。年金シニアプラン総合研究機構というところが定期的に行っている調査で、25年にわたり会社員の「生きがい」について追いかけた調査となっています。今年の結果が第6回です。
先日、同機構のフォーラムで「人生100年時代に考えるべき現役世代のお金と生き方」という基調講演を担当し、パネルディスカッションにも登壇してきました。そこで、いくつか考えさせられるデータがありましたので、ここで取り上げてみたいと思います。
何よりショッキングなデータは「生きがいを持っている」と答えた人の割合が初めて5割を切ったということです。第2回調査の78.4%から一貫して下がり続けた生きがいがある人の割合は、前回から一気に12.3ポイント低下、今回ついに43.6%となっています。要するに「会社員のふたりにひとり以上は生きがいがない」ということです。
ゆとりの有無について聞いた設問の結果も厳しい結果を示していて「時間的ゆとり」「経済的ゆとり」「精神的ゆとり」「友人・仲間」について、欠けていると評価する人の割合が軒並み前回より上昇しています。
自由な時間もなければ、お金の余裕もなく、かつメンタル的余裕もない、というのは確かに生きがいを自覚するのが困難な状態です。そのうえ友人や仲間にも恵まれていないと認識しているならなおさらです。
今我々に訪れている「生きがいのない時代」について考えてみると、現代の難しさがいくつか浮き彫りになってきます。
分析1)「仕事は生きがいではない」時代の難しさ
ひとつ考えられるのは「仕事を生きがいです」と堂々と答える人が減っているということです。時系列で過去のデータを紹介した数字を見る限り、生きがいについて仕事とする回答の割合は減少する傾向にあります。
今回調査で仕事を生きがいとしてあげた人は18.0%ですが、これは過去最低です。第2回調査では32.5%もあったことを考えると大きな減少が起きていて、時代の変化を感じざるを得ません。
私も仕事を生きがいとすることには危うさがあると思いますし、今さら仕事を生きがいと臆面のなく言い放つ時代ではないと思います。それはあえていえば、「働きがい」という別のやりがいではないかと思うからです。
働きがいは必要ですし、仕事を続けるための原動力のひとつですが、仕事はいつかは辞めることになりますし、人生のすべてを置くべきものではありません。
それでも、「仕事は生きがい」なんだと思っていたほうが楽な人生であったかもしれません。仕事に生きがいを置かないとき、私たちは生きがいをどう考えるべきか難しい時代に生きているといえます。
分析2)「家族が生きがいではない」時代の難しさ
「家族が生きがい」というのも時代の流れの中で減少しているように思います。
ひとつは「未婚社会」です。4人に1人が未婚になれば、「配偶者との時間」や「子育て」を生きがいとする人は減少します。同調査でも初回調査の回答者属性では未婚率5.8%のところ、今回調査では回答者属性の未婚率17.3%となっています(前回調査比でも6.9ポイント上昇)。
回答でも「子ども・孫・親などの家族・家庭」を生きがいと置く割合は36.3%と過去より減少しています(前回調査では45.1%)。むしろ「ひとりで気ままに過ごすこと」が過去最高の17.5%となっており、未婚率の上昇が「家族が生きがい」を減少させているように思われます。
ただ、「ひとりで気ままに過ごすこと」が生きがいといえるのか?、と疑問を抱かせる数字でもあります。
家族を生きがいとすることの危うさは、既婚者にもあります。親の子に対する過干渉が子に与える影響を否定的に表現するとき「呪い」と呼ぶことすらあるほどで、人生の全てを押しつけるようにのめり込む子育ては社会的に評価されなくなってきています。
子どもはあくまで自立した存在であり、成長するほどに親の支配下を離れていくものです。子育てを生きがいのすべて、としてしまうことは避けておくべきでしょう。
しかし、単純に「子育てが生きがいです」と言いにくい時代になったことで、またひとつわかりやすい生きがいが奪われてしまったともいえます。
分析3)分かりやすい「生きがい」がなくなってきている
単純に「趣味」が生きがいと回答する人の割合は、というとこれまた減少傾向です。46.7%と選択肢の中ではもっとも高い数値を示したものの、前回調査52.1%からは低下しています。
「晩酌や同僚との一杯」とか「野球観戦」「ゴルフ」のような分かりやすい趣味が市民権を得ていた時代は終わり、趣味は多様化の時代に入りました。趣味の多様化は基本的にはよいことですが、「わかりやすさ」が失われたという面もあります。
私は歴史や地形(高低差)を楽しみながらまちあるきする「東京スリバチ学会」の会員ですが、ブラタモリが人気番組となる前は、この趣味をどう説明するか苦労していました。少なくとも仕事の関係者に話したことはなかったように思います。今なら簡単で「ブラタモリみたな感じですね」と言えば大抵の人が理解します。
趣味として考えたとき、職場で簡単にカミングアウトできない趣味というのは、晴れて生きがいを感じにくいものです。もちろん、人目なんか気にせず趣味を楽しめばいいのですが、「生きがい」というのはどこか誇らしさも欲しいものなので、これまた生きがいを感じにくくしている時代なのかもしれないと思いました。
このほかにもボランティアへの参加率や参加意欲が減少していることも紹介されており、「生きがい」とは何なのだろうか、と何度も考えさせられる統計調査でした。
つまらないものでもいい 生きがいは絶対にあったほうがいい
私はオタクFPと自称するほどマンガやアニメ、ゲーム好きです。蔵書は4000冊近くあります。週に二度は秋葉原をうろついて新作コミックを物色していますが、「これは!」と思う作品を見つけたときの興奮はひとつの生きがいだと思っています。
全国で初版が一瞬にして蒸発したといわれる「ダンジョン飯」の一巻をしっかりゲットして読んだときの感動とか(ちなみに作者のことは短編集の段階から目をつけていました)、「からかい上手の高木さん」の1巻を何の気なしにジャケ買いして、あまりのおもしろさに大悶絶したときの感動は、仕事を一週間がんばるくらいの元気に交換できるほどです。
まちあるきもそうです。東京の高低差や建築物の歴史的位置づけ、幹線道路の整備時期などを考えながら、街を歩くことに何の経済的メリットもありませんが、知的好奇心は満たされます。
友人の暗渠マニア(かつての川筋が埋め立てられ道路になったもの)やマンホールマニアがブログをコツコツ書きためていくうち、探求の世界を広げていく様子などは、傍から見ていて「生きがい」だなあと思います。
つまらないものでもいいのです。ちょっとした「生きがい」があれば、それはあなたの日々を彩り、明日を生き抜く原動力になると思います。
お金をかけずに生きがいをみつけられる人はさらに強い
ファイナンシャルプランナー的にはもうひとつ「金をかけるだけが生きがいではない」という視点も加えておきたいと思います。たとえ経済的余裕がないとしても、それは生きがいを見いだせない理由ではないからです。
お金をかけて生きがいをみつけることは比較的容易です。買い物をひたすら行ったり、旅行に連続ででかければ、かけた金額にある程度は比例した趣味となり、生きがいを感じることができるでしょう。
しかし、お金をかける趣味は、「よりお金をかける趣味」にしていかなければ生きがいを感じる感覚が高まらないというジレンマに陥ります。これはあまりよい傾向ではありません。
むしろお金をかけずに生きがいを見つけられる人は強いと思います。先ほどの例でいえば、まちあるき系の趣味人はほとんどお金をかけません。古い地図を探しに地元の図書館に入っては、半日充実した時間を送っていたりします。
先ほど紹介した調査でも経済的余裕のないことが生きがいのないことと連動している様子がうかがえますが、それは誤解なのです。
生きがいは精神的健康を引き寄せる「薬」でもある!
老後の生活アドバイスにおいては、健康管理、生きがい作り、マネープランを3大テーマとすることが多いのですが、実はお金の問題はたいした問題ではありません。老後破産しない家計水準さえはっきりすれば、「毎月使える予算」は明らかになるからです。
むしろ大事なのは、使える生活費の範囲でいかに生きがいを見いだす日々を過ごすかです。そして生きがいの有無は精神的な健康の問題でもあります。何もやることがないので、毎日居間でごろ寝しながらテレビでスポーツ中継を見ては缶ビールを開けている生活では、肉体的な健康も害しますし、精神的にも追い詰められていきます。
現役世代の会社員もそうです。会社とは無関係のところに楽しみを見いだし、人とのつながりがあることは、メンタルストレスの軽減に役立つことでしょう。
「生きがい」を簡単にみつけることは難しい時代ですが、それでも生きがいを探してみてください。きっと、ひょんなところにあなたの生きがいが隠れているはずです。