Yahoo!ニュース

北海道・音威子府「常盤軒」閉店 消える駅そば・駅弁、その背景は?

小林拓矢フリーライター
スタンダードなタイプのかき揚げそば(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 北海道の音威子府駅(音威子府村)の駅そば「常盤軒」の店主・西野守さんが亡くなった、という知らせが、2月8日にSNSで流れていった。報道によると、西野さんは7日に84歳で亡くなったという。それを受けて、8日に「常盤軒」は閉店した。

なぜ、音威子府に駅そばがあったのか?

 北海道音威子府村。人口703人。村で唯一の特急停車駅である音威子府駅の利用者は、1日50人程度。なおこの駅にはみどりの窓口がある。

 小さな駅に駅そばが存在していたことは、奇跡だった。

 音威子府駅は、1989年まで天北線との分岐駅であり、乗り換え客が多く存在していた。そのころ、「常盤軒」は駅舎内ではなく、ホーム上にあった。駅弁も販売していた。

 村の最盛期には、4,000人以上の人口があった。村は鉄道の拠点として発展し、鉄道で働く多くの人たちがこの村で暮らしていた。

 蒸気機関車の時代が終わり、国鉄が合理化、そして分割・民営化となると、多くの人がこの村を去っていった。天北線もなくなった。

 鉄道の拠点として多くの人が駅を利用していたため、ホームに駅そばのお店があり、にぎわっていた。

 鉄道が栄え、多くの人が乗り換えなどでその駅を使用し、村にも人口が多かった。そんな中でそばが売れ、弁当が求められる。

 音威子府の駅そばは、紀行作家の宮脇俊三が高く評価したことでも知られ、そのおいしさは鉄道ファンの間に広まっている。村内の畠山製麺の麺を使用し、その麺はそばの実を皮ごとひいた黒いそばとして見た目にも印象深いものとなっている。

 わざわざ、このそばを食べるために全国各地から人がやってきた。中には自動車やバイクでやってくる人もいたという。

 鉄道の利用が栄えていたから音威子府に駅そばがあり、音威子府の存在感が鉄道上で重要ではなくなってきても店は続いた。

 筆者も、いつかは食べに行きたいと願いながら、結局は行くことができなかったことを悲しんでいる。このそばがあったから音威子府に行った、という人も多いだろう。

 なお、畠山製麺の麺自体は村内の食堂などでも出され、道内のスーパーでも販売、通販も行っている。また、東京には音威子府そばを出す店もある。

消える駅そば・駅弁、なぜ?

 駅そばや駅弁が置かれた状況は厳しいものとなっている。主要ではない駅では駅弁業者が閉店し、またその業者がやっていた駅そばも閉店している。多くの駅弁業者は駅弁大会などの催事に力を入れ、また地方の駅弁を常設販売している東京駅の「駅弁屋 祭」などに駅弁を卸しているところも多い。地元で駅弁を売っているだけでは、苦しいのだ。

 筆者の育った山梨県甲府市でも、甲府駅の駅弁業者がかなり前になくなった。「武田陣中鍋めし」や「武田本陣弁当」で知られていた甲陽軒米倉は閉店、駅そばはNRE(現在のJR東日本フーズ)が受け継ぎ、駅弁は現在、小淵沢駅の丸政のものが販売されている。

 甲府駅は駅ビル内に弁当のお店などがあったため、そことの競合も大きかった。

 中央本線と身延線の乗り換え、また普通列車と特急列車の乗り換えなどがあり、多くの人が駅でそばを食べていたものの、地元の業者では成り立たなくなった。

 大きな駅の駅弁業者でさえ、経営難の話は出てくる。大阪駅の駅弁を販売していた水了軒は2010年に事業停止、名前は別会社が引き継いだものの「八角弁当」を除き駅構内での販売は行っていない。仙台を中心として広く駅弁を販売していた伯養軒も、債務超過で事業譲渡が2005年に行われた。

 長期的に見て、駅そばや駅弁は経営が厳しくなる、という状況がずっと続いていた。以前は乗り換えの際にそばを食べていた人も多く、長時間の乗車に備え駅弁を買っていた人もまた多かったが、乗り換えがスムーズになり待ち時間がなくなり、列車乗車時間も短時間になると、駅そばや駅弁が必要ではなくなってしまった。

販路拡大に力を入れる駅そば

 駅弁が販路を拡大する、ということは最近ではよく見られる。

 いっぽう、駅そばはその場で食べてもらうため、そういうことは難しい。

 東京圏では、駅のそばはJR東日本はJR東日本フーズによるものであり、私鉄各社もその社の子会社が運営するお店となっている。例外的に、もともといた業者が店をやっているというケースがあるくらいだ。

 挑戦を続ける駅そばもある。

 山梨県北杜市の小淵沢駅で駅弁を販売している丸政は、駅そばにも力を入れている。小淵沢駅で駅そばを提供するだけではなく、長坂駅や富士見駅でも駅そばを提供している。

 それだけではない。「駅前そば 丸政」として甲府駅北口などで店を構えている。コロナ禍前はほかにも店を出していた。

 都市部でも同様のスタイルは見られる。小田急系列の「箱根そば」は、沿線外にも店舗を出店、フランチャイズ展開も行っている。

 ただ、こういったことは経営側に才覚がないと厳しい。鉄道と密着していた駅そばという業態は、鉄道と関連が深すぎるために、市中の飲食チェーンに比べて動きが難しい。

 鉄道があまりにも変わってしまったために、こういった業態は大きく影響を受ける。その中で音威子府の「常盤軒」は、多くの人に愛され、いままで続けてくることが可能だったのだろう。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

小林拓矢の最近の記事