「クラシック音楽はつまらない」クラシック界の革命家 テオドール・クルレンツィス待望の初来日
現在のクラシック音楽界に新しい風が吹き始め、もう無視することは出来ない。その台風の目である指揮者テオドール・クルレンツィスが、いよいよ2/10から自身のオーケストラ『ムジカエテルナ』を率いてはじめての来日ツアーを行う。
「クラシック音楽はつまらない」と現在のクラシック音楽界に疑問を呈し、音楽を通じて『人間革命』まで目論む夢追い人のクルレンツィスとは一体何者なのか。彼の来日は日本に何をもたらすのだろうか。
クルレンツィスとは何者か?
1972年アテネに生まれたテオドール・クルレンツィスは、母と叔父が教鞭をとるアテネの音楽学校の校舎内で育った。4歳でピアノを始めるが、ピアノの音はあまりにも身近にあり過ぎて、オーケストラの響きに惹かれ、8歳でヴァイオリンを始める。作曲もするが、そのうち、「自分は人と違ったことをオーケストラ譜から読み取れるらしい」と気付き、指揮の道に進む。敬愛するロシア人指揮者イリア・ムーシンに師事するためサンクトぺテルブルグに留学した時、既に晩年のムーシンにはヴァレリー・ゲルギエフやユーリ・テミルカーノフなどの優秀な弟子がいたが、「クルレンツィスは唯一の天才」と特別視していたと言われている。
クルレンツィスの革命
そんな「天才」が最初に活動の拠点として選んだのは、サンクトペテルブルグに残ることでもモスクワから西側を目指すことでもなく、シベリア鉄道で栄えた過去の街ノヴォシビルスクだった。それは、「真実が少ないクラシック音楽界を改革するには古い体制を破壊しなければならないが、既存のシステムが固まっていない土地では破壊せずに改革できるから」だと言う。そこで自分の求めている方向の音楽を実現してくれる仲間を集めてムジカエテルナというオーケストラを作り、徹夜で練習したり、録音したりする自由を得るためにノヴォシビルスク国立オぺラ・バレエ劇場の芸術監督になったのだろう。そうして世に送り出した録音がソニークラシック社長の目にとまり、ソニーと契約。《フィガロの結婚》全曲録音は2014年エコー・クラシック賞を受賞した。
2017年にはムジカエテルナのザルツブルグ音楽祭デビューを果たし、3年連続で当音楽祭の目玉公演を任されている。2018年にはドイツSWR放送交響楽団の首席指揮者にも就任し、今年の夏は彼らをザルツブルグデビューさせる予定だ。
クルレンツィスの何が特別か
まずは、再現芸術であるクラシック音楽が「伝統的な演奏」に縛られている限り、再現する意義を失うと、彼は確信して憚らない。音楽に大切なのは「今、生きている」音楽として生かしてあげること、そのためには、過去に生まれた音楽を、その後の時代の影響をふまえ、発展させたものとして演奏することによって、現代に再現されることの意義を与えられる。大切なのは、常にリノヴェイションしていくことだというのだ。彼の指揮する19世紀のイタリアオペラにビートが効いていて、ロックみたいな部分があったとインタビューで振ると、「音楽に対する愛から湧き出て来るエネルギーのなせる技。ロックはエネルギーがあるけれど、エネルギーがなくなると、クラシックになっちゃうから」と皮肉る。代々受け継がれて来た演奏規範を簡単に覆し、「これが現代に蘇る僕たちの解釈だ」と呈示する姿は、当然反感も買うが、魂に届くと心が震える効果を呼ぶのは嘘がないからだろう。彼ならば、新しいクラシック音楽ファンを生み出せるかもしれない。
音楽はミッション
彼は「音楽はミッション」だと言い、そのミッションには2つのポイントがあるという。1つは彼の音楽によって聴衆を幸せにすること、もう1つは、それによって聴衆をより良い人間にし、自分をより良く知れるように自分自身と対話する機会を与えることだという。彼は「一人ひとりが周りにより良く接することで、それが世界を変えていく力になる」と確信しているのだ。言葉で聞くと「それは理想論だ」と思うのだが、実際に彼の指揮する音楽を聴くと人類愛のようなものを感じる時がある。日本の皆様にも、是非その感覚を味わって頂きたい。
クラシック音楽を使った街おこし
現在彼が芸術監督を務めるペルミ国立オペラ・バレエ劇場はディアギレフ・フェスティヴァルを通して活気づいている。ソ連崩壊後中央集権的になっているロシアの音楽界に一石を投じて、寂れた鉱山の街だったぺルミを「音楽の首都」にする野望を抱いているという。そして本当に、フェスティヴァル期間が終わっても、「ここで音楽を聴いていたい」と移住してくる人が増えているというから驚きだ。その「音楽を通した街おこし」のアイディアは日本でも有効だと彼は話す。今回の初来日は彼の日本での革命の幕開けとなるかもしれない。