メイド・イン・ジャパンが世界へ 今、細川俊夫のオペラが必要とされる理由
「日本人作曲家のオペラが世界の歌劇場のレパートリーに加わる事」は一昔前まで夢物語だった。ギリシャ神話などから発展して400年以上前にイタリアで生まれたオペラ史の長さを見れば、邦楽とは全く異なる西洋音楽が伝わって100年そこそこの日本が肩を並べるのは難しいのは当然だ。しかし、今は細川俊夫作曲のオペラが各地で観られる時代になったのは感慨深い。
2016年ハンブルク国立歌劇場で《海、静かな海》の世界初演に立ち会った。このオペラは福島第一原子力発電所の事故を題材にしたオペラだが、オペラ=歌劇という形式を最大限に生かして、ドイツの観客に原発事故を疑似体験させた。そのドイツは今年、ようやく全原子力発電所の運転を終了させたが、その軌跡に、細川オペラも何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。
そして今回ミュンヘンで新演出されたのは《班女》。2004年、フランスのエクサンプロバンス音楽祭委嘱作品として産声を上げたが、スイスの首都ベルンでも2016年に観ることができた。北米でも2022年に初演されるなど、世界の歌劇場レパートリーとして定着しつつある作品だ。
ミュンヘンではハウス・デア・クンストという大美術館とバイエルン国立歌劇場の初コラボで、「Ja, Mai Festival」という5月祭プログラムの一環として上演された。この美術館はヒトラーがドイツの国家社会主義的芸術を祀る殿堂として建てたという負の遺産を背負うが、それだけにアメリカ占領期を経た後は斬新な表現にオープンな性格を持つ。その西翼ギャラリーに設えられた透明の舞台装置は、夢か現か、という曖昧な境界を体現している。そしてオペラ上演時間外には茶席として使われたのも効果的であった。
14世紀から伝わる能を三島由紀夫がリメイクして1955年に発表した《班女》を下敷きにして作られたこのオペラに対し、ドイツ人は最大の敬意と理解を表していた。もしかしたら日本人より、能や三島由紀夫作品を大切にしているかもしれないとすら思えるほどだ。
オリジナルの能では扇で契りを交わした男の帰りを待ち侘びているうちに正気を失う花子にフォーカスが当たるが、三島由紀夫版には実子という画家が花子に寄せる同性愛も描かれ、丁度ダイバーシティがどんどん広がっている現在のヨーロッパにも旬な物語になっている。
そして細川氏の音楽的アプローチは、東洋的に構築するのではなく、あくまでも西洋音楽に、東洋の要素を散りばめてボーダーを超えた普遍なものにしている。物語や登場人物のドラマチックな感情を超え、観客それぞれに瞑想のように働きかける詩的な音楽に浸った80分が過ぎると、出演者一同は大きな拍手に包まれた。
確かに、裏では様々な議論も飛び交っていた。「演出が詩的な音楽を邪魔している」「横長の美術館ホール両側に観客席を作ったため、演者の背後には拡声した声は届いてもその演技は届かない」「登場人物3人を模すダンサー達の存在価値が見出せない」「音響が悪い」などだが、それも細川氏の音楽と、演奏したミュンヘン室内管弦楽団が素晴らしいからこそのもどかしさだろう。
細川氏は「音楽は哀しみを浄化する」と語る。そのような浄化作用を今ヨーロッパでは必要としている。いや、世界中で、きっと。メイド・イン・ジャパンのオペラが世界を浄化する時代がやって来たのだ。
細川氏の2作目のオペラであるこの《班女》は、2009年に日本で初演されている。今後日本でも、是非頻繁に細川オペラを取り上げて欲しい。そして細川氏にはこれからも、世界で日本を語り継げるオペラを創り出して欲しいと願う。