脱「ステレオタイプ」のヒロイン オペラ界で感じられる「女性像の変化」
女性が男性に随従していた時代に生まれたオペラでは、女性は理想像だったり、悪女だったり、ステレオタイプのヒロインが多く、個々の内面の葛藤が丁寧に描かれていることは少ない。それがこのところ変わって来ているのを肌で強く感じるようになった。その背景として、日本から見れば女性の社会進出が格段に進んでいると思われる欧州でも、トップの政治家や管理職に敢えて女性を選んで男女格差を完全になくそうとしている動きや、一連のme too騒動で、オペラ界のスター達が解雇されたり、降板を余儀なくされたりした事も影響しているのだろう。
新しい女性像が描かれた例として、バイエルン国立歌劇場の2演目を挙げて、考えてみたい。
現在ドイツ、バイエルン州の国立歌劇場で上演されているワーグナー作曲《ローエングリン》は、コルネル・ムンドルツォの新演出だ。現在要注目指揮者であるフランソワ・クサヴィエ=ロトの棒の下、クラウス・フロリアン・フォークトの題名役が楽しみな演目だったが、より深掘りされていた女性達の方が印象的だった。
ヒロインである領主の娘エルザは、弟殺しの罪をきせられるのだが、この演出では集団からいじめられているという設定にすることで、現実離れしたエルザの行動の理由が納得できるように処理されている。追い詰められたエルザの心理状況が、上の写真からも見て取れると思う。
エルザを疑心暗鬼にさせる魔女という設定のオルトルートも、ここでは人間的に描かれており、どこにでもいる普通の女性だからこそ、怖い。それに比べると題名役のローエングリンは表面的だ。衣装を中心に、この演出には批判も集まったが、女性像を生き生きと描いた点では、時代を象徴していると言えよう。1月6日まで STAATSOPER.TVで視聴できるので、詳しくはご覧頂いてからのお楽しみにとっておきたい。
もう1つの例として、演出は変わらなくても、新しい指揮者と歌手が、女性の視点を感じさせることに成功した上演を挙げよう。ヴェルディ作曲《椿姫》はよくご存知の方も多いだろうが、バイエルン国立歌劇場で上演されているのは1993年のギュンター・クレーマー演出版で、筆者も何度も観ているロングラン演出だ。しかし7月の再演では、気鋭の女性指揮者ギエドレ・シュレキーテと、現在最注目株のソプラノ、リゼット・オロペーザをヒロインに迎え、若い女性の目から掘り下げた女性の物語となっていた。
シュレキーテが指揮する消え入るように控えめな序曲は、「無理矢理泣かせよう」という魂胆がない。そして登場する高級娼婦のヴィオレッタは、等身大の女性として愛の告白に胸をときめかせるので、観客も自然に感情移入して、一緒にドキドキしてしまう。
幕が進んでいくうちに悲劇の色が濃くなっていくのだが、それを自然に表現する歌唱力も演技力も持ち合わせているオロペーザは、「尽くして身を引く、時代の犠牲者」ではなく、自分の意思で最後まで真剣に生きた女性像を描き出し、時間も身分も超えた共感を与えた。それをしなやかな棒で支えたシュレキーテと、2人の現代女性の視点が、この古典的悲劇を現代へ移行させた記念すべき上演だったと思う。
その傍で男性陣は陰が薄い。一時は一世を風靡したサイモン・キーンリーサイドも、頑張って、威張って、声を張り上げるほどしらけ、最後は失笑すら漂った。
これからはオペラ界でも、真の意味での女性の時代が来そうな期待が持てる。