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【京都市】左京区 菅原道真公のライバルとしても知られる人物『三善清行卿邸趾』が「岡崎神社」に!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

天神さん(北野天満宮)といえば、学問の神様、文化芸術の神様、厄除けの神様と仰がれる菅原道真公。天皇の信頼を得て異例の早さで出世し、右大臣になった人物です。

朝廷に対する謀反の疑いにより「大宰府」へ左遷されてしまい、無念のうちに逝去した菅原道真。その怨霊を沈める為に947年(天暦元年)に菅原道真を「天神様」として祀ったのが「北野天満宮」です。

「高津商会」の「高津古文化会館」(閉館中)や日本映画の撮影所があった場所でもあります。過去記事参照→『北野天満宮』の近くにあった『法華堂撮影所』と『高津古文化会館』

その菅原道真公と同時期の政治家でライバルとしても知られる人物『三善清行』という人物をご存知でしょうか?

平安前期の学者・政治家『三善清行』は、公卿・漢学者。

経史・詩文に通じ、上奏文の「革命勘文」「意見封事十二箇条」でも知られる「三善清行」。914年に醍醐天皇に自身の意見書を提出した「意見封事十二箇条」は、10世紀前半の国家財政窮乏の原因などを述べ、対策方法を提案した意見書です。

政治意見書として当時の様子をうかがい知れる貴重な資料とされています。

三善清行は平安時代に下級貴族に生まれ、立身出世のために官吏の登用試験を受けますが、結果は不合格。この時の試験官が菅原道真だったことから、道真を逆恨みし、確執が生まれたと云われます。

太宰府への左遷の黒幕にいたのが「三善清行」と言われています。

その「三善清行」が住んでいた場所が、狛ウサギなどで有名な『岡崎神社』の境内にあります。

一条戻り橋でこの世に戻ってきた人として有名である「三善清行」は、陰陽天文に明るかったとも伝わります。

一条戻り橋の案内板には、このように書かれていました。

延喜18年(918)、文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)が亡くなった時、父の死を聞いた熊野の僧「浄蔵」が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていました。浄蔵は柩(ひつぎ)にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠を込めて祈願したところ、不思議にも清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けられたと言われています。

一条戻り橋については過去記事ご参照ください→ 秋分の日は陰陽道で有名な「晴明神社」で『晴明祭』♪

「岡崎神社」についてはまた過去記事をご参照くださいませ。→子授け・安産、縁結び、厄除けの『岡﨑神社』は今年の干支のウサギ尽くし!

「岡崎神社」でかわいいウサギを愛でながら「三善清行」の滞在していた場所を確認しつつ歴史にひたるのも京都ならではの詣で方ですね!

「岡崎神社」
【住所】京都市左京区岡崎東天王町51

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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