こうすれば犯罪はなくなる 犯罪者に狙われない場所をどう作るか
当初無視された犯罪機会論
今や防犯対策のグローバル・スタンダードになった犯罪機会論。しかし、そのスタートは順風満帆ではなかった。
前編はこちら。
1970年代後半から80年代前半にかけて、犯罪学の世界に魅力的な犯罪機会論が現れた。
まず登場したのが、1979年に発表された、ラトガース大学のマーカス・フェルソンを主唱者とする「日常活動理論」である。
それによると、犯罪は、①犯罪の動機を抱えた人、②格好の犯行対象、③有能な守り手の不在、という3つの要素が同時に重なる場所で発生するという。したがって、日常生活における合法的な活動の変化が、犯罪発生率を変化させるというのだ。
この理論は、その後シンシナティ大学のジョン・エックによって、対策に応用しやすい「犯罪トライアングル」へと進化した。
内側の三角形は犯罪を発生させる要素を示し、①犯罪者、②被害者、③場所という3辺から成る。一方、外側の三角形は犯罪を抑止する要素を示し、①犯罪者の監督者(親や教師など)、②被害者の監視者(同僚や警察官など)、③場所の管理者(店主や地主など)で構成される。
フェルソンによると、最初の論文は、投稿した6つの学会誌すべてから不合格と判定されたという。この時代、建築や都市計画でよちよち歩きを始めた犯罪機会論が、まだ犯罪学にはたどり着いていなかったのだ。
犯人に土地勘があるのは当然
日常活動理論が主張するように、合法的な活動が犯罪と密接に関係しているなら、犯罪者の合法的な活動も、犯罪発生に影響を及ぼしているに違いない。
そこに注目したのが、サイモンフレーザー大学のパトリシアとポールのブランティンガム夫妻である。
ブランティンガム夫妻は、1981年に「犯罪パターン理論」を提唱し、犯罪者のメンタルマップ(頭の中の地図)上のサーチエリア(標的を探す場所)と犯行機会が重なる場所が重要だと指摘した。
そして「犯罪者は、おそらく、自宅、職場、買い物や遊びによく行く地区の近くで、または、それらの間の移動ルートに沿って、ほとんどの犯罪を行う。つまり、通常、犯罪は、犯罪者が知っている空間の範囲内で起こる」と主張した。
犯罪パターン理論は、犯罪者の日常活動から犯行地点を推測するという思考の流れだが、それを逆転させ、犯行地点から犯罪者の日常活動を推測するというのが「地理的プロファイリング」である。
地理的プロファイリングは、ブランティンガム夫妻の教え子であるテキサス州立大学のキム・ロスモが開発した。この捜査手法は、今や世界各国で、犯人の居場所(アンカーポイント)を絞り込むのに活用されている。
マスコミは、「警察では、犯人は土地勘のある人物とみている」と、よく報道するが、犯罪者が土地勘のある地域を選ぶことは、40年以上前に、ブランティンガム夫妻が指摘していたのだ。
最大の敵は無関心
さらに、ラトガース大学のジョージ・ケリングが1982年に発表した「割れ窓理論」も、犯罪機会論の進化に貢献した(写真)。
「割れた窓ガラス」とは、管理が行き届いてなく、秩序感が薄い場所の象徴だ。
落書きや散乱ゴミといった「小さな悪」が放置されていると、一方では人々が罪悪感を抱きにくくなり、他方では不安の増大から街頭での活動が衰え、「小さな悪」がはびこるようになる。そうなると、犯罪が成功しそうな雰囲気が醸し出され、凶悪犯罪という「大きな悪」が生まれてしまうというのだ。
ケリングは、かつて自身が訪問した日本の交番が、割れ窓理論のアイデアに結びついたと述べている。確かに交番の役割は、犯人逮捕(犯罪原因論)というよりも、むしろ地域支援(犯罪機会論)である。
割れ窓理論を取り入れて成功した事例は枚挙にいとまがない。そのため、イギリスでは、割れ窓理論が重視する「秩序の乱れ」が、「犯罪および秩序違反法」(1998年)として、法律の名前に採用された。
日本でも、『水文・水資源学会誌』で、水質汚濁が著しい河川の流域ほど犯罪発生率が高いという分析が報告されている。
しかし、割れ窓理論に対しては批判も多い。
例えば、割れ窓理論は軽微な秩序違反を容赦なく取り締まるゼロ・トレランス(不寛容)型の警察活動を推進し、エスニック・マイノリティーを過剰に取り締まる人種差別に結びつくといった見方だ。
しかしケリングは、そして割れ窓理論を実践したニューヨーク市警本部長ウィリアム・ブラットンも、割れ窓理論とゼロ・トレランスとは別物であると明言している。彼らは、割れ窓理論における警察の役割はコミュニティ支援だと言い切っている。
また、静岡県立大学のグループは、実験で落書きを消しても犯罪は減らなかったと報告した。しかし、この報告には、実験者自身が落書きを消したという重大なミスがある。
割れ窓理論が落書きを重視するのは、その背景に地域住民の無関心が見て取れるからだ。つまり、住民自身が落書きを消すよう住民に働きかけなければ、地域の防犯力は向上しない。研究者が落書きを消して、さも住民の関心が高いかのように見せかけても、無関心のシグナルはあちこちで発見されてしまうのだ。
すぐに実践できる犯罪機会論
抽象的な理論を知っているだけでは犯行機会を減らすことは難しい。実際に機会を減らすには、誰でも、いつでも、どこででも理論を実践できる必要がある。そこで私が考案したのが「犯罪抑止の3要素」だ。
まず「抵抗性」とは、犯罪者から加わる力を押し返す性質のこと。言い換えれば、犯罪行為に対抗する強度だ。
抵抗性は、物理的な「恒常性」と心理的な「管理意識」から構成される。
このうち、恒常性とは、一定していて変化しない状態のこと。
高める手法には、ロック、マーキング、強化ガラス、防犯ブザー、非常ベル、防弾チョッキ、イモビライザー、消火器などがある。
一方、管理意識とは、望ましい状態を維持しようという意思のこと。
手法には、リスクマインド、指差確認、整理整頓、健康管理、情報収集、プライバシー保護、避難訓練、護身術などがある。
このように、抵抗性は一人ひとりが高める性能であり、したがって「個別的防犯」の手法と言える。「マンツーマン・ディフェンス」と言ってもいい。
これに対して、「領域性」と「監視性」は人々が協力して高める性能であり、したがって「集団的防犯」の手法である。言い換えれば、ゾーン・ディフェンスだ。
「領域性」とは、犯罪者の力が及ばない範囲をはっきりさせる性質のこと。言い換えれば、犯行対象へのアプローチの難易度だ。
領域性は、物理的な「区画性」と心理的な「縄張り意識」から構成される。
このうち、区画性とは、境界を設けて他から区別されている状態のこと。
手法には、ガードレール、フェンス、ゲート、ハンプ(凸部)、ゾーニング(すみ分け)、チェーンスタンド、フィルタリング、パーティション、センサーなどがある。
一方、縄張り意識とは、犯罪者の侵入を許さないという意思のこと。
手法には、パトロール、民間交番、防犯看板、受付記帳、パスポート、手荷物検査、警備員配置などがある。
区画性が標的への接近を妨げる客観的なバリアなのに対し、縄張り意識は標的への接近を妨げる主観的なバリアだ。
最後に、「監視性」とは、犯罪者の行動を見張り、犯行対象を見守る性質のこと。言い換えれば、犯罪行為が目撃される可能性だ。
監視性は、物理的な「視認性」と心理的な「当事者意識」から構成される。
このうち、視認性とは、周囲からの視線が犯罪者に届く状態のこと。
手法には、ガラス張り、植栽管理、カメラ、ライト、ミラー、モニター付きインターホン、トレーサビリティー、ナンバーディスプレイなどがある。
一方、当事者意識とは、主体的にかかわろうという意思のこと。
手法には、清掃活動、あいさつ運動、一戸一灯運動、花壇づくり運動、ボランティア活動、ルールづくり、市民性教育、投書箱設置、SNSなどがある。
視認性が犯行をためらわせる客観的な視線なのに対し、当事者意識は犯行をためらわせる主観的な視線だ。
リスク・マネジメントのすすめ
日本で「防犯」と言えば、抵抗性を高める取り組みを思い浮かべるのが普通だ。しかし、抵抗性に過度に依存することは得策ではない。
防犯ブザーや護身術といった抵抗性の手法に頼るとき、その人はすでに窮地に追い込まれている。つまり、クライシス(危機)の状態だ。そうなると、想定した通りの行動がとれない可能性が高い。やはり、絶体絶命のピンチに陥る前に、抵抗性の出番がなくなるようにしたいものだ。
それを果たしてくれるのが、領域性と監視性を高める取り組みである。これなら、リスク(危険)の状態にとどまったままでいられる。
例えば、公園は、子ども向けエリアと大人向けエリアをフェンスで明確に分け(ゾーニング)、遊具は子ども向けエリアに、樹木は大人向けエリアに集中させるのが国際標準だ。
そうした公園なら、子ども専用のスペースに入るだけで、子どもも周りの大人も警戒するので、だまして連れ出すことは難しい(日本の子どもの連れ去り事件の8割は、だまされて自分からついていったケースだ)。
防げる犯罪を確実に防ぐには、危機になる前の「リスク・マネジメント」が不可欠である。
「クライシス・マネジメントからリスク・マネジメントへ」というパラダイムシフトを起こすため、「犯罪原因論から犯罪機会論へ」と、人々の関心を移すことが、まずは必要だ。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】