機会なければ犯罪なし 動機に注目しても犯罪を防げない。では、どうする?
不審者って誰?
日本では、防犯を話し合うため人が集まれば、必ずと言っていいほど、「不審者」という言葉が登場する。しかし、筆者が実施した100カ国の現地調査を踏まえるなら、海外では「不審者」という言葉は使われていない。この言葉では、安全と危険を識別できず、差別や人間不信を生むだけだからだ。
「不審者」がまかり通っている背景には、日本の防犯対策が、「犯罪機会論」ではなく「犯罪原因論」に支配されているという現実がある。
犯罪原因論は、犯罪の原因を明らかにしようとするアプローチだが、犯罪の原因は犯罪者の動機にあるので、犯罪の動機を生む「性格や境遇」を重視することになる。「なぜあの人が」というアプローチだ。
このスタンスが、日本の防犯を支配しているが、対照的に、海外では犯罪機会論が防犯対策を担っている。
犯罪機会論は、犯罪の機会を明らかにしようとするアプローチだが、犯罪の機会、つまり犯罪が成功しそうな雰囲気を作り出すのは空間なので、犯行現場になりやすい「場所の景色」を重視することになる。「なぜここで」というアプローチだ。
このスタンスでは、犯罪の動機を抱えた人が犯罪の機会に出会ったときに初めて犯罪は起こると考える。
動機があっても、犯行のコストやリスクが高くリターンが低ければ、犯罪は実行されないと考えるわけだ。
犯罪機会論は、今や防犯対策のグローバル・スタンダードである。
では、どのようにして犯罪機会論は誕生し、どのようにして犯罪原因論を打ち負かしたのだろうか。以下では、「原因論から機会論へ」というパラダイムシフト(発想の転換)を詳しく見ていきたい。
犯罪原因論は有害無益?
ことの起こりは、ニューヨーク市立大学のロバート・マーティンソンが1974年に発表した論文である。マーティンソンは、1945年から1967年までの435件の犯罪者更生プログラムに関する研究を分析し、「少数単独の例外はあるものの、これまでに報告されている更生の取り組みは、再犯に対して目に見える効果を上げていない」と主張した。
この「何をやっても駄目」(nothing works)と考える立場は、「犯罪の原因を特定することは困難であり、仮に特定できたとしてもその原因を取り除くことは一層困難である」ということを根拠としている。
刑務所で行われるプログラムに再犯防止の効果が期待できないとすれば、刑罰の存在意義が揺らぐことになる。
その結果、「犯罪が行われないように罰する」という従来の見方(功利主義的刑罰観)から、「当然の報い」(just deserts)として「犯罪が行われたから罰する」という単純な見方(応報主義的刑罰観)へと、刑罰の位置づけが変わった。
さらに、「犯罪原因論は人権侵害につながる」という批判も現れた。
そもそも、原因が取り除かれるまで収容できる不定期刑の下では、軽犯罪しか行っていない者でも、当局の判断次第で刑務所に長期間入れておくことができる。再犯防止の役割を刑罰に期待する「功利主義的刑罰観」に立てば、そういうことになる。
その結果、量刑の公平性を求める「応報主義的刑罰観」が支持されるようになった。
こうして、犯罪原因論は求心力を失っていったのである。
被害者学の登場
関心が加害者から離れていくにつれ、次なる関心は被害者に向き始めた。それに呼応して、被害者自身も権利を積極的にアピールするようになる。加えて、一般の人も被害者を支援する必要性を感じ始めた。
その結果、加害者を対象とする犯罪原因論が隆盛を極めていた時代には「忘れられた存在」であった被害者を対象とする「被害者学」が台頭した。それは、「加害者から被害者へ」という180度の方向転換であった。
もっとも、当初、被害者学は、被害原因として、被害者の特性を重視し、犯罪原因論と似た発想だった。そのため、このアプローチは、被害者バッシングにつながるとして非難を浴び、その結果、被害原因はライフスタイルの中に求められるようになる。
被害のプロセスを日常生活の中に見出そうとすれば、日常生活の送り方次第では、誰もが被害者になり得る。言い換えれば、日常空間の使い方こそが被害の確率を左右するというわけだ。これはまさに、日常空間を対象とする「犯罪機会論」の前提である。
さらに、犯罪原因論が当然の前提とした、国家と加害者を主役としたシステムにも異議が唱えられた。というのは、システムの外に被害者が置かれていては、被害者の心の傷を癒すことができなければ、被害者の苦痛の大きさを犯罪者に気づかせ犯罪者を改心させることもできないからだ。
そこで、被害者と加害者が直接に話し合う場を設け、裁判官ではなく、コミュニティが話し合いをまとめるシステムが提案された。それは、被害者、加害者、そしてコミュニティという三者間の人間関係の修復を目的とするため、「修復的司法」と呼ばれた(写真)。これもまた、人と人とのつながりを重視する点で、犯罪機会論と共通の基盤に立つ。
こうして、直接的には犯罪原因論の後退によって、間接的には被害者学の台頭によって、犯行空間を対象とする犯罪機会論が歩み始めた。それは、「事後(刑罰)から事前(予防)へ」「人間から場所(景色)へ」というパラダイムシフトだった。
機械仕掛けの街は危険?
「犯行機会」の重要性を最初に指摘したのは、アメリカの著述家・運動家ジェイン・ジェイコブズだ。ジェイコブズは、1961年に『アメリカ大都市の死と生』を著し、当時の都市開発の常識であった「住宅の高層化」に異議を唱えた。
高層住宅は、「近代建築の父」と呼ばれるフランスのル・コルビュジエが提唱した都市計画の手法である。そこでは、密集した住宅を高層化することで、緑豊かなオープンスペースを新たに作り出すことが目指されていた。だがジェイコブズは、そうした機械仕掛けの都市は犯罪を誘発すると警鐘を鳴らしたのである。
彼女によると、都市の安全を守るのは「街路への視線」だという。そして、①視線を注ぐべき公共の場所と視線を注ぐべきではない私的な場所が明確に区別され、②路上が見える窓や道路沿いの店がたくさんあり、③近所付き合いによって住民が見て見ぬふりをしなければ、街路への視線は確保されると主張した。
この主張には、犯罪機会論の二大要素である「領域性(入りにくさ)」と「監視性(見えやすさ)」が含まれている。犯罪学者でもないのに、ジェイコブズが犯罪発生のメカニズムにいち早く気づくとは驚きだが、専門家ではなかったからこそ、当時、常識だった犯罪原因論にとらわれなかったのだろう。
防犯環境設計の衝撃
ジェイコブズの予見通り、「住宅の高層化」の象徴であったセントルイスのプルーイット・アイゴー団地(テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルと同じミノル・ヤマサキによる設計)は犯罪の巣と化し、爆破解体されてしまった(写真)。
この惨状を目撃していたのが、ワシントン大学の建築家オスカー・ニューマンである。彼はニューヨーク大学に移った後、1972 年に『防御可能な空間:防犯都市設計』を著す。ジェイコブズが景観の中に見出した防犯の要素は、ニューマンによって建築へと具体化されたわけだ。
この理論からスピンオフしたのが「防犯環境設計」である。
もっとも、防犯環境設計という言葉は、ニューマンが前述書を著す前年に、フロリダ州立大学のレイ・ジェフリーが作り出した。
しかし、防犯環境設計は、ニューマンの理論を基礎にして発展することになる。
状況的犯罪予防の提案
アメリカで防犯環境設計が産声を上げたころ、イギリスでも犯罪機会論が芽を吹いた。その中心にいたのが、内務省の研究官ロナルド・クラークである。
クラークの研究は、1976年に内務省の報告書『機会としての犯罪』として実を結んだ。これが「状況的犯罪予防」の発端である。
その基礎は、「犯行による利益と損失を計算し、その結果に基づいて合理的に選んだ選択肢が犯罪」という、ノーベル賞経済学者ゲーリー・ベッカーの「合理的選択理論」だ。
この視点から、クラークらは、1980年に内務省の報告書『デザインによる防犯』を出版し、状況的犯罪予防の手法を示した。その手法は、大きく5つのグループに分類される。
第1は、犯行を難しくすること。具体的には、イモビライザーによるエンジンの強化、身分証によるアクセスコントロールなどだ。
イギリスで販売されている突き刺せないキッチンナイフ(写真)もここに属する。先端を丸めているため、人を深く突き刺せず、殺人は難しい。
第2は、捕まりやすくすること。手法としては、警備員やビデオカメラなどによる監視、内部告発者の支援、学校制服の採用などだ。
第3は、犯行の見返りを少なくすること。現金取り扱いの廃止、盗品市場の解体、落書きの消去などがこれに該当する。
第4は、挑発しないこと。例えば、混雑を緩和するため座席数を増やしたり、料金をめぐるトラブルを回避するためタクシー運賃を定額にすることだ。
第5は、言い訳しにくくすること。そのためには、ルールや手続きを明確にしたり、注意事項を掲示することが必要だ。
手法の開発に取り組んだ研究官の一人ポール・エクブロムは、内務省からロンドン芸術大学に移り、状況的犯罪予防を取り入れた製品デザインを次々と発表している。
こうして、犯罪機会論は英米で動き始め、両国は互いに独立して、しかし同じ方向に犯罪学を進化させた。1970年代のことである(続く)。
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