【大河ドラマ光る君へ】花山天皇を上回る?父帝・冷泉天皇の「奇行」エピソード
大河ドラマ「光る君へ」第4回「五節の舞姫」では、本郷奏多さん演じる花山天皇がついに即位しました。花山天皇は、冷泉天皇(諱は憲平)の第1皇子として、この世に生を受けますが、花山の父・冷泉天皇も我が子と同じように「奇行」があったとされます(ちなみに、花山には、即位式の日に、高御座に内侍を引き入れて良からぬ行為をしたとの逸話が伝来しています)。先ず、簡単に冷泉天皇の経歴について触れておくと、冷泉は天暦4年(950)の生まれです。父は、村上天皇(その第2皇子)。母は、藤原師輔の娘(安子)。村上天皇は、康保4年(967)に崩御されますが、それに伴い、憲平親王が即位、天皇となるのでした。在位期間は約2年、安和2年(969)に弟の守平(円融天皇)に譲位することとなります。
花山天皇の即位式での振る舞いに関する逸話は前述しましたが、冷泉天皇の即位は紫宸殿(内裏の正殿)にて行われました。鎌倉時代初期の説話集『古事談』には、即位式は「神妙」、滞りなく済んだと書かれてはいますが「主上(冷泉)が普通ではないので、大極殿において(即位式を)行っていたら、きっと見苦しいことになっていただろう」と記載されています。即位式が無事に済んだのも小野宮(藤原実頼)の功績であると同書には書かれています。
さて、では冷泉天皇の「奇行」とはどのようなものだったのでしょう。『大鏡』(平安時代後期に成立した歴史物語)には、火災に遭われて逃げる際に、御車の中で高らかに神楽歌を御歌いになったとあります。その御歌に応えるように、高階明順が「庭火、いと猛なりや」(庭火がとても燃えている)と返したので、多くの者が笑ったと記されているのです。冷泉天皇には他にも、足を怪我しても治療をせず、蹴鞠に耽ったなどの話が伝わっています。冷泉天皇の奇行は、物怪が憑いているからだという説(『大鏡』)もあります。
しかし、筆者からしたら、花山天皇の逸話の方が奔放のように感じます。また、注意しなければいけないのは、花山天皇と同じく、冷泉天皇の様々な「奇行」エピソードも、後世に創作されたものもあるということです。皇統はその後、冷泉天皇の系統から、円融天皇の系統に移行しますが、その事も奇行エピソードが創出された要因かもしれません。