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「イスラーム国」の「カリフ」殺害で考えるべきこと

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年2月3日、アメリカのバイデン大統領はアメリカ軍の特殊作戦によりシリアのイドリブ県で「イスラーム国」の自称「カリフ」のアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーを殺害したと発表した。この件については、アメリカの内政・外交やバイデン政権の業績と関連付ける論評が出ている。また、今後の見通しとして、世界各地で活動する「イスラーム国」の「州」にはそれほど大きな影響は出ず、「イスラーム国」の脅威は続くとの見通しも表明されている。確かに、世界各地の「州」は日常的な活動の一つ一つで「カリフ」にお伺いを立て、決定を仰ぐようなことはしないだろうから、現在の諸「州」の活動がこれによって直ちに止まることはあり得ない。しかしながら、この種のできごとについて毎度お決まりの通り“「イスラーム国」の脅威は残る”と論評することだけでは、おそらく専門家や報道機関の仕事をしたことにはならないだろう。

 確かに、「西アフリカ州」を名乗るサヘル地域での活動や、「中央アフリカ州」を名乗るモザンビークやコンゴでの活動は抜本的な対策をとることが不可欠な状態にまで至っているようだ。つまり、「イスラーム国」の脅威が今後も残るのならば、同派の活動の現状をどのように評価し、「脅威を低減させる方法」は何なのかを提起するところまでやってくれないと、シロートのお茶飲み話とたいして変わらないということだ。本稿は以上の問題意識の下、イスラーム過激派を根絶し、少なくともイスラーム過激派を担当する専門家や治安担当者を(筆者も含めて)ことごとく失業させるという筆者の目標を達成するための歩みの一部とするためのものである。なお、ハーシミー・クラシーの殺害については、現時点で「イスラーム国」から何の情報も発信されておらず、殺害情報を「確定」として扱うことには問題もある。もし「イスラーム国」がちゃんと機能しているのならば早晩同人の生死を確認できる情報が発信されるだろう。「イスラーム国」が本件に対しいつどのように反応するかも同派の現状を評価する重要な着眼点である。

なんで自称「カリフ」は二代続けてシリアのイドリブ県で殺害された?

 「イスラーム国」の追跡や掃討のための重大なヒントは、同派の自称「カリフ」が二代続けてシリアのイドリブ県に潜伏した挙句に、アメリカ軍によって殺害されたことにある。シリアのイドリブ県といえば、2015年以来悪の独裁政権から解放された「反体制派」による「解放区」である。つまり、今回、そして先代の自称「カリフ」アブー・バクル・バグダーディーの殺害の際(2019年10月)も、そして「イスラーム国」が増長を極めていた2014年~2015年の時期も、同地は「イスラーム国」に占拠されていなかったのだ。つまり、自称「カリフ」を含む「イスラーム国」の幹部やその家族にとって、最も安全に潜伏できる場所はイラクやシリアにおいて同派が活動していたり同派の拠点が残存していたりすることになっている地域ではなく、そしてもちろん「イスラーム国」が勢力を伸ばしていることになっているアフガニスタンでもナイジェリアでもコンゴでもモザンビークでもなく、シリアの「反体制派」の占拠地域なのだ。シリアの「反体制派」は実質的にはシリアにおけるアル=カーイダである「シャーム解放機構」(旧称:ヌスラ戦線)である。ヌスラ戦線は、「イスラーム国」がシリア紛争に便乗して勢力を伸ばすためのフロント団体としてこの世に姿を現したが、2013年に「イスラーム国」と喧嘩別れした後は同派と敵対しているはずだった。ところが、現実の問題としては2014年の半ば過ぎから両者は直接交戦することがなくなり、シリア紛争の文脈ではシリア政府とその同盟者を挟撃する立地に活動地域を「住み分け」ていた。

 となると、バグダーディーとハーシミー・クラシーを家族ともども占拠地に潜入させ、安穏と生活させていたという事実は、「シャーム解放機構」が占拠地域を管理できていないという間抜けさ加減の問題ではなく、そうと知った上で見逃していたという問題だろう。今般のアメリカ軍の作戦については、ハーシミー・クラシーと共に「シャーム解放機構」の幹部が殺害されたとか、「シャーム解放機構」にはトルコ経由で事前に作戦が通知されたとかの憶測記事も出回っている。トルコはイドリブ県における停戦やイスラーム過激派対策で「反体制派」側を統制することになっている当事者なので、「イスラーム国」の自称「カリフ」が二代続けて同県に潜伏していたことに全く責任がないとは言えない。つまり、「イスラーム国」の追跡と掃討においては、シリア紛争の「反体制派」の占拠地域こそがテロリストの楽園としてのガンであり、ここをちゃんと管理することこそが世界的なイスラーム過激派対策のカギでもあるということだ。アメリカの行動についても、もし「イスラーム国」の自称「カリフ」をアメリカの内政・外交上の事情や政権の実績作りのような事情で「いつでも」殺害できる状態で泳がせておいたというのなら、とても奇妙な動きといえる。

自称「カリフ」の殺害には重要な意義がある!

 筆者としては、過大評価は禁物ながらハーシミー・クラシーの殺害には重要な意義があると考える。「イスラーム国」は、同人の生死について速やかに情報を発信し、殺害が事実ならば迅速に「次」を擁立して世界各地の手下どもに「忠誠表明」をさせなくてはならない。ハーシミー・クラシーは、自称「カリフ」として働いていることを示す動画も音声も発信できないままなので、「イスラーム国」の構成員たちは、同人、そして「次」があるのなら「次」の自称「カリフ」についても何をしているのかもどこの誰かもよくわからない者に対し「カリフ」として「忠誠表明」をしなくてはならない。自称「カリフ」の価値は相当落ちるのではないだろうか。また、自称「カリフ」やそれに類する幹部を短期間のうちに殺害なり逮捕なりしていけば、組織の運営や統制には確実に打撃となる。「イスラーム国」の広報活動は既に効果的な統制機能を喪失した低迷状態にあるが、ここで活動に必要な威信や資源を募るための象徴として役に立たなくなれば、世界のイスラーム過激派の者にとって「イスラーム国」の看板も役に立たなくなるだろう。

 自称「カリフ」の殺害に伴うものかどうかはさておき、最近「イスラーム国」関連の情報の発信と流布に深刻な問題が生じている。2022年2月6日付で、普段「イスラーム国」の広報作品が流布する経路で、同派の「声明」の書式に則って、“「イスラーム国」の傘下の機関・媒体を通じて発信されていない文書・音声・動画は「イスラーム国」やその諸州を代表していないので、(視聴者は)これに反応したり、これを流布したりしないように。”と述べる文書が出回ったのだ。この種の呼びかけ・文書が筆者程度にわかるように発信されるということは、「イスラーム国」やその支持者・ファンの間でいかがわしい作品やいんちき記事・情報の流布が相当深刻な問題となっている証拠に他ならない。自称「カリフ」は「イスラーム国」の活動を統括・象徴する存在なので、作戦行動や広報、その他の活動で世界各地の「州」の統制や調整がちゃんとできなくなるのは同派にとっては死活的重大問題だ。

 「イスラーム国」対策のカギは、同派の幹部にとって最も安全な潜伏先と化したシリアにおける「反体制派」の解放区である。ここへのヒト・モノ・カネの移動や、ここからの情報発信こそが、「イスラーム国」の脅威を低減させる上で最重要の問題だ。この件については、この場所を占拠する「シャーム解放機構」への対策が不可欠であり、その当事者としてのトルコ(とアメリカ)の責任は重大だ。また、活動を統制・調整する立場の幹部を短期間のうちに続けて殺害(もちろん生け捕りが最も望ましい)することは「イスラーム国」にとって甚大な打撃となる。広報分野での形式的なものであったとしても、「イスラーム国」を名乗る諸派が何か連携して活動している状態はまさに「脅威の増大・存続」を象徴する。そうした連携を断ち、「イスラーム国」を称する活動を地域・国単位の個別の武装勢力にしていくことは、極めて有効な措置だろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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