気候変動に立ち向かう 異なる「文明観」との対話を(日経新聞「今を読み解く」より)
6月24日、首都圏に大量に降った雹(ひょう)が人々を驚かせた。この夏は冷夏の予報から一転して、西日本や関東で猛暑の様相を呈している。去年も記録的な猛暑にくわえ、「これまでに経験したことがないような大雨」の警報が相次いだ。
このような近年の異常気象の増加の背景にあると指摘されるのが、気候変動(地球温暖化)問題である。人間活動により二酸化炭素などの温室効果ガスが大気中に増加しており、その影響で地球の気温が長期的に上昇している。
昨年から今年にかけて、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、最新の報告書を発表した。その執筆者の一人である鬼頭昭雄著『気候は変えられるか?』(ウェッジ・2013年)は、気候変動と異常気象の関係を基礎から説明している。地球の気候状態は変動するのが自然であり、世界のどこかで異常気象が起こるのは「正常」なことである。しかし、近年は正常な頻度を超えて極端な高温などが生じており、気候変動が進めば高温や大雨がさらに増えることが予測される。
●抑制策は適切か
西岡秀三ほか監修『気候変動リスクとどう向き合うか』(金融財政事情研究会・14年)では、このような異常気象の増加をはじめとする気候変動の悪影響を我々の社会生活や企業活動に対する「リスク」として捉え、それにどう対応するかについて多くの専門家が多面的に論じている。その中心課題は、変化する気候に我々の社会を対応させていく「適応策」の計画的な実施である。政府の審議会でも昨年度から国の適応計画の策定に向けた議論が始まっている。
気候変動の影響は、地球規模で長期に及ぶが、実感を持ってそれを想像することは難しい。ハイディ・カレン著『ウェザー・オブ・ザ・フューチャー』(熊谷玲美訳、シーエムシー出版・11年)では、気候科学の博士号を持つ科学コミュニケーターである著者が、気候変動の影響が顕著に表れると考えられる世界の7つの地域について、2050年までの「未来の天気」を描写している。カレンは終章において、気候変動を抑制するために人類による二酸化炭素排出量の大幅な削減の必要性を訴えている。
一方で、気候変動リスクはそれほど深刻でないという指摘もある。IPCCで気候変動政策に関する執筆に携わった杉山大志著『環境史から学ぶ地球温暖化』(エネルギーフォーラム新書・12年)は、過去の気候の自然変動に対する人間社会の適応と、人間による自然改変の歴史をひもとき、当面の気候変動により起こると予測される影響はどれもこれまで人間が経験してきた範囲のものであり、適応策により問題無く対処可能であると主張する。杉山から見れば、社会は気候変動リスクを大げさに心配しすぎであり、そのために温室効果ガス排出削減対策が過剰に推進されている。
●「産業主義」の評価
このような対立する主張が現れるのはなぜだろうか。その鍵は気候科学よりもむしろ政治学に見いだせる。J・S・ドライゼク著『地球の政治学』(丸山正次訳、風行社・07年)では、環境をめぐる言説を5つに分類しているが、その最も重要な軸といえるのは現在の「産業主義」政治経済をどう見るかである。産業主義の限界を認識し、何らかの変革の必要性を信じる人たちにとって、気候変動リスクは我々の文明が限界に近付いていることを示すシグナルにほかならない。一方、産業主義には何の問題もなく、今のシステムのまま無限に成長可能だと信じる人たちにとっては、気候変動リスクは経済成長と技術進歩によって乗り越え可能なさざ波にすぎない。
未来は不確実であるため、単純にどちらが正解とは言い難い。気候変動リスクに対する社会の態度を決定するには、このような異なる文明観の存在を認め、その間で本質的な対話を行う必要があるだろう。適応策の実施については合意が比較的得やすいだろうが、温室効果ガスの大幅削減についてはより深い議論が必要とされている。
初出:日本経済新聞 2014年8月10日朝刊