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「ポスト金正恩」候補の呼び声高き金与正氏 かすかに聞き取れた低いトーンの美声

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
筆者が入手した、スマホを操作する金与正氏の写真(一部加工)

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の動静が20日間途絶えた際、本人と同様に注目されたのが実妹・金与正氏だ。最近は自身名義の談話を発表したり、党最高幹部の列に加わって住民の前に現れたりして、北朝鮮での政治的影響力を徐々に高めている。

◇やや低めの落ち着いた声

 筆者は平壌で撮影された金与正氏の映像を入手した。そこには、ほんの一瞬ではあるが、金与正氏の肉声が収録されている。会食場での懇談の場面とみられ、聞き取りにくいが、何かの質問に答える形で「ネェー(はい)」という言葉を発していた。やや低めの落ち着いた声だ。柔和な表情で出席者と談笑し、快活な様子で言葉を交わしていた。

会話を交わす金与正氏(映像より筆者キャプチャー)
会話を交わす金与正氏(映像より筆者キャプチャー)

 かつて党宣伝扇動部や書記室で幹部を務め、金委員長が国内行事に出席したり外国首脳らと会談したりする際、金委員長の近くで補佐する様子が外国メディアのカメラに捉えられていた。金与正氏は、金王朝の血を引く「白頭血統」という点に加え、各種業務に対する積極性や判断力で評価を得ているとされる。

 北朝鮮国内では「金委員長の妹」と伝えられたことはないが、住民らは国外の情報などからある程度承知しており、「何か充実感を覚えた時に見せる表情が父親(金正日総書記)の若いころに似ている」(北京駐在の北朝鮮関係者)という感想もあるようだ。

 また、2018年の平昌五輪を機に金委員長の「名代」として韓国に派遣された際、同行していた90歳の金永南最高人民会議常任委員長(当時)に席を譲ろうとすると、金永南氏が逆に「先に座ってください」という素振りを見せる場面があり、金与正氏に秘められた「白頭血統」の権威を強く印象づけた。

 金与正氏は金総書記に寵愛される一方、金総書記が存命のころから政治に関心を持っていたといわれる。

 韓国政府の元高官は韓国紙・中央日報に「金総書記は生前、金与正氏について『鼻毛があったなら権力を譲っただろう』と話したことがある」と伝えた。つまり男であれば、金正恩氏ではなく、金与正氏を後継にすえる可能性もあったという意味だ。

 北朝鮮は残念ながら、極端な男中心社会であり、金与正氏が最高指導者となって軍を統括するのは困難といわれる。したがって、現状では金与正氏が後任の指導者となるのは考えづらい。

◇「悪いのは“中野学校”だ」

 金与正氏は1980年代後半に生まれ、幼いころに兄とともにスイス・ベルンで過ごし、公立の小学校で学んだ。

 金与正氏の性格を象徴するのが、情報当局者の間で共有されている次の話だ。

 1990年代前半に金正哲、金正恩両氏の兄2人がブラジル旅券で来日し、東京ディズニーランドを訪問した。この時、金与正氏についても在オーストリア日本大使館でビザが申請されたが、日本側に何らかの情報が入り、拒否された。当時、金与正氏は10歳に満たない年齢だった。「金与正氏は負けん気が強く、『お兄ちゃんばかり行ってずるい。悪いのは“中野学校”だ』と怒った」(ある情報当局者)。「中野学校」とは、金総書記の専属料理人だった日本人の藤本健二氏(仮名)を指す――。

 留学が終わり、帰国後は金日成総合大学に入学して物理学を学んだといわれる。

 2011年12月17日に金総書記が死去した際、錦繍山記念宮殿(当時)を訪れ、金正恩氏や党最高幹部の列に加わって金総書記の霊前に哀悼の意を表しているのが確認された。

 金正恩体制になってから次第に政治活動に加わるようになり、党中核機関である宣伝扇動部の副部長を務める一方、党での地位も中央委員、政治局員候補と上がっている。

 ただ、2019年2月に米朝首脳会談が決裂したあと、動静が一時途絶えた。韓国側の情報によると、金与正氏は、南北関係で成果をあげていた金英哲党統一戦線部長(当時)を米朝交渉でも統括させるよう金委員長に助言したとされる。ところが金英哲氏が指揮をとったその米朝首脳会談は決裂し、金与正氏は責任を取って「40日間の事業停止(活動停止)」の処分を受け、政治局員候補からも解任されたという。

 復活後は再び露出を強め、現在は党の核心機関である組織指導部の第1副部長を務める。今年3月には、金与正氏名義の談話を初めて発表し、韓国大統領府を強い言葉で非難すると同時に、国政運営に強く関与している点を印象付けた(参考資料:融和イメージから一転、北朝鮮の「姫」金与正氏が韓国に「差し出がましい」)。今年4月に開かれた党政治局会議では再び政治局員候補に選出され、権力中枢での地盤を固めた。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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