ウクライナに史上初めてアメリカの液化天然ガスが届いた。ガスの逆流で、ロシアのガスが欧州から消える時
12月27日、ウクライナは史上初めてアメリカから液化天然ガス(LNG)を受け取った。
LNGを搭載した船は、アメリカのルイジアナ州から、地中海経由でギリシャの港に到着した。約1億m3のガス(1テラWhに相当と言われる)を積んでいた。
ギリシャの再ガス化ターミナルを経て、パイプラインでウクライナに輸送される。
来年1月1日に、ロシアから欧州連合(EU)域内へ、ウクライナを経由して届くガスの輸送契約は終了。ウクライナが更新しない事を決めている。
そのような日がやってくる数日前に、アメリカからのLNGの第一便は到着した。
エネルギーは国の運命を左右することを、日本人は太平洋戦争で自国の体験で知っている。何世紀もロシアに依存していたウクライナが、ロシアを断ってアメリカへ、西側へと向きを変えた、歴史上、象徴的な出来事と言えるだろう。
この1億m3のガスは、ウクライナの民間エネルギー企業DTEKが購入する。ギリシャの国営天然ガスシステムオペレーターのデータによると、DTEKはガスの約10分の1を保有し、残りはギリシャ企業に転売されるという。
ウクライナでは、ロシアによる大規模な攻撃が続いており、EU諸国から緊急に電力輸入を増やしている。クリスマスの日の攻撃では、50万人以上が暖房、水、電気を利用できなくなった。
ロシア発ウクライナ経由のガスを止めるのに反対であるスロバキアのフィツォ首相は、27日、ガス輸送を停止すれば報復として、ウクライナへの電力供給を止めると脅した。
それに対し28日ゼレンスキー大統領は「脅迫だ」と非難、ロシアのプーチン大統領の命令でフィツォ氏が「第2のエネルギー戦線」を開こうとしているとSNSのXで主張した。二人の大ゲンカは続いている。
参考記事:ロシアからのガスが年末で停止。解決への奇策と、ウクライナとスロバキアの大げんか。EUはどう動くか
DTEKの最高経営責任者マキシム・ティムチェンコ氏は、述べた。
「このLNG貨物の到着は、ウクライナとヨーロッパのエネルギー安全保障の強化に役割を果たすという、DTEKの決意を明確に示すものです」
「この地域に柔軟で安全な電力源を提供するだけでなく、ロシアのエネルギーシステムに対する影響力をさらに弱めています」
「ヨーロッパのエネルギー安全保障に戦略的に貢献している米国に、私たちは非常に感謝しています」と。
「垂直回廊」を通ってウクライナへ
さて、このLNGは、どのようにウクライナに運ばれるのだろう。
(天然ガスはもともと気体であり、気体として使われる。海上輸送するために液化されるが、再び気体化=再ガス化 する必要がある。パイプラインの中を通っているのは気体である)。
戦争で黒海に直接LNGで運ぶことは出来ないし、そもそもウクライナは再ガス化ターミナルをもっていない。
ウクライナ企業DTEKは公式ホームページで、ギリシャのアテネ近郊にあるレヴィソーサLNGターミナルなどで再ガス化されたあと、ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、モルドバ、ウクライナの間でガスを輸送する垂直回廊イニシアチブなどの国境を越えたパイプラインを使用するだろうと述べている。
このアメリカのLNGが朗報となるのは、ウクライナだけではない。現在、エネルギー問題で非常事態宣言が出ているモルドバにとっても大きな恩恵となるのだ。
モルドバでは12月13日、ウクライナ経由のガスが止まる2025年1月1日を見越して、全土に60日の国家非常事態宣言を出した。
実際、専門家の間では、ウクライナ経由のガスが止まって一番困るのは、モルドバ(沿ドニエストル含む)だと言われてきた。EU加盟国ではスロバキアやハンガリーなどのように影響を受ける国はあるが、前々から各国もEUも対策を講じてきたので、大きな問題にはならないだろうという見立てが主流である。
しかし、小さい国であり、EU加盟国ではないモルドバは、ロシアが実行支配している沿ドニエストル問題も抱えているために、大規模な停電などが起きる可能性があると言われている。
今まで露ガスプロムは、実質上、年間20億立方メートルのガスを無償で供給してきた。しかしそのガスは2022年以来、モルドバの親EU米政府と沿ドニエストルとの合意により、すべて沿ドニエストルに流れているのだ。それも止まってしまう。
一方で、モルドバのレチェアン首相は「この国の歴史の中で、エネルギー供給停止の脅威にさらされるのは、これが最後の冬に違いない」とも言っている。
近い未来に変化の希望と確信があるのだ。それは何だろう。それこそが「垂直回廊」なのである。
ガスの逆流
「垂直回廊イニシアチブ」とは何だろうか。
ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーは2016年に、既に存在している各国間を渡るガスパイプラインに関して、双方向輸送を可能にする、つまりガスの逆流も可能にするのに必要なインフラを開発することに合意した。
これらのパイプラインは、ロシアから来るガスを北から南へ、東から西へ、かつてソ連の衛星国だった東欧のEUの国々に送るために使われていた。これを逆流させようというのだ(下図参照)。
どこから逆流するのだろうか。地中海の港から、ギリシャからである。南から北へ。ギリシャに船で届くLNGを、再ガス化して送るのである。
この回廊は、EUの天然ガスのルートと供給源を多様化するという目的を背景に、2014年にブリュッセルで概略が描かれた。
2017年には、EUでこの計画を円滑に運ぶための規則、特にEU全体のすべての相互接続ポイントで、容量割り当ての調和を達成するための規則が、EUで設定された(CAM NCという)。
「垂直回廊」ガスパイプラインは、2年以内に全面的に稼働する見込みと言われている。
既に、もう一部は稼働している。数日前、27日にアメリカからギリシャに届いたLNGは、垂直回廊をとおり、主にハンガリーを通ってウクライナへ、そしておそらく一部はモルドバに到達することになるだろう。
今後は、北欧やバルト3国まで延長する計画もあるという。
垂直回廊の現在の状況
現在、参加各国の9つの事業者が、ネットワークの改良作業を進めている。
これにより、ガスパイプラインの年間輸送能力は、現在の20億m3から100億立m3に増加する予定だという。
垂直回廊のプロジェクトは、ギリシャの天然ガスシステムオペレーターであるDESFAが主導しているようだ。
。ギリシャ国内だけではなくブルガリアでも開発が進められ、モルドバとウクライナでは小規模な投資が進められているという。
「進行中のプロジェクトは今後12~18ヶ月以内に完了する見込みです」と、DESFAのマリア・リタ・ガリCEOは11月、ギリシャ・パビリオンで開催されたCOP29のイベントで述べた。
ギリシャにLNGで到着するガスの受け入れも、大幅に大きくなる。
今回アメリカのLNGが到着したのは、同社のレヴィソーサLNGターミナルだった。現在ではこれがギリシャで唯一の設備なのだが、まもなく同国北東部のアレクサンドロポリで、浮体式LNG貯蔵再ガス化設備(FSRU)が稼働するという。
ギリシャのLNG輸出能力は、2025年末までに3倍に増加する見込みで、ヨーロッパ向けのガス供給の中継基地としてさらに重要な位置づけとなることが期待されているという。
しかし、現状では、まだ輸送量は足りない。だからこそ、前の記事で書いたように、アゼルバイジャン産ラベルでロシアのガスを輸入するとか、ウクライナが支配しているロシアのスジャでガスを買ってハンガリー産ラベルにしてしまうなどという話が出てくるのだろう。
(ただ、複雑なガス世界とはいえ、スジャで買うという話は、あまりにもあからさまというか、うさんくさすぎる印象だ)。
しかし、それらも政治的なジェスチャーかもしれない。スロバキアのフィツォ首相はプーチン大統領を訪問したときに、同国はロシアとウクライナの和平交渉を仲介する用意があると語った。なぜなら同国は中立の立場だからだ、ということだ。
バルカン横断パイプラインとの統合
ガスの逆流計画は、もう一つある。
上掲図にある「バルカン横断パイプライン」である。
2024年1月のことである。ウクライナ、モルドバ、スロバキアが、この垂直回廊の構想に正式に加わったのだ。
この新たな参加の意義は、垂直回廊と、バルカン横断パイプラインの統合である。
上掲図を見ていただければわかるように、もし実現すれば、ガスはギリシャからブルガリア、ルーマニアまでは同じだが、その後さらに東に進み、直接モルドバ・ウクライナへと運ばれることになる(バルカン横断パイプライン)。
それだけではなく、ぐるっと周って、ギリシャ発のガスが、ウクライナを通ってハンガリーやスロバキア、ポーランドに入ってくることもできるのだ。1月1日よりロシアからのガスが流れなくなるパイプラインを使うことができる。
バルカン横断パイプラインが設計・建設され始めたのは、ソビエト連邦の時代だった。
目的は、ソ連国内の共和国の天然ガスを、ソビエト・ウクライナ共和国経由で、ソビエト・モルドバ共和国、そして衛星国のルーマニアとブルガリア、さらにはトルコに送ることだった。
1998年に完成したとき、もうソ連は存在しなかった。
それを今、逆流させようと、EUも資金援助をして計画が進んでいる。
ただ、バルカン横断パイプラインの逆流の全面的な実現には、まだかなりの時間がかかりそうだ。ガスの逆流とは、元々双方向が可能につくられているのでなければ、そう簡単にできるものではない。技術的な問題、規制の問題、経済的な問題などが沢山あるのだ。
それでも、既に部分的には逆流は実現している。2022年12月には、初めてこのルートを通って、モルドバに430万m3のガスが輸送されたのだ。
今年の9月にEUの財政支援を受けた「エネルギー・コミュニティ」が、『バルカン横断パイプライン・システムの商業的魅力の向上 分析および勧告報告書」の最終版を出したので、これから一層進んでいくに違いない。
ウクライナが東に決別して、西に組み込まれる時
EUは戦争前、ロシアの天然ガスを年間1550億m3買っていた。2021年には全体の輸入量の約45%がロシアからの輸入であった。これを2030年までに全部無くそうと、米国から年間500億m3を輸入する計画を立てた。
実際2023年には、米国から562億m3のガスを輸入、計画以上を買っている。
そして、もう1ヶ月も経たないうちに、トランプ氏が大統領に就任する。「掘って掘ってベイビー掘りまくれ」と叫び、対米貿易黒字を相殺するために、EUにアメリカからのガス・石油をもっと買うべきだと主張、できなければ関税に直面すると警告した。
EUは、残り約1000億m3を補うのに、供給先の多角化と、再生エネルギーの推進を計画していた。しかし、様々な困難がある。トランプ氏の乱暴な姿勢はともかく、彼がEUへ供給を増やしたいと思っているのは、まさに渡りに船、渡りにLNG船なのかもしれない。
逆にロシアは、ウクライナ経由では65億ドルの収入を得ていたが、失おうとしている。
約1年前、筆者は「ドイツが初めてガスのパイプラインで、アフリカ大陸と連結した」という記事を書いた。あのアフリカのガスも、今まで北から南へとロシアのガスを輸送していたパイプラインが、逆流する話だった。
そして今、ガスはアメリカからギリシャへと届き、やはりパイプラインを逆流して南から北へ、南から北東へと輸送されようとしている。
2023年、ロシアからのガスは、EUガス輸入の15%でしかなかった。たった2年でこれほど減らせるとは。ウクライナ経由のガスが無くなり、来年はもっと減ることになる。欧州からロシアのガスが無くなるのは、時間の問題だろう。
EUの底力と、アメリカの力を前にして、ロシアは再び負けるのだろう。
なぜロシアは負け続けるのか
バルカン横断パイプラインは、前述したように、元々ソ連がつくったパイプラインである。しかし、今は忘れられたようなラインになっていた。
2000年代になると、ロシアとウクライナの関係が不安定化し始めて、ウクライナのガス輸送が安定性を欠くようになった。そのために、同国を通らないルートが求められるようになった。
ロシアは、黒海を通ってブルガリアに到着する「サウスストリーム」を計画。
一方で、カスピ海地域のガス、特にアゼルバイジャンのガスを輸入し、トルコを起点として東欧に運ぶ「ナブッコ」は、トルコと東欧の国々が積極的に進めていた。
この頃から既にロシアの影響力を減らしたいと考えていたEUは、ロシアに配慮して控えめにナブッコを支援していた。
しかし、どちらも負けた。勝ったのは、カスピ海地域・アゼルバイジャンのガスを運ぶ予定の「アドリア横断パイプライン(TAP)」だ(後にTANAPと接続する)。
政治的な理由だけではない。新しく形成された西側のベンチャー企業のTAP構想に、両者は経済的合理性で負けたのだ。
ナブッコは「東欧の国営企業のガス企業は、そろいもそろって政治優先で、経済的合理性が乏しい」と批判されたものだった(そのために、ガス価格が高くなる)。
そのやり方は、西側のベンチャー企業には、共産圏のソ連式に映ったようである。ソ連が崩壊してから、まだ20数年しか経っていなかった時のことだ。
現在TAPは、イタリア企業スナム、ベルギー企業フラクシー、スペイン企業エナガス、イギリス企業BP、そしてアゼルバイジャン国営企業のSOCARが等しく株を保有している。
そしてロシアは、新たに「トルコストリーム」をつくった。2020年、ガスは初めてブルガリアに輸送された。名前は変わったが、東欧(EU加盟国)に運ぶラインに関しては、サウスストリームとほぼ同じで、バージョン2.0のようなものだ。
このように、ロシアは直接EU加盟国にガスを届ける計画に主力を注いだので、バルカン横断パイプラインは低い能力でしか稼働していなかった。
現在、垂直回廊は、予定よりも1年早く進んでいるという。
ギリシャの天然ガスシステムオペレーターであるDESFAが主導して、これら東欧のガス国営会社と共に大至急で進んでいる。
実はこのギリシャのDESFAは、TAPを所有している会社とほぼ同じである。
イタリア企業スナム、ベルギー企業フラクシー、スペイン企業エナガスに、ギリシャ企業ダムコが加わったコンソーシアム「センフルガ」が3分の2を、残りの3分の1をギリシャ政府が保有する会社だ。
アゼルバイジャンのガスではないので同国の国営ガス企業と、おそらくEUを離脱したためかイギリスのガス企業が入っていないだけである。
東欧の国々の従来の国営エネルギー企業は、ウクライナ戦争という緊急性に団結しただけではなく、ナブッコの時代よりも資本主義的になってきて、脱共産主義化が進んで民主化されてきているのだろう。
結局、ハンガリーのオルバン首相やスロバキアのフィツォ首相の問題も、30年前まで共産圏だった東欧がいかにEUに統合してゆくかという、深化の問題なのだ。
そしてアメリカからEUにLNGを輸出しようとしている会社も、アメリカの新規企業である。
プーチン大統領は、経済の合理性とダイナミズムに負けているのだ。
プーチン氏は決して、表立ってEUを敵にまわそうとはしない。ウクライナのNATO加盟には猛反対するが、EU加盟に異を唱えたことはない。なぜだろう。筆者が常々思っているように、プーチン氏はヨーロッパ人でいたいから(最近怪しいが)、EUを敵にまわしたくないのだろうか。
しかし彼は、あまりにもEUを知らなさすぎたのではないか。EUの政治と経済の力、民主主義と資本主義がもたらす経済の力を、過小評価しすぎていたのではないか。ウクライナ、ジョージア、モルドバ・・・旧ソ連の国々の市民たちが加盟したいと街に出てデモを繰り広げたのは、NATOのためではない。EUに加盟を望んだからなのに。
彼は、資本主義経済、民主主義経済を無視しているのではなく、軽んじているのでもなく、知らないのだと、最近よく思う。
ドイツのメルケル首相は、プーチン大統領のことを、「プーチン氏は、経済に頼る事で自分の権力を強化できると考えていたが、自分が経済学について何も知らないと気づき、安全保障と秘密情報に頼っていった」と評したという。
みなさま、今年も拙記事を読んでいただき、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。