Yahoo!ニュース

なぜ『サザエさん』の家にはエアコンがないのか 「サザエさん世界」に残る昭和の謎を探る

堀井憲一郎コラムニスト
(提供:アフロ)

『サザエさん』の家にはエアコンがない

アニメ『サザエさん』はよく見るとかなり不思議な世界である。

すでに52年近く続くこの世界は、奇妙な力で成り立っている。

たとえば、サザエさん家には、エアコンがない。

おそらく設置されていない。

夏でもたぶん、クーラーをつけずに過ごしているとおもわれる。

2021年7月から8月の『サザエさん』を見て、確認してみたが、家の中でエアコンを使うシーンはなかった。居間の窓は昼は開けっぱなしになっていた。

たぶんエアコンが存在しないのだとおもう。

『サザエさん』はいつの時代を舞台にしているのか

これはつまり『サザエさん』はいつの時代を背景にしているのか、という問題でもある。

見ている人は誰もが一度はいつの時代なんだろうと、感じてしまうだろう。でも次の瞬間には、まあいいか、とおもえるように作られている。

この「スルーしてもらう作り」はかなり高度なものであり、これを作るために制作側はすごく努力しているようにおもう。

いくつかの見えない「サザエさんルール」が設定されているようだ。

『サザエさん』原作で描かれたのは昭和二十年代から四十年代の日本

四コマ漫画『サザエさん』が地方紙で連載を始められたのは昭和二十一年で、西暦でいえば1946年である。

全国紙の朝日新聞朝刊に連載され始めたのは、昭和二十六年、1951年である。

昭和四十九年、1974年まで連載が続いた。

原作世界が描いていたのは「昭和二十年代から四十年代の日本」である。

とくに朝日新聞朝刊に連載されていたときがメインだと考えられるので、その時期を限定するなら「1951年から1974年の日本」となる。

ただ、アニメ世界で、その時代をリアルに反映させていない。

時代が限定される事物はあまり登場しない。

『サザエさん』の描く世界は、「なんとなくちょっと前の日本」である。

現代ではない。

52年前(アニメ放送の始まった1969年)でもない。

「ちょっと前」である。

「ちょっと前」のいいところは、その時代を知らない人にとっても「なんとなく懐かしい」と感じさせることである。

アニメ『サザエさん』はそういう不思議なノスタルジック世界を作ることに懸命の努力を払っているのだ。

アニメ『サザエさん』世界は三層構造になっている

アニメ『サザエさん』世界は何層かに分けて作られている。

ざっくり分けると三層構造だろう。それぞれ違う時間が流れている。

いわば、ちょっとした異世界である。

まず核となるコアな世界がある。

「サザエさん家」である(磯野家とフグ田家が同居しているあの家)。

このコア世界では「長谷川町子の描いた世界」が守られている。

つまりサザエさんの家の中は「連載が終了した1974年」より以前の世界のもので構成されている。

だから電話は固定のダイヤル式黒電話なのだ。

スマホや携帯電話という以前に、「プッシュホン式電話」や、「離れた場所でも取れる子機」でさえない。

プッシュホンや子機は1974年より後ではあるが、昭和のうちに日本社会に定着したものである。

そういうものは「サザエさん家」には存在しない。

長谷川町子が描いてないからだ。

1960年代の日本でクーラーが設置されていた特殊な場所

だから、クーラーもサザエさん家には存在しない。

1974年以前の日本では、新しい集合住宅以外は、あまりエアコンは設置されていなかった。特にサザエさん家のような「日本式家屋の一軒家」にはまず設置されていない(窓枠も変えるなどの大掛かりな改造が必要だったから)。

ちなみに1960年代の日本で、クーラーが稼働していて自由に出入りできるところは、都市部でも銀行とデパートくらいであった。それ以外の商店には冷房装置はまずなかった。高級レストランにはあったのかもしれないが、ふつうの食堂には扇風機がまわっているばかりである。

電車にも冷房はついていなかった。

いま考えると、どうやって夏のさなかにあの超絶ラッシュの電車に乗って押し合いへしあいして耐えていたのか、よく覚えていない。

でも1970年代の電車には断固、冷房がついていなかった。(とくに関東)

「国電」の、つまり山手線などの冷房化が進むのは1980年代になってからである。

1980年代は、冷房のついているアタリの列車と、ついてないハズレの列車が走っていて、どちらが来るのかどきどきしながら待っていたものである。(前と後ろが冷房車で、まんなかは冷房していない、という編成もあった)

伊佐坂先生たちが「サザエさん世界」の第二層

サザエさん家の中が核部分で、そのまわりに周縁部分がある。

これが第二層だ。

隣家の伊佐坂先生の家、裏のおじいさんとおばあさん、勝手口から入ってくる三河屋の三郎くん(サブちゃん)、中島くんや花沢さんの家などである。

いわばレギュラー陣の住む世界である。

ここは「長谷川町子の結界」と隣接しており、かなり「1974年以前の世界」に近いという制約があるが、ときどき、現代的な(21世紀的なもの)も侵入してくる。

現代的なものが忍び込んでくるクッションのような世界になっている。

隣家のクルマにはエアコンがついている

たとえば、伊佐坂先生の長男・甚六君の運転するクルマには「エアコン」がついていた。

2021年8月8日第一話『ノリスケ健康定期券』の回で、カツオとサザエが甚六君の運転するクルマに乗り、サザエさんは涼しいわ、と気持ちよさそうにしていた。

このあたりの設定は、わざと曖昧である。

いちおう説明しておくと、1974年以前の自動車は、必ずエアコンがついているというものではなかった。「三角窓」からの風を涼しいと喜んでいたのが1960年代の若者である。

隣家の伊佐坂先生の、その息子の、そのクルマ、となると少し周縁なので、長谷川町子の結界から少し離れ、現代性を帯びてくるのだとおもわれる。

長谷川町子の描いたものだけで50年を超えてアニメは作りつづけられない。

中心世界を壊さない程度に端っこから「未来」が忍び込んでくるわけである。

『サザエさん』にゲーム機が登場するところ

スペシャル回で、家族そろって遠出すると、けっこう現代性が高まる。

そこが第三層である。

ここはかなり現代世界に近い。

たとえば、旅先では知らない人が携帯電話をかけて通り過ぎたりする。そういう回もある。

つまり『サザエさん』世界に携帯電話が存在しないわけではない。

長谷川町子の結界内には存在しないだけである。

サザエさん家の人たちが日ごろ接しない第三層は、けっこう現代性に満ちている。

カツオやワカメが、小学生なのにスマホを持っている友人がいる、という話はしない。

同じくゲーム機も欲しがらない。

でも、レギュラーではない友人や、友だちの友だちの家などにいくと、ゲーム機のようなものが置かれていることはある。そこが第三層である。

でもカツオが家に帰ってプレイステーションに夢中になってワカメと喧嘩する、というシーンは描かれない。

中心部は「1974年以前の世界」であり、周縁に行けば行くほど、現代的なものが出現する。そういう構造になっているからだ。

奇妙なバランスによって「日曜夕方のサザエさんのノスタルジックな世界」は守られているのだ。

この世界観の維持に、かなりの努力が払われているようにおもう。

波平は日本に残る最後の一人

「長谷川町子の結界内」ならではの風景として、いまも描かれる不思議な部分は「会社から家に帰ってきたら和服に着替える」という習慣だとおもう。

これはたぶん日本中探しても、アニメ「サザエさん」の世界でしか残っていないのではないだろうか。

波平が日本に残る最後の一人だろう。

趣味でそういう生活をする人はいるかもしれないが、違和感なく習慣としてそう暮らしている人は、たぶん、もう日本にはいないはずである。

少なくとも会社勤めしている世代には、いない。

「外で洋服、自宅で和服」という習慣は明治以前の人のもの

「外で洋服、自宅で和服」という習慣が根付いたのは明治時代である。

大正前期までは、まだ明治以前の生活習慣を保っている人が、つまり嘉永安政のころ生まれた人が、社会の一角を担っていた。

その人たちは「外で洋服、家では和服」という習慣を持っていただろう。それに続く明治の前半生まれの人たちは、それを倣っていたはずだ。

大正時代の終わりごろから、明治後半生まれが中心となり、世界が変わっていく。

日本の文化習慣を大きく変えたのは、その世代と、それに続く「大正生まれのモダンな世代」のはずである。

フネさんのスタイルは明治生まれの習慣である

サザエさんの母フネさんは、ふだん和服で、夏の暑い盛りにだけ涼しげな洋服になることはあるが、でも、基本は和服スタイルだ。

私の祖母は明治二十七年生まれだったが、まさに、このフネさんと同じスタイルで生活していた。

祖父はその五つ上の明治二十二年生まれで、これは和服のときと、洋服のときと、まあ、半々くらい、というところだった。波平さんに近い。

母は大正十四年生まれで、服装でいえばサザエさんと変わらない。

サザエさんはモダンな大正生まれ設定

『サザエさん』の著者である長谷川町子は大正九年の生まれで、たぶんサザエさんキャラの初期設定は、彼女自身に近いところにあったとおもう。

『サザエさん』が描き始められたのは長谷川町子が26歳のときであり、サザエさんの設定年齢(だいたい24歳)に近い。

サザエさんは普段、着物を着ない。オシャレで着ることはあっても、フネさんのように家事のときに和服を着てはいない。

これがたぶん「明治生まれと大正生まれの差」なのである。

長谷川町子は大正生まれのモダンな世代であり、彼女の親世代は明治生まれの古い世代だったはずだ。その感覚がサザエさんに反映されている。

サザエさんはだから「大正生まれのモダンな世代」の代表としてスタートしたのではないだろうか。

波平はなぜ54歳なのか

波平は「背広」を着て会社に出かけ、家では和服でくつろぐ。

サザエと同世代のマスオさんは、家でも洋服のことが多い。

ただまあ、舅に合わせてときに着物になっていることもある。それはおそらく「マスオさんの処世術」の問題である。

ちなみに波平の年齢設定は54歳である。

ほぼすべての日本人が「初めて波平の年齢を知ったときの驚き」を体験しているのではないかとおもっているのだが、たぶんそれも社会の変化の現れだろう。

波平が54歳という設定なのは、おそらく当時の会社員の定年が55歳だったからだ。

昭和のころの会社員の定年は55歳だった。

敬老の日の始まりは、55歳以上の老人たちが集められた、とされている。(昭和22年)

波平を、当時の会社員として描くかぎりは、55歳より下でないといけないわけで、来月にでも定年になる年齢ではなくその一つ下の54歳にしたのだとおもわれる。

『サザエさん』が終わる日

こうやって見ると『サザエさん』にはいろんな要素が取り込まれていたことがわかる。

令和と昭和の差異はもちろん、明治人と大正人の差異まで見出すことができるのだ。

日本の多くのものを背負っているアニメである。

『サザエさん』が終わる日は、おそらく日本社会の何かが決定的に変質するときではないかとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事