【F1のザックリ70年史】メーカーの参戦とコスト高騰。F1はどこへ向かう?/2000年代〜10年代
「F1世界選手権」(以下、F1)が70周年の節目を迎えた。本来ならばお祝いのシーズンであるが、2020年は新型コロナウィルスの感染拡大で7月のオーストリアGPにズレこんで開幕する。
「F1が歩んだ70年」を振り返ってく特集第3弾は、F1が急激な拡大路線をたどった2000年代〜2010年代の20年をザックリとご紹介しよう。
2000年代:自動車メーカーの時代とリーマンショック
1990年代初頭、日本ではF1ブームがピークを迎えた。しかし、バブル崩壊によって日本企業はあっさりF1から撤退。94年のセナの事故死も大きく影響して、90年代後半はF1への関心が次第に薄れていった。これは日本に限ったことではなく、F1の中心地であるヨーロッパでも同じ状況で、F1は新たなマーケット開拓が急務だった。
そこでバーニー・エクレストン率いるF1は2000年代にさらなる新興マーケットへと拡大路線を進める。99年からは東南アジア初のマレーシアGPを開催し、2004年からは中東のバーレーンGP、中国GPがスタート。さらに2005年からはトルコGP、2008年からシンガポールGP、2009年からアブダビGPと拡大。これまでF1に縁もゆかりもなく、自国のモータースポーツ文化さえ芽生えていない国でグランプリを開催していくことになる。
マーケットが増えて喜ぶのはテレビ放送を通じて露出が増えるスポンサーと参戦する自動車メーカー。プロモーションや開発費用は90年代とは比べ物にならないほど莫大な金額となり、F1はさらなる巨大ビジネスへと変貌する。
かつてないほど自動車メーカーの参戦が相次いだ。ホンダが2000年にB・A・Rへのエンジン供給で8年ぶりにF1に復帰。フォードがスチュワートを買収してジャガーとしてワークス参戦。BMWはウィリアムズにエンジンを供給。そして、2001年にはルノーがベネトンを買収してワークス体制で参戦。さらに、2002年にはWRCで活躍したトヨタがワークスチームでF1に初参戦した。F1にフェラーリ(フィアット)、メルセデスを加えた7つの巨大自動車メーカーが揃ったのである。
また、タイヤサプライヤーではブリヂストンのライバルとして、2001年にミシュランが復帰してタイヤ戦争が勃発。自動車メーカーが投じる巨額の資金を元手にタイヤテストが繰り返され、チームの年間活動予算は一部チームで600億円を超える空前の規模になっていく。
そんな自動車メーカー全盛の時代を掌握したのが、96年にフェラーリに移籍したミハエル・シューマッハだ。低迷を続けたフェラーリを建て直し、2000年に王者に返り咲くと、5年連続の王座を獲得。シューマッハはトータル7回のワールドチャンピオンを手にした。
シューマッハの連覇を阻んだのがルノーのフェルナンド・アロンソ。2005年に当時の最年少ドライバーズチャンピオン記録を塗り替える24歳の若さで王者に輝くと、2006年も連覇。同年にミハエル・シューマッハは引退した。
アロンソやキミ・ライコネンなど有力な若手の台頭でF1ドライバーの若年化が一気に進んだのも2000年代の特徴。2007年にはアロンソを脅かすルイス・ハミルトンがデビューし、参戦僅か2年目の2008年に23歳の若さで王者に。最年少王者記録をあっさりと塗り替えてしまった。
そんな若手スター選手が活躍した時代であるにも関わらず、チャンピオンを狙えるドライバーを起用できなかったのが日本メーカー。ホンダは2006年にワークス体制に移行しジェンソン・バトンが1勝するも、これが唯一の勝利に。トヨタはポールポジションを3回獲得するものの、未勝利に終わることになる。
そんな自動車メーカー全盛の時代は不景気の到来と共にやってきた。2008年のリーマンショックでホンダ、BMWが撤退し、2009年末にトヨタが撤退。代わってホンダのリソースを引き継いだブラウンGP、ジャガーの跡を継いだレッドブルなど新興プライベーターが活躍する時代になっていく。
【2000年代F1 主なトピックス】
・2000年 自動車メーカーが多数参戦
・2001年 ミシュランがタイヤ供給開始
・2004年 ミハエル・シューマッハが5連覇
・2007年 F1日本GPの舞台が富士スピードウェイに
・2009年 新チーム、ブラウンGPが王者に
2010年代:ファンからの批判と迷走
2000年代に華やいだF1サーカスだが、リーマンショックの後は予算規模縮小を迫られることなる。シーズン前、シーズン中のテスト走行は著しく制限され、ニューマシンの発表も以前の派手なイベント形式ではなく、テスト前のフォトセッションのみという簡素なものに。
しかしながら、2000年代から計画されていたF1のグローバル路線を止めることはできず、2010年の韓国GP、2011年のインドGP、2014年のロシアGP、2016年からのアゼルバイジャン開催、アメリカGP、メキシコGP復活など新しいロケーションでの開催は増加。年間20戦が定着した頃にはヨーロッパの伝統的なサーキットでレースは半分以下になってしまった。
新興マーケットに進出する一方で、既存のファンからのF1批判が年々大きくなっていった。2011年からタイヤ供給を開始したピレリがまずその矛先になってしまった。ピレリはエンターテイメント性向上のためにあえて耐久性が低いタイヤをF1側からオーダーされていたのだが、タイヤのトラブルが続出。ファンの猛烈な批判を浴びることになった。
また、オーバーテイク促進のために装着されたDRS(ドラッグ・リダクション・システム)はピュアなバトルを望む既存ファンからは不評。また、寸法など技術規定の変更を受けてチームが最適化を図ったために生まれた段差ノーズやアリクイノーズ(エイリアンノーズ)などの奇怪なデザインがSNSで話題に。醜くなったF1のルックスには批判が殺到した。
中でも最も抵抗が大きかったのが2014年から導入されたハイブリッドのパワーユニット(PU)のターボエンジンの音である。現在はエキゾーストサウンドも大きくなり文句を言うファンは少なくなったが、初年度は音量がとにかく小さかった。それまでの自然吸気エンジンが奏でていた高回転で甲高いサウンドとのギャップが大きく、SNSでは酷評された。
こうしてモータースポーツ界の頂点、百獣の王的存在であるはずのF1がファンからバッシングされたのが2010年代だ。その批判の声はSNSを通じて伝播していったが、F1はインターネットメディアを軽視する向きが強く、SNSを使った発信に消極的だったのだ。
「ファンが望むF1」を調査するアンケートがネット上で多数実施されたのも5年ほど前のことで、SNS活用やファンの声を聞くことに関してF1はかなり遅れていた。しかし、バーニー・エクレストンに代わって米国のリバティメディアがF1のオーナーになってからは公式YouTubeや各種SNSでの発信が充実。コロナ禍の中では過去の名レースの動画配信を積極的に行うなど、F1は積極的に新しいファンを増やそうと努力し始めた。
2010年代最大の変化といえば、先にもあがったパワーユニット(PU)の導入である。1.6LのV型6気筒ターボエンジンに、運動エネルギー回生(MGU-K)だけでなく熱エネルギー回生(MGU-H)も行うハイブリッドシステムだ。
2014年からスタートしたPU規定には、メルセデス、フェラーリ、ルノーが参戦。さらに1年遅れて2015年からホンダが参戦したが、メルセデスの無双状態はずっと変わらず、6連覇中。ルイス・ハミルトンはミハエル・シューマッハが持つチャンピオン7回にあと一つと迫っている。
ただ、今季はホンダのパワーユニットを使うレッドブル・ホンダの好調が伝えられており、大いなる期待が持てる。今季はヨーロッパ主体で実施される変則的なシーズンだが、逆に言うとホンダにとってみればメルセデスの7連覇を阻む最大のチャンスである。
とはいえ、まだ今季何レースあるかさえ明らかになっておらず、コロナ第2波への懸念も含めて行方が読めない部分がある。それに加えて今季は観客を入れての開催が難しいため、サーキットや主催者が支払う開催権料が減少し、F1全体として大幅収入減は避けられない状況。F1からチームに支払われる分配金が減額になると予想され、ウィリアムズやマクラーレンなど名門チームでさえも財政難でF1活動から撤退する可能性が噂されている。
来季からは年間予算を制限するコストキャップが導入され、チームの運営予算は年間200億円以下となるが、それでも他のモータースポーツに比べればまだまだ高コスト体質。新型コロナ終息の兆しが見えない中、F1の今後の舵取りが注目される。
2020年代のF1はいったいどんな歴史を歩むことになるのだろうか
【2010年代 F1 主なトピックス】
・2010年 ブラウンGPを買収してメルセデスワークスがF1復帰
・2011年 ピレリがタイヤサプライヤー
・2014年 パワーユニット規定がスタート
・2015年 ホンダがマクラーレンにPU供給開始
・2017年 車体、タイヤレギュレーションが大場に変更