カリスマ起業家の関与で騒然! 死者もでたテキーラ一気飲みゲームがはらむ3つの問題
テキーラ一気飲み
若い女性がテキーラを一気飲みして急死してしまったという、大変痛ましい事件が世間を賑わせています。いくつものメディアで紹介されているので、ご存知の方も多いでしょう。
・《恵比寿テキーラ20歳女性急死》「A子さんは段ボール箱に頭を突っ込んで……」NewsPicks系“天才起業家”「一気飲みチャレンジ」の真相(文春オンライン)
・女性急死のテキーラ事件 渦中の100億円「起業家」は「私が提案したわけではない」(デイリー新潮)
・光本氏“女性が自発的にテキーラ一気飲み死亡”釈明に批判殺到…ラウンジ・S常連の有名人(Business Journal)
・【テキーラ女性急死】「狂ったようなチャレンジを」渦中の起業家・光本勇介氏を取り巻くスタートアップの光と闇(Business Insider Japan)
ここでは詳細を割愛しますが、概要は次の通りです。
あるカリスマ起業家が、750ミリリットルのテキーラのボトル1本を15分以内に飲み終えたら10万円がもらえるというゲームを行いました。
これに参加した女性が容態を急変させ、亡くなってしまったのです。
アルコールの適度な分量
テキーラのボトルの容量はワインの標準的なボトルと同じく750ミリリットルです。
ただ、アルコール度数を比べてみると、ワインが12%程度であるのに対して、テキーラは40%程度。つまり、テキーラ1本はワイン3本以上に相当するのです。
ワインを飲まない方のために、もっと身近なビールで換算してみましょう。ビールはアルコール度数が5%程度なので、テキーラ1本は500ミリリットルのロング缶12本に相当します。
個人差によりますが、適度なアルコールの分量は、テキーラであれば、ほぼウイスキーと同じ60ミリリットルです。
適度な分量の10倍以上を、わずか15分で飲み干すという行為は、常人の沙汰ではありません。かなりの酒豪でなければクリアすることが不可能。いえ、クリアできないどころか、チャレンジして少しでも無理をすれば、ほとんどの人は身体に異常をきたすのではないでしょうか。
こういった行為が危険であることは、常識と良識を備えた一般的な人であればわかるはずです。
そしてテキーラ一気飲みゲームは危険であることだけではなく、食のあり方としても、いくつもの問題をはらんでいると考えています。
遊んではいけない
食べ物や飲み物で遊ぶことは問題です。
誤解が生じやすいので補足すると、食べ物や飲み物を遊びの道具とすることが好ましくない、ということです。
なぜならば、食べ物や飲み物を口にするということは命をいただくことを意味するからです。たとえそれが、動物であったとしても植物であったとしても、丁寧に手づくりされていたとしても工場で大量生産されていたとしても、人が奪うという観点では同じこと。
離乳食の時期であれば、幼児は遊び食べをします。しかしこれは、色々なことを試す行為によって、食事に対する体験を蓄えていっているのです。そして、この2歳から3歳に遊び食べを終えた後、食事のマナーや食に対する理解を深めていく段階へと進みます。したがって、この期間を終えた幼児、ましてや、大人が食で遊ぶのは相応しいことではありません。
フランスで公現祭の1月6日に食べられるガレット・デ・ロワは王様のケーキを意味する、パイ生地とアーモンドクリームで構成された焼き菓子。ここ数年では日本でも流行しており、年明けに販売されています。フェーブという陶器の人形が入れられており、誰に当たるのかを楽しんだりしますが、ケーキはしっかりと味わって食べられ、遊ぶために存在しているのではありません。
当たるか当たらないかが注目されるということであれば、ジビエを食べた時に銃弾が入っているかどうかや、ワインを新しく開けた時にコルクがブショネ(コルク劣化)になっているかどうかで、大騒ぎすることはあります。しかしいずれとも、勝者や敗者を決めるために行われるわけではなく、あくまでも食べたり飲んだりする際に発生する偶発的な出来事です。
したがって、10万円を褒賞とした余興で、テキーラが用いられることは、とても適切であるとは思えません。
競技ではない
では、遊びではなく、競技と考えればどうでしょうか。
つまり、15分以内にテキーラを一気飲みするというようなレギュレーションをもった競技であると仮定した場合です。しかし、もしも競技であったとしても、やはり賛同できるものではありません。
なぜならば、無意味に食べ物や飲み物を浪費することは食の持続可能性、つまり、サステナビリティに相応しくなかったり、一生懸命につくった生産者へのリスペクト欠如に値したりするからです。
私はよく、大食いや早食いの競技は今の時代に相応しくないので、もうやめるべきであると述べています。
この記事では上記の理由に加えて、摂食障害の問題があったり、飲食店に被害が生じたり、食育に反したりしていると指摘しました。そして、そもそもスポーツではないとも説明しています。
では、競技とは何でしょうか。競技が意味するものは次の通りです。
私もお酒が非常に好きで、ワインを中心としてかなりアルコールを飲む方ですが、どれだけ飲めるかは遺伝による体質的なものが大きいです。
そう考えれば、テキーラ一気飲みは、技術や運動能力の優劣で競うことを目的とした競技として相応しいものではありません。
つまり、テキーラを15分以内に1本飲むという勝負は、決して競技として認めるのは難しいものなのです。
嗜好品は味わうべき
アルコール飲料は一般的に嗜好品に分類されます。
アルコール飲料は、水やお茶といった飲み物のように、水分を取るために必要だから摂取されているわけではありません。基本的に、食事の体験を高めたり、日頃のストレスを軽減したりするために飲まれているのです。
したがって、アルコール飲料のひとつであるテキーラは、食体験を高めたり、ストレスを解消させたりするために飲まれるべきでしょう。テキーラそのものを味わったり、これをベースにしたカクテルを楽しんだり、食べ物と合わせて互いの食味を引き立て合ったりするべきです。
食体験を高めるためでもなく、ストレスを解消させるためでもなく、無意味にテキーラを飲むことは本来あるべき姿ではありません。嗜好品としての運命を全うすべく、お酒は味わったり、楽しんだりして飲むべきです。
適度な量が存在している
人をはじめとした動物は日々、食べて飲んで生きています。
しかし、節度もなく食べたり飲んだりすればよいわけではありません。生物としての必要量や人間としての適度な量が存在しています。飲食は生きるために必要ですが、苦痛を伴ったり、生命を脅かされたり、強制されたりするようなことがあってはなりません。
ワインが、ボトルで飲むものから料理に合わせてグラスで飲むものになったのは、だいたい1980年代。そこからワインペアリングが広がってきて、今日のスタンダードとなりました。このワインペアリングによって人類は、これまでよりもさらに、色々なお酒を気軽においしく、料理と共に楽しめるようになったのです。
お金を賭けてテキーラを一気飲みし、人が死亡したことは極めて残念であるとしかいいようがありません。絶対にこのような愚行が繰り返されないよう、人々の意識が変革することを切に願います。