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漫才師・新山ひでやさんが死去 東京の寄席芸としての「ゆるい漫才」

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

 

新山ひでや・やすこの漫才は、一度みると忘れられない。

漫才は、いまも若者のツールである。売れる芸人を目指す若者は、切り裂くような言葉で漫才を展開する。見る者に緊張を与え、大きく笑わせてくれる。鋭い漫才をテレビではよく見かける。

でも漫才は、そういうものばかりではない。

もっとゆるい漫才もある。

ゆるやかに、ほどけていくような漫才も世の中にはあるのだ。

東京の寄席に行けば、そういう漫才が聞ける。

ひでや・やすこの漫才はそういう漫才である。

ほどけていくような漫才には情報が入っていない。ふーんと感心するような部分がない。終始一貫して無意味である。他愛がない。ひょっとしたら今おもいついて喋ってるんじゃないかとおもわせる緩さがある。

それが東京の寄席芸としての漫才である。

東京の寄席は、落語がメインなので、漫才は空気を緩める役割を担ってる。ナイツもときに寄席に出るが、彼らの漫才はやはり脱力系である。(テレビにも出る芸人らしく“情報”はしっかりと入っているが)。

東京の定席の寄席(上野鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)に出る落語団体は、落語協会と落語芸術協会の二つである。

二つのうち、春風亭昇太が会長をつとめている芸術協会のほうに、より緩やかな気配を感じる。これは寄席に入って感じる気配でしかないのだが、よりゆったりしている。言い方を変えれば、かなり適当な感じがしてしまう。そういう芸人さんが多い。

なかでも新山ひでや・やすこはとびぬけて緩やかだった。

ただぼんやりと眺めるギャグ「さいこーさいこー」

漫才コンテストのような視点からみれば、緩やかな漫才、というのは褒め言葉にはならない。包丁の切れ味を試すようなところがあるから、鋭さやテンポが重要視される。ただ、寄席はそういうものを求めて行くところではない。融けていくような、ほぐれていくような気分を味わうところである。銭湯に行くのに近いとおもう。

 そういう場にはそういう漫才が合う。

 新山やすこは、二十年ほど前はまだかなり色気を残していて、でもそれを前に出してくることもなく、柔らかい雰囲気と押しの強い声で喋っていた。

「さいこーさいこーってのがこの人のギャグなんですよ」とやすこの説明があって、ひでやが両手をクロスさせて、手のひらを広げてひらひらさせながら「さいこーさいこー」と唱える。わざわざ所作まで説明するほどのものではなく、ギャグというほどのものでもなく、笑うことも反応することもなく、ただぼんやりと眺めることになる。

 

もうひとつ「そういう言い方って、好きだなあ」というのも自分のギャグだと繰り返し言っていた。つっこまれたとき、「そういう言い方って」で少し切って、「好きだなあ」と下からからむように声を出してくる。「私のギャグなんです」という説明までをワンセットとして入れ込んでいた。

ギャグとは言っているが、笑ってもらうためのツールではなく、自分たちを覚えてもらうための言葉だったようにおもう。

夫婦漫才である。

やすこは、夫の相方が倒れたので中年になっていきなり舞台にあがったらしく、その喋りに素人ぽさを残していた。ひでやは「流れを分断するギャグ」を連発する。やすこがそれを元に戻すこともなく、夫婦それぞれを揶揄するようなやりとりが続く。ただの夫婦の会話のように見えることもある。

テレビの尖った漫才を見慣れていると、意味がわからない。

ふわっとした笑いがこそこそっと生まれるばかり

ときどき不思議な間合いがあいていた。

寄席にでる緩やかな芸人さんたちでも、あまり不思議な間は取らない。笑いが起こらなくなるからだ。でも、ひでや・やすこはそんなことには頓着せず、それぞれがそれぞれのペースで喋ってるかのようだった。

べつだん笑いを欲しがってないように見えた。「客に嫌がられないこと」を優先させてるようでもあった。客をいやな気持ちにさせないことを大事にしていたのではないか。言い方を変えると、笑いを取るより自分たちを好きになってもらおうとしていた、ということになる。

それはそれで芸人の生き方でもある。

最初みたときは、何だこりゃ、とおもう。

でも寄席に行けば、繰り返し見かける。よく見かける。でも五回、十回見たくらいでは、おもしろくはおもえない。

ひでや・やすこの漫才は、舞台上から突き放して笑わせるというものではなく、客に近寄っていって、そこはかとなく楽しい気分にさせようというものであった。当人たちの意図はわからないが、客席から見るかぎりはそう感じられた。

そういう客との距離の近い漫才は、何十回か見てるうちに、突然、たまらなく面白くなってしまう。

客席ではあいかわらず、さほどの笑いは起こっていない。

でも、誰一人笑っていない風景をふくめて、おもしろくなってしまう。いきなり私ひとりがくすっと笑ってしまったりする。ひでやはそれは見逃さない。見つけて、こっちを向いて重点的に話をしだす。そういう芸人気質も愛らしい。

漫才は二人のやりとりなので、ある程度、行き違わないといけない。

対立したり、取り違ったり、勘違いしたり、会話が食い違っていく。それを途中から「修正する係」が戻していく。修正係はツッコミと呼ばれる。

ひでや・やすこは、あまり行き違いを際立たせなかった。緊張がない。緊張がないぶん、緩和もなく、笑いも生まれにくい。ふわっとした笑いがこそこそっと生まれるばかりである。

新山ひでやは「場の共有」を強く感じさせる芸人だった。

でも、寄席ですごく見かけた。

彼らの漫才は寄席では求められていたのである。

夫婦のふつうの会話にしか聞こえないが、また聞きたくなる。

見るのが楽しみになる。

笑えないからって、だから何だよ、という気分になっていく。そういう気分で見ると、とても楽しい。

この夫婦が出てきたときに客席から滲み出す空気が好きだった。この二人がずっと間合いをはずしていって、笑いが取れなくなって、でもそれでも懸命に客に寄ってくる姿が楽しかった。

それはこの二人しか作らない不思議な空気だった。

長く芸人をやっている人だからこその空気があった。

新山ひでやが亡くなった。

今年になってからも見た覚えがあるのだが、亡くなってしまった。

もうライブでは見られない。

寄席という緩い空間で見るからこそ楽しい漫才だった。

あれをほかのところで見てもあまり意味がない。空気を共有しないで見たら、たぶん、ほとんどおもしろくないとおもう。

録画したものや録音したものを見たところで、さほど笑えないだろう。それはそれでしかたない。でも、寄席で見るぶんには、とても心がほどけていった。「場の共有」を強く感じさせる芸人だった。

寄席は同じ空間にいるものだけを楽しませてくれる。その場にいない人にまでかまっていられない。そういう場所なのだ。前近代の芸能だから、それはしかたない。

ひでや・やすこの漫才はこの世からはなくなった。もう、見ることはできない。

そうおもってただ生きていくだけである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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