「光る君へ」に登場する藤原氏達の関係を再確認
今年の大河ドラマ「光る君へ」は、戦国時代や幕末を扱ったものとは大きく違うところがある。それは、登場人物が少ないことだ。
戦国武将を主人公とするドラマであれば、次々と敵として新しい武将達が登場する。また、主人公は勢力を広げていった大名であることが多く、家臣としても新しい人物が抱えられる。
また、幕末の場合は多くの志士が登場する他、明治維新には実に多くの人物が関わっており、毎回のように新しい政治家や実業家が登場する。
「光る君へ」は藤原さんばかり
それに対して「光る君へ」では平安時代中期の朝廷を舞台としているため、その登場人物は皇族や貴族に限られ登場人物が少ない。このあと舞台が福井に移ると新しい人物が登場するのだろうが、都を舞台としている間は、毎回ほぼ同じメンバーである。
そして、これらの登場人物のほとんどは「藤原」さんである。
主人公の紫式部が藤原氏である他、権力の中枢にいるのも藤原兼家や道長の一族。秋山竜次が演じて独特の存在感を発揮している実資や、後に紫式部の夫となる宣孝、さらに行成・公任・斉信といった道長のライバル達もみな藤原氏。
この藤原氏達の関係を改めて確認してみたい。
藤原氏のルーツ
そもそもこれらの藤原氏はすべて藤原鎌足の末裔である。
中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに乙巳の変(大化の改新)を断行した中臣鎌足は、その死に際して天智天皇から「藤原」の姓を賜った。これが藤原氏の起源である。
鎌足の子孫はその孫の時代に北家・南家・式家・京家の4家に分裂したが、このドラマに登場している藤原氏はみな北家の房前(ふささき)の子孫。
そして、房前の子孫は房前の曾孫冬嗣の子の代に大きく分裂する。
嫡流となったのが冬嗣の二男良房の系統で、兼家・道長父子や実資はこの流れ。道長と実資は祖父同士が兄弟という比較的近い一族で、朝廷でも高い地位についていた。さらに、斉信は道長のいとこ、行成は道長のいとこの子、公任は実資のいとこで、当時の朝廷の中枢はごく限られた一族で運営されていたことがわかる。
紫式部や藤原宣孝の流れ
道長ら朝廷の中枢を担う貴族たちが良房の子孫であるのに対し、紫式部や宣孝は良房の弟で冬嗣の六男良門の子孫である。
道長とは5代前(曾祖父のさらに祖父)が兄弟というかなり遠い一族である。従って、朝廷で栄華を極めている道長一族の恩恵を受けることはなく、中下級の貴族にあまんじていた。
因みに、紫式部と宣孝は4代前(曾祖父の父)が兄弟というやや遠い親戚。宣孝の子孫からは、のちに甘露寺家や勧修寺家など多くの公家が生まれて1つの勢力を築くことになるが、紫式部の実家為時の家系はその後も発展することはできなかった。