2050年の未来社会は平安貴族のライフスタイルから予見できるーー源氏物語を手掛かりに考える
未来予測が盛んだ。THE ECONOMIST誌など欧米の論調は一様に民主主義の衰退と資本主義の限界を基調に地球環境の未来を重ねた悲観論を説く。日本に多いのは「AIが人類の姿を変える」的なテクノ未来社会論。こちらはおおむね楽観的だ。だが、いずれも今すでに起きていることを増幅して先に投影した秀才の答案でしかなく刺激に乏しい。実際の歴史にはしばしば意表を突く飛躍や非連続なジャンプがあり、我々が知りたい、あるいは創りたいのはそうした未来だ。
●平安時代が2050年社会のヒント
そこで私はあえて1300年も前の平安時代に遡ってみることを勧めたい。なぜならそこまで遡れば我々の頭にインストールされた民主主義と資本主義の常識をアンラーニングすることができる(ちなみにNHKが24年大河ドラマで平安時代を選んだのも慧眼だ。私は5年前からビジネスピープルに対し平安に着目しようと提唱していた)。
そもそも民主主義は社会契約説に基づくが、あれは西洋文明社会が発明した国民国家という一種の集団幻想に基づく。他には代えがたい有難い制度だが、もともとが不安定なものである。また資本主義は貨幣信仰のうえに成り立つが、これが社会を支配してきたのは産業革命以降のたかだか二百年ほどでしかない。構造変化の時代だというなら、こうした常識は全部捨てて非連続的な思考をしてみよう。今回はそのよりどころを、平安時代の貴族の考え方に求めてみる。
高校で習った源氏物語や枕草子に描かれた生き生きとした当時の人間模様(恋愛や風流の心など)は現代に通じる普遍性がある。一方で和歌や音楽に明け暮れる宮廷貴族の生活や経済社会事情は現代とは全く異なる。資本主義も民主主義もない時代にあれだけ高度で洗練された文明がどうして成り立ったのか。それを探ることで資本主義と民主主義にとらわれた頭のアンラーニングができる。
もう一つはこれからの先進国のライフスタタイルがますます平安貴族に似てくることに注目したい。先進国のリタイヤ富裕層は、すでに医療、エアコン、車、レストラン、ITなどのおかげで昔の王侯貴族よりはるかに高い生活水準を謳歌する。
生活費を稼ぐのに時間を使う必要はなく、生きがいをビジネス以外に求める。
高齢化でこういう人はますます増え、AIのおかげで富裕層だけでなく誰もが今よりはおそらく生活が楽になる。貧富の格差の問題は別として、全体の絶対水準は上がるだろう。すると経済やビジネス、ひいては分配に関わる政治への関心はますます薄れる(すでに今もその兆候がある)。
ならば経済や政治から切り離した人の暮らしぶりを人間の本性に照らして考えてみるとどうか。その意味で現代と隔絶した平安時代は2050年を占うヒントの一つになる(もちろん目の前は「戦前の再来」の様相だ。ウクライナやパレスチナの戦争の危機、パンデミックリスクに溢れている。相対的貧困の問題もある。だが一昨年、ウクライナ侵攻でハイテク好況から世界がいきなり暗転したように、先のことはわからない。目の前の現実をいったん忘れてみよう)。
●平安貴族の社会は経済と武力を意識しない世界だった
平安貴族にはお金の心配はあまりなかった。荘園を所有しそこで働く庶民が担う生産の上前をはねて暮らしていた(地主=経済)。地位や身分は血縁に基づく天皇制を頂点とする宮廷社会のしきたりに従って確保された(身分制=政治)。なにしろ武士はまだ一派をなす前の時代である。
こうした経済(荘園)と政治(身分制)の基盤(OS=オペレーテイングシステム)のもと、貴族たちは文化活動と己の教養を磨くことに一日の大半を費やした。彼らはまた他者とのつながり、共感を非常に重視した(いわば「社会関係資本」の蓄積)。それが宮廷社会での地位を安定させ、天皇との距離を近くし、出世や自己実現に直結した。こうして平安社会を支えたインフラは和歌だった。これはさしずめSNSやメールに相当する。あるいはOSを駆動させる仕組みという意味では「貨幣」「電力」に相当する存在と言えるかもしれない。
●『源氏物語』から平安時代を洞察する
平安時代の社会と個人の様子は『源氏物語』から読み取れる。『源氏物語』は平安中期に光源氏の恋愛模様を描いた長編物語(実話を下敷きにしたと思われるフィクション)だが宮廷社会の人間絵巻をよく描写しており、当時の社会を文化人類学的に理解する資料になる。その5つの特徴をみていこう。
(1)経済軸の不在
源氏物語には貴族が金銭取引をする描写はない。光源氏など貴族たちはみな荘園を経済基盤にしていた。約20の荘園の記述が登場するが荘園で働く農民たちも貴族の財産で、荘園からは米や布、木材といったあらゆる生活物資を徴収することができた。光源氏らが個人的に遠出をする場所は近くに自分の荘園がある場所と決まっており、その荘園から衣食住の供給をはじめ葬儀などの行事に至るまで、すべての支援が得られた。貴族は多くの現代人のように目先の貨幣の獲得について心配する必要はなかった。
(2)天皇制の「文治」を才色兼備の女性が支えた
平安社会はもちろん天皇制で統治された。その原理は「文治」、即ち高度な教養を持つ人物が尊敬され、政治の世界の出世もそれで決まった(繰り返すが、武士が出てくる前の時代だ)。文治の仕組みの頂点に天皇がいた。天皇は宮廷及び地方社会まで支配を行きわたらせるために文化を用いた。たとえば天皇は素晴らしい和歌を選びだして勅撰和歌集を編み、自身の後宮(文化サロン)でも芸術や文学を奨励した。
勅撰和歌集は四季などに始まる時代の規範をつくりあげた。春に始まり冬に終わる日本文化が強調する四季のサイクルも、和歌に由来する。あれは勅撰和歌集における和歌の並びによって練られてきたものだ。後宮では天皇の庇護のもと、才能あふれる女房たちによって現代にまで残る作品が多く生み出された。『枕草子』も『源氏物語』も後宮で生まれ、ひらがなの進歩、女流文学そして後宮の主である妃の地位向上に一役買った。
貴族たちは、天皇との繋がりを持つため娘に高度な教養を身に付けさせた。教養高い女性といわれると後宮に召し上げられる可能性が高まった。そして天皇の子供を産んだ女性は本人はもとより血縁の一族全体が厚遇を得られた。よって出世の鍵は才色兼備の娘をきっかけに天皇に近付くことであり、その基盤には文化と教養をめぐる競争があった。現代社会の競争は資本主義のもとで金銭の多寡を軸に起きるが、平安貴族の競争は天皇制のもとでの文化と教養のレベルが決めてとなる勝負だった。
(3)貴族たちはひたすら文化活動にいそしみ、教養を磨いた
『延喜式 一陰陽寮』の記述によれば、貴族たちが仕事を行うのは朝から昼にかけての4時間のみだ。それ以外はすべて自分の教養磨きや、文化活動に費やしていた。文化活動といっても道楽ではなく、天皇制の文治システムの中で生き抜く上での必須の道具だった。貴族の行動にはすべて細かな儀礼(プロトコール)が定められ、貴族たちはそれを踏襲していた。そのうえでもとりわけ優れた文化人が政治の世界で出世できた。日常のコミュニケーション、恋愛でも文化は必須だった。恋愛の駆け引きはすべて和歌などの文化的素養がベースで、その洗練具合をみて、人々は相手を選んだ。
平安貴族が文化活動を自由に行う基盤には、もちろん荘園の富と、その富で得た紙や香、着物など特注品があった。 結果として平安時代の文化レベルは高まり、同時代の国々の中でも群を抜くものとなった。『源氏物語』や『枕草子』などの作品が生み出されていた頃のヨーロッパでは『ロランの歌』や『アーサー王物語』などが成立していた。だが、これは伝承や歌謡をまとめたもので、誰か一人によって生み出された物語ではない。ヨーロッパに長編小説が誕生するのは、300年も後のダンテを待たねばならなかった。
(4)貴族たちは 文化力を発揮してつながり・共感を求めた
以上、みてきたように平安貴族の世界では洗練された文化・教養の持ち主が日常、恋愛、政治など、すべての場面で評価された。ではその「洗練」とはどのようなものなのか。
文化の価値は、いかにつながり・共感を得られるかで決まっていた。たとえば、『源氏物語』を書いた紫式部は下級貴族の出で、本来であれば宮廷に上がることはできなかった。しかし『源氏物語』が評価され多くの人に読まれると、紫式部は宮廷に召しかかえられた。物語が多くの人々の共感を得たからこその出世である。また勅撰和歌集に選ばれた和歌の詠み人は、政治的にも上位の役職につくことができた。だから人々は結婚相手を和歌や感性のすばらしさで選んでいた。貴族たちは出世にも、恋愛にも、つながりや共感を得られる文化の力を必要とした。
(5)すべての根底にある和歌
『源氏物語』には、合計795首もの和歌が詠まれている。
登場人物同士のやりとりにはほぼ例外なく和歌が用いられ、風景の描写すら和歌による。和歌は平安貴族の根底にあり、そこでは「もののあはれ」という価値観が重視された。これは「不変のものなど何もない、一瞬の美しさを尊ぶ」というもので諸行無常などの仏教の無常観と、和歌が持つつながりという本質が合わさって生まれた(和歌は、相手が存在し、返事が返ってくることを前提とした文化である)。だから和歌がそこまで大事だとされた。平安貴族たちは、一日を文化活動と教養磨き、つながり・共感を得るために費やしていたのだが、その活動の根底にあるのが和歌だった。
翻って私達現代人はどうだろう。良くも悪くも生活の根底には「貨幣」や「金銭」があるのではないか。すぐれた芸術はおしなべて高価だし、交通事故の補償も金銭価値で終了とされる。それは我々にとって当たり前の現実だが、平安貴族にとっては和歌を介してもののあはれを謳うのが現実だった。
●貨幣よりもつながりを重視
以上の平安貴族の姿を手掛かりに、未来の日本社会の暮らしを考えてみるとどうなるか。
まず平安貴族の荘園に相当するもの、富の源泉は何か。今は不動産や貨幣(および金利)だが、今後はAI・IT技術だろう。これらのおかげでモノやサービスが安く提供され、多くの人が貴族のような高水準の衣食住を手に入れる。すると人々は経済活動の代わりに文化活動に時間を費やし、ますます共感とつながりを求めるようになる。平安時代の短歌と後宮(文化サロン)と同じく、現代人はますますSNS上で発信し、サイバー上のコミュニティで他者と交流し、共感を得る生活にひたるだろう。
その際の和歌に相当するものは何か。今は貨幣だが、未来社会ではX(旧Twitter)のような何かのコミュニケーション様式やデータの使い方が交流を媒介するのではないか。
●2050年の社会を予測する
2050年の個人は、データ・IT技術の活用やBI(ベーシックインカム)制度の導入によって楽しくない労働からは解放され、自分の欲しいものをもっと自由に手に入れるようになるだろう。例えば各人の特性に合わせた特注品の衣服や食事、さらには教育メニューなども個別特注品化するだろう。まさに貴族ライフだ。
雑務はロボットが、定型的な情報の加工、論理判断型の作業はAIが担う。そうして生産性が上がるとBI(ベーシックインカム)制度が実現できる。すると最低限の生活が万民に保障され、生きるための労働は消える。個人が自由に使える時間が拡大して多くの人が文化活動にいそしみ、やがて貨幣や金銭に変わって文化やつながり・共感が大きな価値指標となるだろう。
かくして2050年の社会では経済成長よりも文化活動が重視されるだろう。また、金や権力よりも、他人から共感され評価されることが人々の幸福度(最近のことばでいうとウェルネス)を高めるだろう。以下ではそうした社会の特徴を4つあげてみたい。
(1)経済よりも文化
AIによって労働・雑務から解放されると、人々は文化・芸術活動にいそしむ。すでにビジネスの領域でも他者との差異化を図るための感性、美意識が重要になっている。例えば、スマートフォン。当初、日本市場ではバッテリーの持続時間や画素の細かさ等、機能性が訴求された。しかし、今や機能はあまり差別化要因にならない。むしろデザイン性とブランドへの共感を前面に押し出したiPhoneなどが人気を得る。
政治の世界でも、ソフトパワーや文化が前面に出される。外務省は日本の魅力を海外に発信するため、ロンドン、ロサンゼルス、サンパウロの3か所にジャパン・ハウスを設立して、日本文化を売り出す。2025年大阪・関西万博でも文化を日本のプロモーション軸として前面に押し出す。2050年の世界は今よりもっと文化を重視する社会になる。その中でもしかすると日本はこれまでの欧州に変わって世界の文化のメッカになっている可能性がある。
(2)個人のつながり、共感、他人からの「評価」を重視
平安の天皇制では洗練された文化を持つ者が評価され、出世した。2050年社会でも共感・つながりを得て他人から評価されることが、大きな価値基準となる。
共感の時代はすでに始まっている。モノの購入ではインフルエンサーの意見やユーザーの評判が重視され、購買サイトではレビュー機能は必須だ。X(旧Twitter)やInstagram、FacebookなどのSNSでも近況を発信し、他人の近況にも「いいね!」と共感を表してやっと完結する。
インフルエンサーやYouTuberのように、周囲から共感され「評価」される事自体が存在価値となる職業も生まれた。ソーシャルメディアを中心に個人が社会から「評価する(される)」という視点が芽生えている。現代社会では「人から評価されること」の仕組みといえば信用格付けや偏差値、長者番付など地位やお金にまつわることが多い。だが今後は個人の文化的活動やつながりの追求と結びついていろいろな基準での個人の評価が花咲く。個人の他人からの「評価」はやがて新たな社会システムの中枢に位置するようになるのではないか。
(3)ひとりひとりのために「特注品」を制作する
2050年の個人は、特別な技能がなくとも、自分の欲しいものを入手できるようになる。現在でも靴や服などの特注品が昔よりは安く買えるがもっとその対象は広がる。ドイツ政府が推進するインダストリー4.0構想やマスカスタマイゼーションの発想がそれだ。マスカスタマイゼーションとは、低コストの大量生産を行いながらも、最終商品はそれぞれの消費者に合わせたオーダーメイドに見えるという生産の手法である。設計情報がデジタル化すると、商品の仕様をある程度消費者側が設定できるようになる。すると特注品に近いものを安く入手できる。データやIoT技術の活用拡大による生産効率の向上と、複雑化する製造ラインの運用をAIがサポートすることで、この構想は実現化される。2050年の社会では、先進国全般にマスカスタマイゼーション発の産業構造が成立するだろう。
(4)「感情労働」が大事になる
前述のとおり、2050年の社会では金や権力よりも、人々から尊敬され評価される者が力を持つようになる。何をもって良い・悪いを評価するのかというと、多分「いいね」という共感である。ニュース媒体も網羅性や即時性はインターネットが奪い、マス媒体が発信する情報の権威や信用はますます落ちる。
AIでリサーチ等の代替可能な知的労働の価値は低下する。逆に、AIが不得手な「感情労働」の価値が上昇する。やさしい介護ヘルパーや看護士、セラピストのほうが専門性のない普通の医師よりもはるかに珍重される。ビジネスの文脈でも「コスパ」よりも「知覚品質」が重視される。つまりブランドやデザイン、アートなどをどう事業に組み込んでいくかが重要になる。
●テクノロジー万能主義を超えよう
今回は国家や企業、技術、民主主義、資本主義といった土俵を超えて、あえて個人の等身大の暮らしの視点から平安時代の貴族を手掛かりに2050年の社会を考えてみた。巷では電子通貨やメタバースがすべてを変えるという憶測や逆にデジタル全体主義への恐怖が語られる。だがこれらは所詮は、現代人が考える今の延長線上の未来でしかない。それをいったん超えて人間の本性を手掛かりにしてみると新たな視点が得られるのではないか。
参考文献
波頭亮『AI と BI はいかに人間を変えるのか』幻冬舎、2018 年
ハルオ・シラネ他編『世界へひらく和歌』勉誠出版、2012 年
ハンナ・アレント『人間の条件』筑摩書房、1994 年
池田亀鑑『平安朝の生活と文学』ちくま学芸文庫、2012 年
トマ・ピケティ『21 世紀の資本』みすず書房、2014 年
ジャック・アタリ『21 世紀の歴史』作品社、2008 年
(注)本稿は2023年1月10日、2023年1月11日のYahoo!ニュース(有料版)に掲載した拙稿「2050年を考えるヒントは平安貴族の暮らしにある」を再編集したものである。