大河ドラマ「光る君へ」紫式部と夫・藤原宣孝の結婚生活の実態とは?
大河ドラマ「光る君へ」第29回は「母として」。紫式部の夫・藤原宣孝の突然の「退場」に衝撃が走りました。かつて筑前守にも任じられた藤原宣孝の妻妾となった紫式部。長保元年(999)頃には娘の賢子を出産しますが、式部は実家の邸で子育てすることになります。里での出産というと、父母が色々な世話をしてくれるイメージがありますが、式部の場合、その母は幼少の頃に死去。父・藤原為時は越前守として越前(今の福井県)に赴任中でした。よって、父母を頼ることはできません。
しかも、式部は妻妾でしたので、夫・宣孝と実家の邸で同居していませんでした。父も夫もいない邸で幼い娘を養育することになったのです。邸中には使用人などもいたでしょうが、式部の心は不安だったと思われます。夫・宣孝は頻繁に式部がいる邸を訪問した訳ではありません。男が女のもとに通って来なくなる、いわゆる夜離れの期間もありました。
そのような時、式部は宣孝に「しののめの 空霧りわたり いつしかと 秋のけしきに 世はなりにけり」(夜明けの空は一面に霧が立ち込め、秋の景色になっています。私たちの仲も飽かれることになったことです)との和歌(返歌)を贈っています。式部邸を素通りすることもある宣孝が、日中に式部に会いたいと言ってきた際には「なほざりの たよりに訪はむ 人ごとに うちとけてしも 見えじとぞ思ふ」(いいかげんな通りすがりに訪れるような人の言葉には、打ち解けてお目にかかることはないと思っています)と返歌。
自らのもとを訪れることが少ない宣孝への不満を表明しています。不満だけでなく、式部は夫の訪れが余りないことを寂しく感じていたでしょう。「忘るるは うき世のつねと 思ふにも 身をやるかたの なきぞわびぬる」(人を忘れるということは、憂世の常だと思うにつけて、忘れられた身のやり場がなく、泣いたことです)との歌からは、式部の寂寞と悲しみがよく分かります。
(主要参考文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)