シリアのアル=カーイダ指導者がアフガニスタンでのターリバーンの政権掌握、外国人戦闘員の処遇を語る
アフガニスタンで9月6日、ターリバーンが北東部のパンジシール州で反対勢力を平定し、全34州を完全制圧したと発表した。一方、シリアでは、2011年に「アラブの春」の波及から10年を経て、北西部のイドリブ県一帯の軍事・治安権限を掌握し、シリア革命の覇者となるに至ったシリアのアル=カーイダが異例のインタビューに応じた。
インタビューに応じたのは、シリア最大のアル=カーイダ系組織であるシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)のアブー・バクル・ジャウラーニー指導者。インディペンデント(トルコ版)(Independent Türkçe)のジハド・アルパジュク記者がインタビューを行った。日時、場所は不明だが、その内容から8月27日以降に、イドリブ県(ないしはトルコ南部)で行われたと思われる。
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9月5日に公開されたインタビュー記事でのジャウラーニーの発言は以下の通り。
アフガニスタンでのターリバーンの政権掌握をどう評価するか?
「我々は20年の教訓を学ぶ必要がある。まず、どんな国でも占領が続くチャンスなどない。どんなに時間がかかっても、占領国はいつか去らねばならない」。
「第2に、政府が国民の意思に反すれば崩壊する。どれほど国民を監視していようがだ。英国、ソ連、そして最後は米国がアフガニスタンから出ていくことを余儀なくされた。米国はアフガニスタンから撤退するという正しい決定を行った。アフガニスタン人はこれからは自分たちの問題を自分たちで解決することになる」。
「こうした問題はおそらくは、20年前に一度でも話し合いが行われていれば解決されていた問題だ。多くのカネが費やされ、多くの人が命を落とした。アフガニスタン人も米国人もだ。しかし、問題は誤った戦略によってもたらされたのだ」。
カーブル国際空港近くでの爆発について実行声明(8月27日)を出したイスラーム国についてどう思うか?
「彼らは、イスラームの名を語る組織ではあるが、イスラームに害を与えている。彼らによって、西側ではイスラームは見下されるようになり、イスラムフォビアが助長された。ここでも、彼らはシリア革命に大打撃を与えた。革命家たちはダマスカスにまで到達していた時に、彼らが登場したことで、体制(シリア政府のこと)は安堵のため息をついた。同じようなことが今まさにアフガニスタンでも起きている。彼らはターリバーンと米国の合意が揺らぐことを望んでいた。彼らはイスラーム教徒が歓喜することに耐えられないから、こういうことをしたのだ」。
シリア内戦で反体制派は敗北したと考えているか?
「シリアで国民は革命運動を始めた。彼らはデモや行進を始めた。体制は迫害をなくしたいと望む国民に武器で対応した。その後、武装革命が始まった。体制はイラン人、アフガニスタン人、ヒズブッラーの民兵から支援を受け、厳しい戦争が始まった。占領軍が結成された。革命家たちは国の要衝を手中に収めたが、アサド体制はロシアに助けを懇願した」。
「ガーセム・ソレイマーニー(イラク・イスラーム革命防衛隊ゴドス軍団前司令官、2020年1月に米軍が殺害)がプーチン(ロシア大統領)のところに赴き、会談し、助けを求めた。そして、イスラーム国が参入した。ロシアの戦闘機が我々を激しく爆撃し、多くの支配地が陥落した。レジスタンス組織が統合されていなかったことは、大きな問題だったが、主要な問題ではなかった。そのことは、5%から10%ほどしか影響を与えなかった」。
「ロシアの戦略は、市民の犠牲のうえに成り立っていた。我々を窮地に追いやったのは、彼らが市民を直接標的としたためだ。彼らは当初、全土を3カ月から6カ月で掌握すると豪語した。だが、ロシアの攻撃が始まって6年が経ったが、500万人がイドリブ県で暮らしている。数千という革命家がここにいる。レジスタンスはまだ行われている。現在、革命諸派は、単一の軍事評議会の傘下のもとで統合へと向かっている。事態は良くなりつつある。我々は戦争に負けてなどいない。もし負けているなら、ここに今こうして座っているはずもない」。
シリアでの次の戦略は?
「体制とロシアは我々に武器という言葉で話しかけている。だから、我々も同じ言葉で応えている。彼らは軍事的目的を実現するため民間人を犠牲にする政策を打っている。我々には計画があるが、そのことについて今は言いたくない」。
シャーム解放機構とほかの武装勢力の間で散発する対立をどう解消するか?
「多くの組織がシリアで結成された。それぞれの組織が武器を持っている。こうした状況下で、組織間で問題が起きるのは当然だ。我々だけに特別なことではない。ほかの組織どうしも戦ってきた。こうした問題は、これらの組織が武器を持っているために起きたのだ。武器を使う機会がり、何らの問題も合意できなかったからだ」。
「我々がここで単一の政治機構を確立して以降、武装組織は軍事的な問題にだけ集中するようになった。民政機関(シリア救国内閣のこと)は市民の問題に対処するようになった。分掌が行われることで、問題は解消した。現在、我々と他の組織との関係は非常に良好で、我々は作戦司令室(「決戦」作戦司令室のこと)を共有している。我々は共に前線にいる。我々には何の問題もない」。
シリアが最終的にどうなることを期待しているのか?
「私は、シリアが占領のない国、ロシア、イラン、現政権のない国になることを夢見ている。国民が革命に専念していることは証明済みだ。我々には自らを統治できる国民がいる。このことは明らかだ。民政機関も設置されている。この国を統治する能力を持った国民がいる。シリア国内にいようが、難民としての暮らしを余儀なくされていようが…」。
「私は将来、シリアがこの目的を達成することを目にしたい。体制がこれを阻止するために戦うことで躍起だ。シリア国民を別の国民に置き換えたいと考えてさえいる。一連の動きのなかでそうしようとしている」。
「イスラーム教徒は、イスラームの傘のもとで暮らし、自らを統治する。国民の意思がアフガニスタンで勝利したように、シリアでも同じことが起きるだろう」。
シリア分割の是非について
「体制は困難な状況下でこのこと(シリア分割への意思)を暴露した。しかし、そうしたことは起こらないと考えている。シリアは革命のおかげで一つであり続ける」。
クルド民族主義勢力についてどのように考えているか?
「クルド人はイスラーム教徒で、シリアの重要な一部である。体制はこれまで、クルド人から最低限の権利さえ奪ってきた。クルド人にIDさえ与えなかったのだ。その一方で、体制はPKK(クルディスタン労働者党)と良い関係を築いてきた。人民防衛隊(YPG)というのはこの組織の新しい名前だ」。
「周知の通り、アブドゥッラ・オジャラン(PKK指導者)はシリアで暮らしていた。体制はトルコに対抗するためにYPGを利用した。米国もクルド人に対する迫害に乗じて、YPGを増長させた」。
「シリア北東部でのYPGの自治が辿る運命は、米国がそこにとどまるかどうかにかかっている。米国がシリアから去れば、YPGも出ていこうとするだろう。アフガニスタンで航空機にしがみついていた人が落ちる映像がここでも同じように繰り返されるだろう」。
「米国のことだけを話しているのではない。ロシアについても同じだ。ロシアが出ていけば、ロシアの航空機にしがみついている者たちが落ちるのを見ることになるだろう」。
「我々はYPGを革命の敵だと見ている。彼らは「ユーフラテスの盾」地域(2016年にトルコが占領したアレッポ県北部のこと)や「オリーブの枝」地域(2018年にトルコが占領したアレッポ県北西部のこと)で爆弾を爆発させている。我々は彼らを、シリアの一部としてではなく、米国、体制、そしてロシアの一部と見ている」。
イドリブ県でのトルコのプレゼンスをどう考えているか?
「イドリブ県に対して行われた最後の作戦では、多くの市民がトルコやトルコ国境地帯への移住を余儀なくされた。こうした状況で、トルコは、政治的にも、経済的にも、社会的にも困難に直面した。こうした問題ゆえに、トルコは慎重になった。なぜなら、ロシアと体制の前進は続いているからだ」。
「トルコは緊急の措置を講じ、この地域における均衡をとった。ここでのトルコの活動は、純粋に軍事的な性格のものに限られている。トルコは(政府支配地との)境界線に近い地域で活動している。民政には干渉してない」。
「歴史と地理の声というのは大きい。トルコとシリア間には歴史的、地理的なつながりがある。我々はこのことを十分に承知している。我々は両国民の利益を支援したいと考えている。シリアが革命の脅威となれば、長期的にはトルコにとっても脅威になる」。
イドリブ県における民政について
「シャーム解放機構は自分たちだけの利益のために活動する組織ではない。我々は常にイドリブ県の民政機関を支援してきた。ここは今安定している。それは民政機関があるおかげだ。それは、どのように革命が自らを統治し得るかということを絶え間なく問われている。その経験は、こうした問いによく答えている。すべての民政機関はダマスカスの政権の場所を埋めるために登場した」。
「革命の民政機関を強化することは非常に重要だ。10年で、弊害も生じている。子供たちは読み書きができない。安全にかかわる問題もある。民政機関の強化は移民問題の解決策にもなる」。
「安全、教育、経済がなければ、人々は外国に行くことを考える。民政機関はまた、人々に移民を余儀なくしている問題を根絶する。我々は国外の難民をここに帰還させようともしている。それには一連の手順が必要なのだ」。
シリアの停戦・和平プロセスをどのように見ているか?
「ただこう言いたい。ロシアとイランが語っている真の言葉とは、武器という不快な言葉だけだ。この二つの国は、政治的な交渉を行い、合意を交わしてきたが、それらすべては軍事的な問題に時間を費やすためだ。例えば、アスタナ合意で、イドリブ県に監視所が設置されたが、体制はその一部を包囲し、一部地域は奪われ、軍事観測所の場所は変更されてしまった」。
「ジュネーブでも滑稽なことが起きた。シリア人代表の半分は体制そのものが選ぶ一方で、反体制派の代表は自分たちで派遣する使節を選ぶことを許されなかった。シリア革命を代表していると主張している者たちは、シリア革命と無関係だ。革命家を代表したいのなら、意志を持たねばならない」。
「我々はシリア革命において非常に大きな組織をなしている。我々は自らに大きな負担を課している。ジュネーブでは憲法が一つの論点になった。15万人が体制の刑務所で殺害された。我々はロシアの航空機と体制のたる爆弾で100万人以上を殉教者として失った国民だ。我々はどのようにロシアとイランが出ていくかについて話す必要がある。だが、これらの国はこのことには言及せず、革命家たちを目的から逸脱させようとしている」。
シリア軍による新たなイドリブ県への進攻はあると考えるか?
「彼らは直近の機会を見つけて、それに乗じて行動するだろう。だが、我々の防衛線は強固だ。もちろん、我々には攻撃の計画もある。停戦以降も、ロシアとイランはイドリブ県への攻撃をやめていない。我々はザーウィヤ山地方で多くの虐殺を目の当たりにしている。爆撃と砲撃は続いている」。
イドリブ県情勢が今後に与える影響について
「軍事行動が行われる度に、市民が犠牲となり、難民が増加する。我々の軍事作戦は、そのすべてにおいて国民を守ることを最優先としている。また、我々にとって第2の目的は体制によって奪われた地域を回復することにある」。
「難民問題は我々にとっても非常に大きな問題だ。レバノン、イラク、そしてとくにトルコに多くのシリア難民がいる。難民の増加は、シリアと諸外国にとって新たな問題が発生することを意味する。我々はこの地域を防衛するために軍事的措置を講じ、難民の波が発生するのを阻止する」。
イドリブ県で活動する外国人戦闘員の処遇について
「我々が移民として受け入れた兄弟たちは、我々を助けるためにシリアに来てくれた。その努力に感謝したい。我々は彼らを見捨てることはない。彼らは我々の一部だ。彼らは国民になじんでいる。彼らは国民と一緒にいて幸せを感じており、国民もそう感じている。彼らはこの国にとって脅威ではない。彼らは我々の方針に服している」。
「我々の方針は、外国との敵対に基づいてはいない。我々の敵は、シリアに侵略し、シリア人を殺害する者たちだ。我々はまた、こうした敵とシリア領内で戦っている。繰り返したい。我々が受け入れた兄弟たちは我々の一部だ。我々は自らの宗教と文化にしたがって彼らを守る」。
一部外国人戦闘員がアフガニスタンに渡ったとの情報について
「誰かがここからアフガニスタンにいったといったことを一度も聞いていない」。
2016年以降、公の場に姿を現し、インタビューにも応じるようになった理由
「シリア革命にはいくつもの段階を経てきた。当初から私が姿を現していれば、いくつかの問題が生じていただろう。おそらく、快適に移動することもできなかっただろう。だが、シリア革命があるべき性格を獲得したので、私は姿を現した」。
「インタビューに応じるのは私の仕事だ。私には、シリアで何が起きたのかを話す必要がある。我々はこの国にとって重要な一要素をなしている。だが、我々はその時々にふさわしい対応をしてきたのだ」。