ガラパゴス化するシリアのアル=カーイダ系組織
今世紀最悪の人道危機と称されるシリア内戦は、多くの反体制組織の盛衰をもたらした。そのなかには、アル=カーイダを自称する活動家や組織、アル=カーイダから破門され、彼らよりも過激だと目される組織、アル=カーイダと絶縁し、独裁政権打倒、自由と尊厳の実現を目指すフリーダム・ファイター(自由シリア軍)になりすまそうとする組織などが多く含まれている。
アル=カーイダ系組織として知られる彼らは、さまざまな争点が錯綜して展開したシリア内戦のなかで、離合集散を繰り返し、「独自の進化」を遂げた。
「進化」の起点
シリアにおけるアル=カーイダ系組織の「進化」の起点として位置づけることができるのが、シャームの民のヌスラ戦線(略称ヌスラ戦線)だ。彼らは、イラクのアル=カーイダ(イラク・イスラーム国)のシリアにおけるフロント組織として2011年末頃から活動を開始、2012年半ばまでに各地に勢力を伸長し、シリアでもっとも有力な反体制派としての地位を揺るぎないものとした。指導者はダイル・ザウル県出身のシリア人アブー・ムハンマド・ジャウラーニーが務める。
アル=カーイダより過激なアル=カーイダ:イスラーム国
このヌスラ戦線と袂を分かったのがイスラーム国である。結成の経緯はこうだ――2013年4月、イラク・イスラーム国の指導者アブー・バクル・バグダーディーがヌスラ戦線を傘下組織だと暴露、イラク・イスラーム国とヌスラ戦線を完全統合し、イラク・シャーム・イスラーム国(ISIS、ISIL、ダーイシュ)に改称すると宣言した。だが、ジャウラーニーはこれを拒否し、ヌスラ戦線として独自の活動を続けると表明した。この対立に対して、アル=カーイダ(総司令部)の最高指導者であるアイマン・ザワーヒリーは11月、ヌスラ戦線とイラク・シャーム・イスラーム国の活動の場をそれぞれシリア、イラクに分けるとの裁定を下し、その遵守を求めた。だが、イラク・シャーム・イスラーム国はこれを拒否、ザワーヒリーは2014年2月に破門を言い渡した。
イラク・シャーム・イスラーム国は、ヌスラ戦線の手中にあったラッカ市を2013年10月に制圧するなどして強大化、イラク国内にも勢力を伸長した。そして2014年6月、イラク第2の都市とされるモスルを制圧、カリフ制樹立を宣言し、イスラーム国に改称した。
アル=カーイダ系組織糾合:ファトフ軍
その後、イスラーム国が「国際社会最大の脅威」と目されるようになったのは周知の通りだが、ヌスラ戦線も、シリア政府への抵抗に注力することで「進化」を続けた。
その活動は、反体制派との共闘というかたちをとり、ファトフ軍の中核を担うに至った。2015年3月に結成されたこの連合体は、ヌスラ戦線のほか、シャーム自由人イスラーム運動(別名アフラール・シャーム)、ジュンド・アクサー機構、シャーム軍団といったイスラーム過激派によって構成された。このうち、シャーム自由人イスラーム運動とジュンド・アクサー機構もアル=カーイダ系組織である。
シャーム自由人イスラーム運動は、アフガニスタンやイラクでの戦歴を持つアル=カーイダ・メンバーのアブー・ハーリド・スーリーや、サイドナーヤー刑務所(ダマスカス郊外県)での収監経験を持つハッサーン・アッブードらが2011年末に結成した組織だ。アブー・ハーリドは、ヌスラ戦線とイスラーム国の不和を解消するために仲介を試みたことで知られているが、2013年2月下旬にイスラーム国メンバーとされる刺客の自爆攻撃で暗殺された。彼らは2015年に入って以降、アル=カーイダとの関係をことさら否定し、独裁打倒をめざすフリーダム・ファイターだとアピールするようになっていた。
ジュンド・アクサー機構は、ヌスラ戦線を離反した武装集団が2014年11月に結成した組織である。アル=カーイダに忠誠を誓っているが、メンバーのなかにはイスラーム国に共鳴する者も多く、そのことが理由で、ヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動とたびたび衝突した。だが、その一方で、これらの組織とイスラーム国の活動を架橋する役割も果たしてきた。
これら三つのアル=カーイダ系組織を、フリーダム・ファイターとイスラーム国を両極とする反体制派のスペクトラのなかに位置づけると、シャーム自由人イスラーム運動はフリーダム・ファイターと、ジュンド・アクサー機構はイスラーム国と親和性を有しており、両者の中間にヌスラ戦線が存在するということになる。
自由シリア軍への「なりすまし」
ファトフ軍の結成は、イドリブ県およびその周辺地域の制圧という一大成果をもたらした。だが、反体制派は2015年9月のロシア軍による爆撃開始により徐々に劣勢を強いられるようになり、2016年9月には最大拠点であるアレッポ市東部をシリア軍によって包囲されるに至った。事態を打開するためにヌスラ戦線がとった秘策が、自由シリア軍への「なりすまし」だった。
ヌスラ戦線は2016年7月、アル=カーイダと関係を絶ち、組織名をシャーム・ファトフ戦線(シャーム征服戦線)に改めると発表した。アレッポ市東部では、シャーム自由人イスラーム運動が米国の支援を受ける「穏健な反体制派」とともにファトフ軍を模したアレッポ・ファトフ軍を結成(2015年5月)し、抵抗を続けていた。脱アル=カーイダ化を表明したシャーム・ファトフ戦線は、このアレッポ・ファトフ軍と公然と連携するようになり、12月にはアレッポ軍の名で糾合した。
繰り返される離合集散
アレッポ市東部での攻防戦は、アレッポ軍の敗北に終わり、シリア政府は2016年12月に同地の支配を回復した。2017年に入ると、ロシア、トルコ、イランが結託を強め、反体制派に停戦を強く求めるようになる一方、シャーム・ファトフ戦線へのロシア・シリア両軍の「テロとの戦い」も激しさを増した。加えて、ドナルド・トランプ米新政権もシャーム・ファトフ戦線と共闘する反体制派への支援を中止し、イスラーム国に対する「テロとの戦い」に専念するようになった。
こうした変化に翻弄されるかのように、シャーム・ファトフ戦線、シャーム自由人イスラーム運動、ジュンド・アクサー機構は、イドリブ県、アレッポ県南西部、ハマー県北部、ラタキア県北部で支配権争いを激化させた。
支配権争いのなかで、離合集散も頻繁に行われた。その中軸となったのは、またしてもシャーム・ファトフ戦線だった。2017年1月、彼らは、シャーム自由人イスラーム運動と対立を繰り広げるなかで、ヌールッディーン・ザンキー運動などとともにシャーム解放委員会(日本語での別名はシャーム解放機構、シリア解放機構)を結成した。
ヌールッディーン・ザンキー運動はほどなく(同年7月)、シャーム解放委員会が「シャリーアの裁定」に従っていないとして脱退した。だが、シャーム解放委員会は、米国の支援を受けていた「穏健な反体制派」の自由イドリブ軍、イッザ軍、ナスル軍などとの連携を維持・強化した。なお、ヌールッディーン・ザンキー運動は2018年2月、シャーム解放委員会と対立を繰り返すようになっていたシャーム自由人イスラーム運動と統合し、シリア解放戦線を称するようになった。
シャーム解放委員会とシャーム自由人イスラーム運動の対立は、フリーダム・ファイターへの「なりすまし」をめぐる対立とみなすことができた。だが、それは、イドリブ県を中心とするシリア北部に限られた話で、ダマスカス郊外県において、両組織はラフマーン軍団も含めたかたちで共闘し、2018年4月に同地からイドリブ県に退去するまで、シリア政府だけでなくイスラーム軍に対抗した。また、ダルアー県でも、「堅固な建造物」作戦司令室の名のもとに糾合した。
アル=カーイダ再興をめざす動き
一方、イスラーム国との親和性、あるいは「アル=カーイダらしさ」をめぐる離合集散も繰り返された。その動きのなかで、中心的な役割を果たしたのがジュンド・アクサー機構(の残党)だった。
ジュンド・アクサー機構は、2016年10月にシャーム自由人イスラーム運動との対立に敗れ、シャーム・ファトフ戦線に忠誠を誓うことで延命を図った。だが、2017年1月、シャーム・ファトフ戦線とシャーム自由人イスラーム運動の対立を誘発し、シャーム・ファトフ戦線から破門された。そして、2月になると、シャーム解放委員会やイスラーム国との関係のありようをめぐって内部対立をきたし、三つに分裂した。
三つの派閥のうち、第1の派閥はシャーム解放委員会に再び忠誠を誓った。第2の派閥は、中国の新疆ウィグル自治区出身者からなるトルキスタン・イスラーム党に共鳴、アンサール・トゥルキスターンを名乗った。第3の派閥は、主にハマー県出身者からなり、アクサー旅団の名で活動を開始した。このうち、アクサー旅団はシャーム解放委員会との戦闘の末、イドリブ県からの退去を骨子とする停戦に合意、2月末までにイスラーム国支配下のラッカ県方面に転戦した。なお、イスラーム国が、ロシア・シリア両軍と米軍主導の有志連合に挟撃され、その後2017年末に事実上壊滅したことは周知の通りである。
一方、イドリブ県では、シャーム解放委員会やシャーム自由人イスラーム運動が自由シリア軍への「なりすまし」を続けるなか、フッラース・ディーン機構を名乗る新たな組織が台頭した。
2018年2月に結成されたフッラース・ディーン機構を指導したのは、アブー・ハマーム・シャーミーなる人物だった。彼は、アル=カーイダのメンバーとしてアフガニスタンやイラクでの戦歴を持ち、ヌスラ戦線メンバーでもあった。だが、シャーム・ファトフ戦線への改称時にアル=カーイダとの関係を解消したことを不服として離反、アル=カーイダの「再興」をめざしていたのである。
シャーム解放委員会は、イドリブ県内でイスラーム国のスリーパー・セルを摘発すると称して治安活動を強化、イスラーム国のメンバーだけでなく、アブー・ハマームの同志たちも拘束していった。こうした「弾圧」を前にフッラース・ディーン機構に同調する勢力が現れた。ジュンド・アクサー機構の残党である。彼らは2018年2月、アンサール・タウヒードなる武装集団を結成、フッラース・ディーン機構とともにハマー県北部などでシリア軍への反抗を開始したのだ。
フッラース・ディーン機構とアンサール・タウヒードは4月、アル=カーイダとの絶縁に際して棄てられた「ヌスラ」という呼称を冠した新たな連合体イスラーム・ヌスラ同盟を結成し、「アル=カーイダらしさ」を誇示した。
この頃までには、シャーム解放委員会はトルコへの従順さを増していた。トルコが、ロシアやイランとの合意に基づいてイドリブ県各地に監視所を設置すると、シャーム解放委員会は、トルコ軍の車列を護衛するなどの任務を担った。また、トルコの意向に従うかのように、シリア軍との戦闘を控えるようになった。一方、シャーム自由人イスラーム運動も、トルコの実質占領下にあるアレッポ県北部に拠点を移し、自由シリア軍として生き残りをかけた。こうしたなか、フッラース・ディーン機構、あるいはイスラーム・ヌスラ同盟は、内ゲバ以外で好戦性を維持する数少ないアル=カーイダ系組織として異彩を放ち続けている。
シリアのアル=カーイダ系組織の「進化」の過程を概観した。そこから見えてくるものは、内戦のなかで彼らが獲得した最終形態が、アル=カーイダとしての存在そのものも取捨選択可能なツールとすることで延命を図ろうとするという「柔軟性」だったという事実である。このことは、厳格さや狂信性などアル=カーイダが持つステレオタイプとは真逆なのである。