井浦新がアメリカ映画初主演で“東京から来たカウボーイ”に。監督は「寅さん」現場に弟子入り経験も
国内で成功を収めた俳優が、海外へ進出する──。そんな例をわれわれは何度も目にしてきたが、ここにまた一人、新たな挑戦者が出現した。井浦新だ。この秋だけでも『福田村事件』、『アンダーカレント』、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』と、メインキャストで出演した映画が3本も公開。キャリアの好調ぶりをうかがわせる彼が、アメリカ映画で主演を務めた『Tokyo Cowboy(原題)』が完成。現在、いくつかの映画祭で上映が始まっている。
アメリカのモンタナ州の牧場を買い取り、そこで和牛を育てる新たなビジネスを始めるべく、黒毛和牛の専門家を伴って東京からやって来たヒデキ。牧場の面々との交流を経験し“カウボーイの心”にもめざめた彼は、やがてビジネスは二の次となり、自分を見つめ直していく。国境やカルチャーを超えるこのヒューマンドラマで、井浦新は英語のセリフも駆使しながら、堂々たるアメリカ映画デビューを果たしたのだ。井浦新がカウボーイへと変貌していくプロセスに、彼をよく知る日本の観客も胸を熱くすることだろう。
和牛の専門家ワダ役に國村隼、そしてヒデキの上司で、私生活では婚約者であるケイコ役を藤谷文子が演じているが、他のメインキャストはアメリカ人俳優である。この『Tokyo Cowboy』のマーク・マリオット監督と、プロデューサーのブリガム・テイラーにインタビューを試みた。
山田洋次監督に手紙を書いて直訴
マーク・マリオットはこれまで短編やTVシリーズを手がけ、本作が初の長編映画。アメリカ人の彼が、なぜ日本人を主人公に映画を撮ろうと思ったのか? じつはマークと日本には深い縁があったということで、そのあたりから話を聞いてみた。
「もう30年以上も前のことですが、私は山田洋次監督に弟子入りした経験があるのです。私は数年間、日本で生活した後、アメリカへ戻って大学で勉強していたとき、その大学で山田洋次監督作品が上映されるイベントがあり、監督自身も来場しました。直接話す機会ははかったものの、映画製作への野心がめばえていた私は山田監督に手紙を書き、弟子入りしたい旨を伝えたのです。そうしたら『次の映画をウイーンで撮るので、よかったら来てください』という返事をもらえました。それが、寅さんが初めて海外へ行った『男はつらいよ』の41作目(『寅次郎心の旅路』)で、私は“山田組”の現場に入り込むチャンスに恵まれました。寅さんが海外へ行く映画を手伝ったことで、いつの日か日本人のキャラクターが外国へ行く映画を作りたいという夢が育まれ、ようやくその夢が叶ったのが本作です」
『Tokyo Cowboy』のストーリーは、どのようにマークの頭に浮かんだのか。ひとつのきっかけがあったという。
「ある雑誌で“Samurai Flickers”というタイトルの記事を見つけました。日本企業が所有するモンタナの牧場に、その企業が牧場経営を学ばせるために社員を派遣しているという内容でした。日本人がカウボーイになったわけで、それが本作の小さなインスピレーションです。私はこのアイデアをブリガム(・テイラー)に売り込み、彼と協力して、どんな日本人がモンタナに来て、何を経験すれば映画として面白くなるかを構築していきました。やがて脚本家としてデイヴ・ボイルと藤谷文子さんの参加が決まり、本格的にプロジェクトは動き出しました」
ブリガム・テイラーは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズや『ジャングル・ブック』など大作も手がけてきたプロデューサー。その彼がなぜ『Tokyo Cowboy』に興味を示したのだろうか。
「私は長年、ウォルト・ディズニー・カンパニーで映画製作を手がけ、その多くはメジャーな観客をターゲットにする作品やファンタジーでした。『Tokyo Cowboy』はキャラクターが動かす物語というコンセプトが新鮮だったのです。まずマークには、どのようなテーマを追求したいのかを確認し、そこが揺らがないストーリーを作ってもらいました。魔法や奇跡などを使わずに、このように登場人物の内面や葛藤にフォーカスする作品は、私にとって初めてで、すべてが最高の経験になりましたね」
井浦新こそ、主人公の感情を自然に表現できる
そして本作の成否のカギを握ったのは、当然ながら主人公ヒデキ役のキャスティングだ。井浦新を選んだ理由を、監督のマークは次のように説明する。
「日本の映画プロデューサー、甘木モリオさんの助けを借りて、注目すべき日本の俳優のリストを作りました。そこにアラタも入っていたのですが、『朝が来る』の彼の演技を観て、私は心から感動したのです。ここまで感情を自然に表現し、地に足のついた演技ができる人は他にいないと感じ、ヒデキ役に最適だと判断しました。そこですぐにアラタに脚本を送ったところ、彼も興味を持ってくれたのですが、スケジュールの関係ですぐには撮影に入れないこともわかりました。私たちは喜んで彼の体が空くのを待つことにしたのです」
最初は諦めかけた日本での撮影
『Tokyo Cowboy』は主にモンタナ州の牧場で展開されるが、日本で撮影を行ったシーンもある。アメリカ映画に登場する日本は、それが短いシーンの場合、現地ロケを行わずセットで済ませるケースも多い。しかしマークは、あくまでも日本で撮ることにこだわった。
「じつは当初、日本で撮影できない可能性がありました。コロナのパンデミックもそうですが、本作は低予算のために映画俳優組合との契約条件で、国外での撮影が難しかったのです。組合側の要請に従うなら、ロサンゼルスで日本のシーンを撮ることになります。もちろんLAを東京に見せかけることもできなくはありません。でもこの物語は東京で始まるので、本物の場所、そこに流れる空気感が絶対に必要なのです。結果的に組合側が条件を免除してくれ、東京での撮影が可能になりました。本当にラッキーです」
プロデューサーのブリガムによると「モンタナ州での撮影は15日間。日本を入れると撮影日数は20日程度」と、実質の撮影スケジュールはコンパクトなものだったという。監督のマークは「東京での撮影は5日間。ただし、その前に1週間の準備期間があり、私たちクルーは電車に乗ったり、街を歩いたりしながら実景をゲリラ的に撮影しています」と告白する。
東京での撮影は何かと許可をとるのが難しく、とくに海外の作品ではハードルが高くなり、その結果、敬遠されるケースもある。この『Tokyo Cowboy』ではどうだったのか。
「ちょうどコロナによる渡航制限が緩和された時期に日本に入国できたのは幸運でした。準備期間が限られていたにもかかわらず、TOKYO COLOURSというロケーションサービスの協力で、シーンにふさわしいロケ地を紹介してもらいました」と語るマーク・マリオット。
プロデューサーのブリガムは、過去の作品とまったく異なる現場を体験したことを、次のように付け加える。
「これまでのハリウッドのメジャースタジオでの仕事では、最低でも100人のクルーが現場で働いていました。今回はキャストを含めても多くて30人。シーンによっては、もっと少ないこともありました。TOKYO COLOURSのブライアン古保さん、宮本奈緒子さんは海外組の日本での撮影を請け負うプロフェッショナルで、エキストラの手配、撮影の許可などスムーズにこなしてくれ、私たちはかなり負担が減ったと感じます。ホテルの窓から渋谷の美しい風景をワイドショットで撮ったとき、心から感動したのを今も覚えています」
そしてマーク・マリオット監督は、東京の撮影での井浦新のサポートにも深く感謝する。
「アラタの協力は不可欠でした。彼はインディペンデント系の製作現場に慣れていて、つねに臨機応変。私たちが東京の街や地下鉄をどう映すか悩んでいる際にも的確なアドバイスをくれたので、安心してカメラを回すことができました。居酒屋が並ぶストリートのシーンはゲリラ的に撮ったのですが、5テイクぐらいで完璧な映像になりました。東京での撮影は本当に素晴らしい体験になりましたね」
こうして『Tokyo Cowboy』には、日本人が観てもまったく違和感のない東京の風景が映像にやきつけられた。メインの舞台となるモンタナの広大な風景とのコントラストもあり、われわれ観客も井浦新のヒデキと同じように、映画を観ながらモンタナの牧場の開放感を味わい、人生のターニングポイントを共有することになる。
後編の記事では、日本では人気俳優だった藤谷文子が脚本に関わった経緯などを紹介する。
『Tokyo Cowboy』は2024年、日本で劇場公開予定
画像提供:Tokyo Cowboy