Yahoo!ニュース

エンドクレジットがまさかの「16分」の映画が現る…。席を立っていいか問題も改めて考える

斉藤博昭映画ジャーナリスト
(写真:イメージマート)

映画のエンドロールを最後まで観るのは常識か、マナーか、そうではないか。日本では何かと話題になるこの問題。11/1に日本でも公開が始まった『ヴェノム:ザ・ラストダンス』は、なんとエンドロール(エンドクレジット)が、なんと16分も続くことが判明し、一部でネタになっている。

上映時間が1時間49分と聞いて本作を観たところ、本編の終了時に腕時計を見ると1時間30分ちょっとしか経っていない。「あれ?」と思うと、そこからエンドクレジットがスタート。最初の2分くらいは、スタッフ&キャストの名前とともに、ヴェノムが様々な相手と合体したりするイメージが美麗な映像で展開するので飽きないのだが、おまけシーンを一瞬挟み、そこから例の黒バックに文字だけというエンドロールが10分以上も続く。

確かに、これはちょっと長い。しかも文字の流れがかなりスローなので「もう少し速く進めてもいいのでは?」、「1行あたり、もっと人数が入るだろ!」とツッコミたくなるのも事実。実際に時間を測った人によると、映画のラストカット後から16分に達したという。近年、最も長かったとされる『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』も超えたと、むしろ感嘆する声すらも……。

きっかけは、あの映画? どんどん長くなったエンドロール

ハリウッドのアクション大作は、スタッフの数が尋常ではなく、特にVFX(ビジュアル・エフェクトなど)は複数の会社で膨大な人数が担当しているので、エンドクレジットの量が増えるのは必然。あらゆる業務で関わった人の名前が入っており、ドライバー(運転手)など、まぁ眺めていると映画の現場の勉強にもなる。実際に関わったスタッフ本人や知人が名前を見つける喜びもあるだろう。

メジャースタジオのアニメ作品では、製作時にスタッフに産まれた子供の名を「プロダクション・ベイビーズ」として流したりもしている。その子が大人になって自分の名を発見すれば…という遊び心も感じられたりもするが、そこまで必要なのか!?

かつての映画は画面に「THE END」「終」などの文字が出てバッサリ終了するのが定石だった。現在の長いエンドロールは、1973年の『アメリカン・グラフィティ』が起源とされ、監督のジョージ・ルーカスが低予算のためにギャラを十分に払えないスタッフへの御礼として名前をクレジットしたという。そこから全キャストやスタッフ、多くの情報(使用曲、ロケ地、スベシャル・サンクスなど)も加えて、現在の長いエンドクレジットへと至る。

写真:Shutterstock/アフロ

日本映画では主題歌とともにエンドクレジットが流れるスタイルも定着。ジャッキー・チェンの映画では劇中のNG集をクレジットとともに流すなど、エンドロールを楽しませる趣向も増えていった。実話を基にした映画では、モデルとなった人や事件の実際の画像・映像がエンドロールとともに紹介されたりもする。

近年はオマケ映像を確認する必要が

そして近年はハリウッド大作でも『パイレーツ・オブ・カリビアン』あたりからエンドロール後の“オマケ映像”を取り入れるようになり、それがマーベル作品で定着。最後の最後に軽いサプライズ、次作への伏線を期待して、エンドロールを観見届ける重要性も増えてきた。『デッドプール』のようにオマケが最高に楽しい作品も多い。冒頭で16分のエンドロールと紹介した『ヴェノム:ザ・ラストダンス』もマーベルなので、その期待を持たせてくれる。

中には『ボヘミアン・ラプソディ』のように、エンドロールも含めてひとつの作品として完結するものあり、同作の地上波テレビ放映時にエンドロールがぶった切られた際は批判の声が上がったりも。

とはいえ大半の作品は、おもにブラックの無色のバックに文字が出てくるだけ。バックに流れる音楽が、映画とあまり関係ないことも多い。日本以外では、以前からエンドロールに入ると席を立つ人がほとんどという国も多く、実際にエンドロールで場内の照明を少し明るくする劇場も。もちろん座ったままの人もいて、各自の自由という印象。一方で日本では、エンドロールが終わるまで着席していることがマナーという空気が支配していた。

最後まで観ることが作り手への敬意

明るくなるまで余韻に浸りたい

などの意見も多いなか、

ただ文字が流れているのを眺めているのはムダ

一刻も早くトイレに行きたい

という人もいる。

とりあえずエンドロール時は着席しつつ、「今ならいいよね」と暗闇でスマホの明かりを点けたり、話し始めたりして、近くの人に注意されるケースも。

あらかじめエンドロールを見ないと決め、列の端の席を取る人もいたりするが、混雑回はなかなかそうもいかない。

暗闇で階段を下りるのは危険

……など、意見はさまざま。しかし最近は以前に比べ、シネコンなどでエンドロールですぐに席を立つ人が若干増えてきた気もする。

かつては「劇中で使われたあの曲は?」とか、「こんな国で撮影したのか」などエンドクレジットを観続ける意味も大きかったが、今やネットで何でも調べられる時代。

たとえばNetflixでは、エンドロールに入った瞬間(これ以上、重要な映像が流れない作品)、視聴終了の画面にシフトする。もともと配信やDVDなどのパッケージで観る際、最後までクレジットを追いかけていた人は少ないはずだが、こうした配慮が劇場鑑賞にも少し影響しているのかもしれない。

それでも映画館は、やはり特別な空間。わざわざ来たのだから、たかが5分、10分くらい、ゆったりと席についたまま、いま観た作品に思いを馳せればいいのかも。そんな時、目の前を人が無理矢理な感じで横切ったら、感動が醒めてしまう…のも、わからなくない。一方で、エンドクレジット中に立つ人に寛容であれば、それはそれで嫌な気分にもならないかと。

ただやはり長すぎるのは問題。エンドクレジットは、できたら5分くらいでまとめてほしいものである。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

斉藤博昭の最近の記事