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愛知の医療はコロナにどう対処したか? キーマンの医師に聞いた「トイレの張り紙」の意味

関口威人ジャーナリスト
名古屋市内の高齢者施設で医療支援に当たる北川喜己医師(名古屋掖済会病院提供)

 日本では全国的に収まりを見せている新型コロナウイルス。東京、大阪と並んで悪戦苦闘の続いた愛知県でも、一時は医療体制が逼迫したが「崩壊」までには至らず、第5波を乗り越えたといえる。その調整役を担った愛知県新型コロナウイルス感染症調整本部・医療体制緊急確保統括官の北川喜己医師に、第1波以来の現場での実感や、その教訓を踏まえた第6波への備えを聞いた。

DMATの医師としてクルーズ船対応に当たる

 北川医師は名古屋市の民間病院「名古屋掖済会(えきさいかい)病院」に所属。副院長・救命救急センター長を務めながら、災害時はDMAT(災害派遣医療チーム)の医師として被災地に向かう。2011年の東日本大震災では3月11日の発災当日からチームを編成し、名古屋から関東方面に入って医療活動に当たった。

 今回の新型コロナでは昨年1月から2月にかけ、中国・武漢からの帰国者の受け入れや、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の対応を国から要請された。クルーズ船には北川医師自身も乗り込み、船内の医療対策本部で700人以上の感染者らのケアやトリアージ(治療の優先度に応じた振り分け)をしていたという。

 しかし、DMATとして感染症に対応するのは初めての経験。新型コロナについてもまだ分からないことだらけだった。「私自身も当時の気持ちは不安そのものでした」と北川医師は振り返る。しかし、その経験が後に都道府県単位でのクラスター対応や病院の受け入れ体制づくりに生かされる。

副院長を務める名古屋掖済会病院(名古屋市中川区)でインタビューに応じる北川喜己医師(2021年10月28日、筆者撮影)
副院長を務める名古屋掖済会病院(名古屋市中川区)でインタビューに応じる北川喜己医師(2021年10月28日、筆者撮影)

「まさか」の第1波から県の医療調整役へ

 北川医師が戻った愛知県では、岡崎市の藤田医科大岡崎医療センターでクルーズ船患者ら130人ほどを受け入れることになった。北川医師は愛知県庁内に置かれた県保健医療調整本部に入り、発熱などの症状が出た患者の搬送先を決める調整役を担った。

 ところが、そのころ同時に愛知県内でも感染者が増加し始める。名古屋掖済会病院にも最初期にコロナ患者が運び込まれ、院内は対応に追われた。

 「まさかと思ったが、もう愛知にコロナが入ってきているのは確かだった。ただ、一連のクルーズ船対応があったから、愛知では早期に体制が整えるようになった」という。

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の患者らを受け入れた愛知県岡崎市の藤田医科大岡崎医療センター。自衛隊車両の先導で深夜に大型バスが到着した(2020年2月19日、夏目健司撮影/NAMEDIA)
クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の患者らを受け入れた愛知県岡崎市の藤田医科大岡崎医療センター。自衛隊車両の先導で深夜に大型バスが到着した(2020年2月19日、夏目健司撮影/NAMEDIA)

 その後、「愛知県新型コロナウイルス感染症医療調整本部」が正式に発足し、昨年春の第1波以降のコロナ禍に対応した。初期は名古屋市で高齢者施設を中心にクラスターが発生し、他都市に比べて死者数が突出していた時期があった。夏の第2波では市内の繁華街を中心に感染者が急増。医療体制も逼迫の兆しを見せた。

 昨秋から年を越えて猛威を奮った第3波は、再び病院や高齢者施設でクラスターが多発した。患者の搬送先の調整だけでは追い付かず、本部機能の抜本的な強化が不可欠に。1月下旬、県知事の特命で調整本部の中に「医療体制緊急確保チーム」が作られ、北川医師が統括官に就任。チームは「病床確保・入院調整」「後方病院確保」のほか「クラスター対応」を3本柱として動き始めた。

施設のクラスター対応では「心のケア」も重視

 クラスターの発生した福祉施設などには直接出向き、感染拡大を防ぐための支援に当たる。DMATの医師のほか、県看護協会が連携し、感染管理認定看護師も必ず同行。重症患者らの搬送調整や医療資機材の支援調整をはじめ、施設の継続に必要な「情報」の整理も促した。これは施設管理者向けの「アクションカード」としてまとめられ、県のホームページで公開されている。

 さらに重視したのは「心のケア」だった。実際に感染した入所者らはもちろん、対応した家族や施設職員、医療従事者の精神的な負担は大きい。そのために、チームは施設内に相談窓口を設置したり、ゾーニングの際には休憩室も考慮したりするよう助言。行政の「心のケア」の窓口を記した張り紙をトイレに張り出す例なども紹介した。

 「コロナは心を持っていかれる病気」と北川医師は表現する。それに気付いたのは、初期の混乱時に施設の職員が心を病み、働き続けられなかった現場に直面したからだ。「トイレの張り紙」が象徴するきめ細かな対応は「全国のDMATとしてもマニュアル化しているが、一歩踏み込んでいるのは愛知県の特徴では」と自負する。

福祉施設では愛知県看護協会と連携し、感染管理認定看護師の同行でクラスター対応に当たった(名古屋掖済会病院提供)
福祉施設では愛知県看護協会と連携し、感染管理認定看護師の同行でクラスター対応に当たった(名古屋掖済会病院提供)

 DMAT事務局が全国の活動状況をまとめた報告によると、クラスターが発生した福祉施設での入所者の死亡率は全体で11.7%だったが、1週間以内にDMATが支援した施設では5.3%に低下。愛知で意識された早期の組織的な支援が、命を救うためのカギであったことが示されている。今後も全国的に生かされるべき教訓だといえるだろう。

難題の病床数確保、医療のすそ野広げ乗り切る

 一方、愛知県内のコロナ患者向けの病床数は当初の昨年2月時点で72床。重症者用のベッドはなかった。それが第5波を迎えた今年9月には1722床、そのうち重症者用は183床まで確保。ただ、人口 880 万人の大阪府では、第5波で重症ベッドが500 床以上、人口1万人当たりにすると0.57床が用意されたのに対し、人口750万人の愛知県では1万人当たり0.24床と、大阪の半分以下にとどまっている。

 北川医師によると、コロナ以外の救急医療体制とのバランスを考えると、これがギリギリの数字だという。このため、愛知県では第5波で自宅療養者が1万人を越え、自宅で亡くなる例も相次いだ。

 しかし、これまでに比べれば明るい要素もあった。高齢者へのワクチン接種が早く進み、相対的に重症者が減ったこと。そしてコロナの診療に参加する開業医や、往診に出る医師も増えたことだ。これはコロナの正しい知識や対応の仕方が認識され、医療提供体制のすそ野が広がったからだといえる。「それがなければ第5波は乗り切れなかった」と北川医師は話す。

第5波の患者増加を受け、愛知県武道館に設置された入院待機ステーションで業務に当たる北川医師ら(名古屋掖済会病院提供)
第5波の患者増加を受け、愛知県武道館に設置された入院待機ステーションで業務に当たる北川医師ら(名古屋掖済会病院提供)

 9月1日の1876人をピークに、新規陽性者数は急激に減少、重症者数や入院患者数も落ち着きを見せている。その原因ははっきりしないが、実は第5波の後半から、再び高齢者施設や障害者施設、精神病院などでクラスターが発生していた。障害者施設などではまだワクチン接種が進んでいないところもあり、気がかりだという。

 医療調整の現場では、障害者や外国人などの搬送先がなかなか決まらなかった。要配慮者にしわ寄せが及ぶのは災害時と同様の構図だ。この地域では、南海トラフ地震などの大災害への備えも欠かせない。

 「今回のコロナ対応で進んだ関係機関の連携をさらに深め、自然災害も何とか乗り越えていかなければ」と北川医師は気を引き締める。

 ※この記事は、愛知県内のNPOや市民団体で作る「NPOおたがいさま会議」での話題提供を基に、筆者が追加取材をしてまとめました。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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