最高裁が「公共放送」と思うNHKの闇の数々
フーテン老人世直し録(341)
極月某日
テレビがあればNHKに受信料を支払う義務があるという判決を最高裁が下した。放送法ではテレビを設置した場合、NHKと受信契約を結ばなければならないと定めているが、NHKと争った男性は「受信契約が強制されるのは契約の自由に対する侵害で違憲だ」と訴えていた。
これに対しNHKは「公共放送の意義を踏まえればその必要性や合理性がある」として合憲を主張した。今日の最高裁判決はNHKの主張を認めて「合憲」としたが、問題はその前提となる「公共放送の意義」である。この際NHKは公共放送なのか、また公共放送とは何かを国民は考える必要がある。
かつてNHKは民営化を追求していた。1980年代、中曽根内閣が「土光臨調」の主導により国鉄や電電公社の民営化に力を入れていた頃、NHKもまた民営化の構想を練っていた。中心人物は「宏池会」を担当した政治記者出身の島桂次氏である。
彼は報道局長に就任すると米国のテレビを真似たキャスター・ニュース「NC9」や大型ドキュメンタリー「NHK特集」などを次々に制作、それまでのNHKの「お堅いイメージ」を変えた。80年代半ばに副会長になると中曽根内閣が日米経済摩擦の解消策として米国が不要としたBS(放送衛星)を購入したのに歩調を合わせ、NHKを世界最大の放送局にする野望を抱く。
将来の民営化を前提に彼はそれまでNHKが持つことを認められなかった民間子会社を設立していく。1989年に会長に就任すると教育テレビやラジオ第2放送を打ち切り、「商業放送局」への道を進もうとした。その方針は労働組合からも支持されていた。
一方で高度経済成長を成し遂げた日本が1985年に世界一の債権国になり、米国が世界一の債務国に転落すると、中曽根総理とそのブレーンでありかつての大本営作戦参謀瀬島龍三氏にも別の野望が生まれた。
戦前の国策会社同盟通信を復活させることである。同盟通信は外国情報を収集し新聞社だけでなく経済界や国家に提供するための組織で、戦後はGHQによって共同通信、時事通信、電通に三分割された。中曽根総理や瀬島氏はテレビ時代における同盟通信の役割をNHKに負わせようと考えたのである。
NHKは離島などへの「難視聴対策」という名目でBSを打ち上げた。しかし「難視聴対策」というのは真っ赤な嘘である。「難視聴対策」なら地上波と同じ放送を流さなければならないが、BSには地上波と異なる番組が流れた。
つまりNHKはBS放送を口実にチャンネル数を増やし肥大化したのである。そのため局内の人間だけでは足りず外部の制作会社に番組を発注する。民放の番組を制作してきたプロダクションがNHKの下請けをやるようになりNHKと民放との差がなくなった。
またNHKとソニーと郵政省(当時)はNHK放送技術研究所が開発したハイビジョンを一体となって世界に売り込み、世界のテレビを日本が支配しようと考えた。そのためにはBSアナログによる放送が必要だったが、米国はデジタル技術を使ったCS(通信衛星)の多チャンネル放送で対抗し、結果は米国の勝利に終わった。BS放送をやっているのは世界でも日本ぐらいではないか。
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