4分超の長回し性愛シーンに託されたもの。2025年、戦争終結から一年後のウクライナ『アトランティス』
ロシアによる侵攻が続くなか、ウクライナ映画界の俊英ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督の『アトランティス』('19年)と『リフレクション』('21年)が緊急公開されている。
連日報道されるウクライナの状況が戦争というものの悲惨さや理不尽さを伝えるなか、ヴァシャノヴィチ監督はそうした戦争がいかに一人一人の人生を変えてしまうかを長回しのワンシーン・ワンカット、シンメトリーな構図という緊張感溢れる映像で描き出している。
『アトランティス』の舞台は、ロシアとの戦争集結から1年後の2025年という近未来のドンバス。すべてを失った帰還兵セルヒー(アンドリー・ルィマーク)が、戦死者の遺体を発掘回収するボランティアの女性カティアと出会い、次第に「生きる意味」と向き合っていく。
一方、『リフレクション』の設定は、ロシアのクリミア半島侵攻、ドンバス紛争が始まった2014年。東部戦線で捕虜となり、地獄を見た外科医セルヒー(ロマン・ルーツキー)が、帰還後、日常を取り戻すべく苦闘する姿を、12歳の娘ポリーナとの触れ合いを通して描く。
“戦争終結から一年後”と“侵略戦争の始まり”と、描かれる時期は対照的だ。けれども、どちらも突きつけてくるのは、戦争がどれほど深い傷を残すか。
それは、人間の体や心にだけではない。『アトランティス』では10年に及ぶ戦争によって国土は荒れ、あちこちに地雷が残る状況が映し出される。多くの人が愛する者たちを失い、生きる意味を見失うなか、当たり前の生活を取り戻すための新たな戦いが待っているのだ。ヴァシャノヴィチの緊張感溢れる映像は、寡黙な登場人物たちが生きる、そんな過酷な世界に引き込まずにいない。
過酷な状況のなか、
生きる力になるのは何か。
けれども、この2作は同時に、過酷な状況において人間の生きる力になるのは何かをも静かに提示する。それは、もちろん愛する者の存在。そして、たとえ微かであろうとも未来への希望があることだ。ヴァシャノヴィチは冷徹な長回しで酷い出来事や現実のかずかずを映し出す一方で、それを『アトランティス』の性愛シーンでも浮かびあがらせる。
とはいえ、5分近い長回しで撮られたこのシーンには一瞬、驚いたことを告白しなければなりません。
※以下、描写に触れている部分があります。『アトランティス』を未見の方は、本編鑑賞後にお読みください。
セルヒーとカティアが求めあうのは、遅かれ早かれ仲間が迎えにくるのがわかっている場所。そんな状況で2人は服を脱いで愛しあうのですから。
その彼らの行為をカメラは映し続ける。
性愛シーンは、必然性がないかぎり、直接的に描かれなくてもいいのではと考える身としては、長回しがヴァシャノヴィチのスタイルであることを忘れて、彼らが愛しあい始めたところでシーンが切り替わってもいいのではと思ってしまったほど。
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けれども、ほどなく気づきます。この性愛シーンもまた、いえ、このシーンこそ、長回しで捉えられなければならないことに。
暗がりの中で物音を立てないように愛しあう二人。全裸の二人とボディバッグに収められた兵士たちの遺体という対比とあいまって、彼らの行為はまるで魂の再生の儀式のようですらある。
行為のあと、開けたドアの先に広がる荒涼とした風景は戦争の傷跡が残るウクライナそのものだけれども、彼らがいる場所に差し込む光は、セルヒーの魂の再生と未来への希望を感じさせずにいません。
冒頭とラストに登場するサーモグラフィー・カメラを使った表現も、また秀逸。この2つのシーンにおいて、ヴァシャノヴィチは、生命を感じさせる体温を使った映像を同じように使いながらも、まったく正反対の感情を抱かせるのです。
戦争がもたらす悲劇を描きつつ、その中にも生まれる希望を描く『アトランティス』と『リフレクション』に、1日でも早く、ウクライナの人々に当たり前の生活が戻るようにという願いがさらに強くなる。
『アトランティス』『リフレクション』
監督・脚本・撮影・編集・製作/ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中