香港デモは新ステージへ――「権力の末端」中国人バイヤーに向かう抗議
- 香港では本土とまたいで商売する中国人バイヤーへの抗議が、これまでにも増して激しくなっている
- 中国人バイヤーは「共産党支配の末端」であり、「生活苦の一因」ともみなされている
- 権力の中枢が抗議を抑え込むなか、支配する側の末端に抗議が向かいやすい状況は、さらなる混迷の入り口になりかねない
香港デモは大部分が抑え込まれたが、活動の芽はなくなっておらず、不当に利益をあげているとみなされる中国人バイヤーが抗議の対象になりつつある。
「中国人バイヤーはいらない」
香港では本土と香港をまたいで商売をする中国人バイヤーに対する抗議活動が増えている。
12月28日、中国人バイヤーの店舗が集まる上水地区のショッピングモールに50〜100人のデモ隊が押し寄せ、「中国に帰れ」などシュプレヒコールを上げた。
これに対して、香港警察は催涙ガスなどを用いて鎮圧。警官隊との衝突で、少なくとも15人が逮捕された。
警察は「覆面をした暴徒が店舗にクギを投げ込むなど公共の秩序を乱した」と発表している。
こうした抗議活動は上水地区だけでなく、同じ28日には九竜地区のショッピングモールでも発生している。
抗議活動の戦術の変化
なぜ中国人バイヤーへの抗議活動が増えているのか。そこには抗議活動の変化する戦術と、変化しない目的を見出せる。
まず、戦術の変化という面から考えよう。
これまで香港の抗議デモの中心は、大勢を動員して道路や地下鉄、空港、大学など公共の場を占拠する活動だった。
しかし、これは警察の警戒が厳重になったため難しくなっている。最後の拠点だった香港理工大学が11月に制圧された際、多くのデモ参加者が逮捕されたため、なおさらだ。
数万人にもおよぶ人数を動員して公共の場を占拠するのが難しいなか、離れた場所での比較的少人数のグループによる同時多発的な抗議活動が増えているといえる。
なぜ中国人バイヤーか?
それでは、なぜそこで中国人バイヤーが標的になるか。そこには香港デモの当初から変わらない「生活への不満」がある。
香港デモは「政治犯の釈放」や「自由かつ公正な選挙」といった政治的目標を掲げてきた。しかし、その根底には、多くの革命や植民地解放運動と同じく、「生活苦から抜け出すためには政治を変える必要がある」という考え方がある。
以前に取り上げたように、香港の若者はインフレや就職難といった問題に直面しやすく、これが香港当局や中国への批判に結びついた。
中国人バイヤーへの抗議活動は、その延長線上にある。
中国人バイヤーは租税回避を目的に買い物にくる中国人観光客や中国本土での客を相手に、香港製品を転売することで利益を上げている。しかし、バイヤーがあまりに多くの商品を買い集めることは、ただでさえインフレ率の高い香港で、物価をさらに押し上げる一因とみられている。
つまり、香港の若者にとって、中国人バイヤーは共産党支配の末端であり、「生活苦の一因」でもあるのだ。
そのため、デモが始まった当初から、中国人バイヤーへの抗議はみられた。しかし、公共の場の占拠が難しくなるなか、「警備が手薄になりやすい」バイヤーへの抗議が活発になりつつあるといえる。
「支配する側の末端」に向かう歴史
中国人バイヤーへの抗議の広がりは、香港の抗議活動が新たなステージに入ったことを示す。
これまで香港デモは権力の中枢に向かって声をあげてきた。しかし、それが押しつぶされるなか、デモ隊の生き残りは「支配する側の末端」に標的を移しつつある。
革命や植民地解放運動の歴史を振り返れば、抵抗する者の標的が権力の中枢から末端にシフトすることが、結果的により大きな騒乱をもたらすのは珍しくない。それはかつて香港を支配したイギリスでもみられたことだ。
例えば、アフリカのケニアでは1950年代、生活苦に由来する反植民地運動がイギリスに抑え込まれるなか、イギリス系白人の農園などへの襲撃が相次ぐようになり、これが1万1000人以上ともいわれる死者を出すマウマウの乱に発展した。
イギリスの北アイルランドでも、平和的な権力委譲と分離独立を求めるシン・フェイン党が弾圧されたことが、より過激なアイルランド共和国軍(IRA)が台頭して無差別の爆弾テロを繰り返すきっかけになった。
こうしてみたとき、「支配する側の末端」への抗議が本格化したことで、香港はさらなる混迷に向かいかねないといえるだろう。