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地方創生で経営学が通用しない根本理由は「住んでいるから」

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 3月19日、産経ニュースに「地方創生支援で33市町に国家公務員35人を派遣」と題する記事が掲載された。

 内閣府は、2019年度に全国33市町の小規模自治体に、計35人の国家公務員などの専門家を派遣する。首長の補佐役として、人口減少を食い止めるための施策などを助言するためだ。これまでも派遣は行われてきたが、人口5万人以下の自治体が対象だった。19年度からは、10万人以下に拡大するとの方針である。

 記事にあるように、派遣されるのは国家公務員が23人、千葉大学などの研究者が4人、ソニーなど民間企業が8人である。彼ら一人ひとりの役割は定かではないが、小規模自治体の課題は専門知識の不足とされているから、いわゆる頭脳派を中心に送られるのだろう。それ自体は悪いことではないが、しかし注意しなければいけないことがある。それは、地方では経営学などの理論が通用しないことが多い点だ。その点を踏まえて考えないと、全く効果の上がらない施策を連発する羽目になる。

 どういうことか。重要なのは、地方の住民の間で通用しているルールは、科学的合理性に則ってはいないことを理解することである。

地域は住民のすみかである

 一言でいえば、地域は住民のすみかである。したがって「創生」の対象であるという意識は薄い。

 荒木博之は『日本人の心情論理』のなかで、日本語の住むと済む、澄むは、もともと同じ「すむ」という言葉が由来だと説いた。すなわち、住むことは済むことであり、その状態が澄むことにつながる。落ち着いた状態が、すみかには求められる。そのような意識が、とくに農村地域の人々の意識には残っている。

 想像してほしい。よそから来た人が、自分の家の状態をあれこれと指摘して、勝手にリフォームしてしまうことを。せっかく「すむ」ことができていたのに、かき混ぜて、濁らせてしまうのである。たしかに住みやすくはなるかもしれない。それでも心情としては、面白いものではないだろう。

 よって地方では、専門知識は必ずしも通用しない。あるべきことの前提が、そもそも異なるのである。それなのに地域活性化の専門家を称する人たちは、地域の人たちは意識が低いとか動こうとしないなどと言って、不満を言ったり怒ったりする。意識が低いのではなくて、意識が異なるのだ。彼らの意識を理解しないで「総合戦略」を作っても、実行段階で行き詰まるだけである。かくして、住民のすみにくい、息詰まる地域ができ上がっていく。

 合理性の追求がしたければ、都市で行うことだ。もともと近代化によって都市部に人口が流出したのは、個々人が新たな成功の可能性を求めたからではなかったか。そういう場所では、存分に腕をふるうことも許されよう。しかし農村などの田舎は、そのような生成の歴史を辿ってはいない。

 地域の人々の事情や心情を踏まえた戦略が望まれるのである。だからこそ、実際に地域に溶け込み、一緒に「すむ」ことなくしては、活性化はできない。派遣される人たちの任期は、1~2年である。

地域創生は波紋のように

 そうはいっても、地域の人々だって、このままではいけないことぐらいわかっている。だから実際に、寄り合ったときには現状を憂いて、何かできないだろうかと話し合っている。

 地方で使えない経営学は、アルフレッド・チャンドラーJr. が述べた「組織は戦略に従う」である。地方では逆であり、「戦略は組織に従う」が正しい。この言葉はすでにイゴール・アンゾフが唱えており、例えば中小企業などでは組織や集団のキャパシティ(力量)には限界があるのだから、できる範囲での戦略しか実行できないという意味だ。それに加えて地方では、住民の心情もまた考慮されなければならない。企業の存在意義は動くことにあるが、地域は動かさないこともまた要求される。

 しかし現実に、今日明日の飯が食えなければ生きてはいけない。柳田国男もまた『都市と農村』のなかで次のように述べている。「人を親兄弟より別れしめまいとすれば、第一には村に今少しの働く機会を設けなければならぬ。それができない以上は、むしろ励ませても出すべきである。」具体的な方法は、住民の自治である。すなわち、自分たちの生活の資を生み出すための、ビジネスの創造である。

 重要なことは、農村で生きる人々が希望を描けるようになることだ。そのために、自分たちのまちのビジョンは、自分たちでつくり上げる姿勢が望まれる。柳田は言う。「それぞれの人また一家が、世の流行と宣伝から独立して、各自の生計に合わせて、いかなる暮らし方をしようかをきめてかかる風が起こればそれでよいのである。この風習さえ一般的になれば、第一次には都市の支配を免れ、すなわち地方分権はなるのである。」地域の事情を知っているのは、そこに住む人々である。都市の真似事では立ち行かないことは、彼らのほうが理解している。

 また柳田は「保護がなくては農村は行き立たぬという考え方、これが一番に人の心を陰気にする」とも指摘している。地域は地域なりのやり方で、実際にこれまで生きてきた。自分たちの力を信じて、都市とは違う生き方を貫けば、保護などなくても生きてはいけるのである。そして農村などの地域は、人々のつながりが強い。柳田にならって言えば、志気の剛強なる者が、クニのために努力し、かつ思索する場所とすることができれば、地域の存在意義は残りうるのである。

 ビジネスを生み出すにせよ、意識を変えていくにせよ、地域では一挙に大きな変化を起こすことは許されない。あたかも池に投げ入れられた石ころが波紋を広げていくように、小さなきっかけが周囲に影響し、地域に浸透していくようなさまが、地域創生の仕方である。いずれにせよ、希望こそが人を前に進めていく。不安や恐怖をあおるのではなく、やってみたら楽しそうだと思えるような心もちを生み出すような戦略が、地域には適していると主張したい。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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