サマータイムで心臓発作や流産のリスクも 海外では廃止の動き
2年後に開かれる東京五輪・パラリンピックの暑さ対策として、導入がにわかに現実味を帯びてきたサマータイム(夏時間)制度。推進派は暑さ対策に加え、省エネなど様々なメリットを強調する。だが、心臓発作や流産のリスク、交通事故の増加など、国民の健康や社会生活への深刻な影響も懸念されている。欧米はむしろ、制度廃止の流れが起きている。各分野の専門家からも、「暑さ対策なら特定の競技の開始時間を早めれば済む話」との声が聞こえてくる。
社会的時差ボケの状態
安倍晋三首相は先週、東京五輪・パラリンピックの暑さ対策として、夏場の数カ月間だけ時計の針を1~2時間進めるサマータイムの導入を検討するよう、自民党に指示した。首相に導入を要請した五輪組織委員会の森喜朗会長は、暑さ対策に加え、省エネ効果や温暖化問題への貢献を強調したという。森会長は「五輪のレガシー(遺産)になる」とも話したといい、制度の恒久化についても検討される模様だ。
サマータイムでかりに時間が2時間早まると、例えば朝6時起きは、サマータイムでなければ朝4時起きということになる。体にとっては、まだぐっすりと眠っているところを無理やり叩き起こされ、ひどい時差ボケを感じているという状態だ。雨晴クリニック(富山県高岡市)副院長で睡眠障害に詳しい坪田聡医師は、「サマータイムの導入は、社会的時差ボケが全国民に一斉に起きることと一緒」と指摘する。
社会的時差ボケ(ソーシャル・ジェットラグ)とは、週末に夜更かしや朝寝坊をして体内時計が乱れ、仕事など社会生活に復帰する月曜日に、体調不良に見舞われる状態を指す。心臓病や生活習慣病など深刻な病気の一因になるとも言われている。
実際、サマータイムを導入している欧米諸国では、時間が切り替わった直後に心臓発作や脳梗塞を発症したり、流産したりする事例が多数、報告されている。
心臓発作の患者が25%増
例えば、米国の研究者による4年間の継続調査によると、サマータイムに切り替わった直後の月曜日に心臓発作で入院した患者数は、それ以外の月曜日に比べて25%も多かった。
スウェーデンの研究チームは2012年、サマータイムに切り替わった最初の週は、急性心筋梗塞を発症するリスクが3.9%高まるとの調査結果を発表している。
米マサチューセッツ州の医療機関によれば、過去に流産を経験し体外受精を試みた女性が、サマータイムに切り替わった3週間以内に胚移植を実施した場合、それ以外の時期に実施した場合に比べて、流産に終わるケースが非常に多いという。
また、カナダで1991年と92年に行われた全国調査によると、サマータイムに切り替わった直後の月曜日の交通事故件数は、その前週の月曜日に比べて約8%増えた。
これら海外の事例はいずれも、サマータイムによって生じる時差が1時間の場合。坪田医師は「1時間早まるだけでも体が受けるストレスは十分大きいのに、一度に2時間も早まったら相当なストレスになる」と述べ、より深刻な健康問題が起きる可能性を懸念する。
日本人は特に不向き
特に、日本人はもともと睡眠時間が諸外国に比べて少なく、慢性的な寝不足状態とも言われているだけに、「サマータイムに切り替わって睡眠時間が一時的に削られれば、体への負担は一段と大きくなる」(坪田医師)。
日本睡眠学会も、「欧米に比べて国民の短睡眠化・夜型化が進行している日本ではサマータイム制度導入による健康への影響が大きい」と指摘し、安易なサマータイムの導入に強い懸念を表明している。
サマータイムは先進国を中心に世界約70カ国で導入されており、これも五輪組織委が導入を検討する根拠の1つになっているようだ。しかし、実際には、健康への懸念や時間を切り替える煩わしさなどから、むしろサマータイムの廃止を検討する国や地域が増えているのが現状だ。
EU、米国では廃止の動き
フィンランドは昨年、サマータイムの廃止を求める国民約7万人の署名が国会に提出されたのを受け、サマータイムの廃止を決めた。ただし、実際に廃止するには、加盟する欧州連合(EU)との協議が必要になる。
しかし、そのEUでも、サマータイムを見直す動きが出ている。欧州議会は今年2月、行政執行機関である欧州委員会に対し、現行のサマータイム制度の中身を再検討し、必要なら改正案の作成を求める決議を384対152の賛成多数で採択した。欧州委は今月16日まで、市民や関係者から意見を募集している。
米国では、フロリダ州議会が今年3月、夏場だけサマータイムを採用する現行制度を廃止してサマータイムの通年採用を求める法案を可決し、知事も同法案に署名した。実施には連邦法の改正が必要になるが、同州選出のマルコ・ルビオ上院議員がさっそく、議会に改正法案を提出。カリフォルニア州も今年11月の州民投票で、サマータイム制度廃止の是非を問う予定だ。
サマータイムがもたらすとされる省エネや経済効果についても、疑問視する声は多い。
サマータイム期間は比較的遅い時間まで明るいため、その分、照明代が節約できるとも言われているが、逆に遅い時間まで気温が下がらないため冷房代が余分にかかる可能性がある。実際、2007年に大阪大学が大阪市をモデルにサマータイムを導入した場合の予想電力消費量を試算したところ、家庭の照明用電気消費量は0.02%減少するものの、冷房用電気消費量は逆に0.15%増加し、全体として0.13%の増加になるという結果が出た。
経済効果は不透明
経済効果に関しては、第一生命経済研究所の永濱利廣・首席エコノミストが、夏場の3カ月間、2時間早まることを前提に試算したところ、娯楽・レジャー消費の増加などで年間7500億円の経済効果の可能性があることがわかった。ただ、永濱氏は同時に、睡眠不足による労働生産性の低下や、時計の針を動かすことに伴うシステムの混乱リスクなどのため、「経済効果は不確実性が高い」とも指摘している。
その上で永濱氏は、「東京五輪に向けた暑さ対策が目的であれば、サマータイムを導入するよりも、競技時間の変更などで対応するほうが国民の理解を得やすいのではないか」と提案。坪田医師も「国民の健康や生活を第一に考えるのであれば、大きな健康リスクを伴うサマータイムを導入するよりも、特定の競技の時間を早めることで対応したほうがいいのではないか」と話している。