視聴率で苦戦する「いだてん」の語り手 古今亭志ん生とは何者なのか?
NHK大河ドラマ『いだてん』の語り手は、古今亭志ん生である。
若いころを森山未來、歳とってからをビートたけしが演じている。
落語好きにとってはあの「志ん生」と馴染み深いが、そうではない人も多いだろう。
古今亭志ん生とは何者なのか。
ちょいとばかし、古今亭志ん生についてご案内する。
落語そのもののような落語家・志ん生
古今亭志ん生は、落語家である。
それも爆発的な人気があった落語家だ。1950年代、戦後の日本で大人気だった。
生まれは明治二十三年(1890年)。
昭和四十三年(1968年)まで高座に上がっていた。
伝説的な人物である。
生前から伝説化してる人だった。おそらく、自分に関するあることないこと(ひょっとしたら無いこと無いこと)をぱぁぱぁ調子に乗って喋って、どんどん面白い話を付け加え、そのうち自分でもどれが本当かわからなくなってしまったんだとおもう。彼の半生記はとてもおもしろいのだが、どこまで本当なのかもう誰もわからない。
志ん生が「吉原と言うものは」と言い出すと、この人、江戸のころの吉原を知ってるんやないかなという気にさせられた、と上方落語の桂米朝が語っていた。もちろん高座の上での話なので、話半分で聞いたほうがいいのだが、しかしそういう不思議な力を宿した落語家であった。圧倒的な説得力で客席を覆っていった。その力量はすさまじい。
ただ、喋りはちょいと変である。
言ってることはあちこちに飛ぶし、笑わせようとする言葉の選択があまりに独創的で、それが行きすぎて意味不明なところもあった。いろんなところで型破りなのだが、それでもどこまでもおもしろく、その喋りに魅了された。
落語そのもののような人物だった。
作家が伝記を書くのを断念するような生涯
生き方もかなり大雑把である。
何かに強く固執していそうなのに、何にもとらわれてないようにも見える人物だった。
小学校もきちんと出ていない。何度も奉公に出されるがすぐに舞い戻り、まだ子供ともいえる時分に生家を飛び出し、二度と父母に会わなかった。父の死も母の死もずいぶんあとになってから人づてに聞いたという。
遊び人といえばそれらしいが、社会の外に自分から出ていってるばかりである。ひたすら野放図だ。明治から大正ころは、むかしのとても古い空気が残っていたのだろう。彼はその、中世から続いてるような社会の埒外の、つまり芸能の世界で生き続けた。自然存在そのものにも見える。
二十歳くらいで落語家になった。らしい。明治の末年である。このあたりは本人の適当な証言しかないので、細かいことがよくわからない。そのまま四十すぎまで、昭和の十年ころまで、まったく売れなかった。気儘でわがままな若い芸人だったようだ。そんなやつは売れない。
芸名をよく変えたことと、師匠が何度か変わっていることくらいしかわからない。おもしろくない話は本人もしないからだ。
志ん生が死んで五年ほどして『志ん生一代』という伝記小説を作家の結城昌治が書いた。結城はそのあとがきで、志ん生は「生まれた日付から両親の名前まで誤ったまま憶えていた」と指摘している。
いやはや。
その誤りに気付かないまま生涯を終えたらしい。野放図というか豪儀というか、ほんとに室町時代の人みたいである。
室町時代の人が、自分について語ったことは、お話としてはおもしろくても、歴史事実としては認めにくい。志ん生の前半生を調べきれずに、結城昌治はその伝記をノンフィクションとして書くのを断念したそうである。
志ん生には「なめくじ艦隊」「びんぼう自慢」という半生記があるのだ。
両書とも著者名は古今亭志ん生となっているが、志ん生が自分で原稿を書くはずがない。「なめくじ艦隊」のほうは、志ん生の弟子(金原亭馬の助だとされている)が書き、「びんぼう自慢」は作家の小島貞二が文章を綴ったようである。芸談として読めばおもしろい。それでいいのだ。書いてあることをすべて本当だとおもいこまなければいいだけである。
たとえば、志ん生は自分は橘家圓喬に弟子入りしたと言っている。ただ残念ながらこれもウソらしい。名人と言われた圓喬の弟子だったとおもいたかったようである。
また、関東大震災のおり、こんなに揺れちゃ東京中の酒が地面に吸い込まれちまうととりあえず酒屋へ駆け込みたらふく酒を飲んだとか、戦争末期になって「外地の満州ではいまでも酒がたんまり飲めるらしい」と聞いて満州へ行ってしまったとか(案の定、そこで終戦をむかえて帰れなくなった)、酒と博打にのめりこんでしまった風景が活写されていて、馬鹿馬鹿しくて痛快である。すべて本当なのか、ひょっとしてほぼうそなのか、いまとなっては確かめられない。ただ志ん生の語りを楽しめばいいだけである。
それにしても、震災のおりも、空襲のおりも、つまり命に危険があっても酒を求めて走り回る姿というのは、傍目には滑稽であるが、その真情は修羅である。そういう凄みはこの人の落語に滲みでていた。
志ん生の真似はできない、誰も真似をしていない
大事な芯さえ掴んでおけば、細っけえところはどうでもいいんだ、というのが志ん生の生き方の基本のようにおもう。
落語もそういうふうに演じている。
戦争に負けて荒ぶれた日本では、その落語が熱狂的に受け入れられた。
落語はふつう目の前の客に向かって話されるものだから、風化していく。だからどんな名人上手といわれた人の録音もやがて売れなくなっていく。
しかし古今亭志ん生だけは例外である。1950年代の録音がいまでも売れる。
聞いてみればわかるが、それはいまの空気を揺るがすように面白いのだ。
古今亭志ん生と同時代の落語家・八代桂文楽は名人と称された。じつにきれいで見事な落語を演じた。たしかに名人とはこういう芸を言うのだろう、といま聞いてもおもう。ただ、彼のCDは志ん生ほどには売れない。ライブではその華麗さに圧倒されたのだろうが、録音ではその力が伝わりにくいのだ。
でも志ん生は伝わる。細かい部分を気にしてないぶん、そのパワーが腹に響くようである。
喋りに屈託がないため、その場でのおもいつきで喋ってるように聞こえる。とてもラフで荒っぽい落語に見える。
ただ大雑把なのは表面的な言葉遣いだけで、落語の芯の部分はじつに真っ当である。
筋運びが精緻で、展開に無駄がなく、シーン転換での声の出し方が見事である。人物が生き生きとしていて、躍動している。足腰がしっかりしているから、上半身が少々ぐらついてもきちんとボールを弾き返せるという感じである。
志ん生の真似はできない。誰も真似をしていない。彼の息子二人も落語家になったが、とにかく父親に似ないようにするのに懸命だった。
高座に上がってくるだけでみんな笑いそうになる
志ん生の高座の出来にはムラがあった。
志ん生の高座を見に行くのは賭けだったそうである。「今日の志ん生はどっちだろう」とドキドキして見守ったという。
酒を飲んで高座に上がることもしばしば、ときに高座で眠りこける、むちゃくちゃである。
人情噺と呼ばれる長い落語をたっぷり聞かせて客席を鷲づかみにすることがあるとおもえば、小咄と言っていい短い噺をして5分で降りちゃうこともある。どちらに当たるかはわからない。ライブというのは日によって差があるものだが、志ん生はその落差がすごかった。それでもというか、だからこそ強く愛されていた。
甘やかされることにかけての天才でもあった。
高座に上がってくるだけでみんな笑いそうになり、「えー」と声を出すと笑い始める人がいた。そういう人気だった。志ん生はまた何かをひっくり返してくれるに違いない。そういう期待で満ちていたのだ。昭和二十年代三十年代という空気が志ん生を支えていた。
彼の本領は滑稽噺にある。
ただ、聞いていて私の心に刺さってくるのは地味な人情噺である。
陰惨とも言える風景も、志ん生が演じると、笑える話に変えられてしまう。
そこが凄い。陰惨な噺を陰惨に演じる落語家は多いが、それを突き抜けた笑いに転換できる芸人はそうそういるものではない。戦後日本が求めていたものを、ただ一人体現していた落語家だったのだ。
最下級の女郎噺『お直し』、スラム街でのお弔い噺『黄金餅』、社会の底辺のまだその先の闇を描きながらも、聞いているほうが妙に浮かれてしまう空気を作る。ひりっとする冷ややかな空気と、それさえも笑いに変える力がある。人はただ生きていていいんだ、というメッセージが強く出される。いまでも響くメッセージだ。戦後の日本人にはもっと沁みただろう。
ほかにも『富久』の疾走、『もう半分』の因縁、『品川心中』の裏切りなど、痺れるような冷徹な空気とぬける笑いを見せてくれる。たまらない。
志ん生は、同時代の八代文楽や、圓生などともに、古い時代とともに消えていきそうになっていた落語を、荒々しく生命力が躍動する噺として戦後の日本に甦らせたのである。
「まったく手本にはならない人生」というサイドストーリー
志ん生は、何を言ってるかよくわかんなくても、それでもおもしろかった。そういう芸人である。
彼を演じるなら、現代日本ではたしかにビートたけし以外の人間は考えられない。言ってることがよくわからなくても、それでもおもしろい、というところが大事なのだ。たけしにぴったりである。
ただまあドラマのナレーターとしては、その部分はちょっとつらいのかもしれない。
志ん生は、人生の最後のほうで時代に合い、売れる晩年を過ごした。
志ん生の半生を見ると、これだけちゃらんぽらんに生きてきて、よくまあ五十代からでも売れたものだと、驚く。ある種の奇跡でもある。
まったく手本にはならない人生だ。でも、明治生まれらしい成功物語としてみんなが好きなお話でもある。その一端を大河ドラマでも扱っている。
酒と博打が好きで、箸にも棒にもかからず、ずっと金がなくて死神とあだ名され、家族も顧みず、ただぐうたらで破滅的な芸人であった。前半生をみるかぎり、そのまま闇へと消え去って誰にも記憶されないタイプの芸人である。
ただ、落語にだけは懸命に取り組んでいた。どんなに遊んでも稽古ばかりは休まなかった。そして芸の神様に見出され、最高の晩年を迎えた。
「いだてん」にはそういうサイドストーリーが含まれている。そこもちょっと気にしてみると、よりおもしろいとおもう。