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『芋たこなんきん』最終週に見た、挑戦的な演出方法

田幸和歌子エンタメライター/編集者
画像提供/NHK

BSプレミアム再放送の藤山直美主演のNHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』が、とうとう終了した。

これまでも脚本・役者の素晴らしさが話題になってきたが、最終週・第26週では殊に「演出」「映像表現」に対する称賛の声が続出していた。

「カモカのおっちゃん」こと健次郎(國村隼)が脳出血で意識不明になり、一命をとりとめたものの、診療所を閉めることを決意。そこから兄・昭一(火野正平)が結婚相手の金銭トラブルを経て、無事結婚。家族みんなが揃った幸せな時間の翌日、健次郎が倒れ、病院に運ばれた。そこから第26週では健次郎の肺の悪性腫瘍の発覚、本人への告知、病に立ち向かう町子(藤山)と健次郎の共闘、健次郎との別れ、そして新たな旅立ちが描かれたのだ。

最小限のセリフと極限まで抑えた演出の中、着々と進行していく「病」と、健次郎・町子それぞれの「老い」、町子の深い悲しみと、そんな町子への健次郎や母・和代(香川京子)、秘書・純子(いしだあゆみ)の思いなどが明確に浮かび上がってくる。しかも、そこにリアリティを持たせたのが、「病」「医療」「命」の描き方だ。

この最終週と前週・25週を演出していたのが、これまでもお話を伺ってきた演出の1人・真鍋斎氏だ。

そこで最終回放送を終えた今、真鍋氏にネタバレ全面解禁で最終週の演出について語っていただいた。

写真:アフロ

BK朝ドラではおなじみ、ドラマ好きの開業医が医療考証を担当

「僕もメインの演出の一人だったので、最終週とその前の第25週を連続で担当するという、令和の今だと若干グレーかもしれない過密スケジュールで臨みました(笑)。健次郎さんは医師ですから、医療指導・医療考証の方とはかなりしっかりコミュニケーションをとって進めていましたね。健次郎さんの家はいわゆる町医者で、自宅兼診療所になっていますが、昔はああいう町医者が実際にたくさんありましたよね。そこは美術デザイナーや医療指導の先生と話しながら、懐かしい感じを大事にしたいと思いました」

1日15分という短い尺の中で、セリフやナレーションによる説明はなく、時折り首を少しまわす仕草や、肩を押さえる仕草、話しながら少し咳き込む様子などから、病が着実に健次郎の身体を蝕んでいくことが感じられ、非常に重い気分になった。また、倒れる前日に、自身の体の異変を感じた健次郎が、直接全身の血管の状態を肉眼で見ることができる「目」を鏡で確認している姿も、医師ならではのリアリティだった。

「医療考証の先生には、どの程度の兆候みたいなものがあるか、医師が体調の異変を感じたときにどういうところを確認するかといったことを教えていただきました。BK(NHK大阪局)ではよく医療考証をお願いしている西谷先生という、すごく優しい先生で、ドラマがすごくお好きで、ドラマの医療考証にも慣れていらっしゃる、健次郎さんと同じく開業医の先生が細かく指導してくださいました」

大事にしたのは「緻密に計算しているけれども余計な演出の作為が見えないこと」

笑いあり涙ありの本作の中で、最も重い展開となった第26週。死が着実に忍び寄る中、無闇にドラマチックな劇伴をつけることも、過剰なカメラワークを入れることもないことで、逆に演者の芝居がより一層際立って見えた。

「26週を撮るにあたり、近しい人が亡くなっていく様をどう描くのがふさわしいかということを、ずっと考えていました。朝ドラは一日の始まりに放送されるドラマなので、人が亡くなる描写には一際気を使います。もちろん、それまでもいくつもの朝ドラ作品で臨終の場面は描かれてきましたが、このドラマでは、どう描くか、ということを考えていたと思います。僕はもともと、演出においては、『緻密に計算しているけれども余計な演出の作為が見えないこと』を大事にしたいと思っているんです。演出の意図や手の内が見えてしまってはいけない、見えないほうが物語なり、登場人物なりに没入できると思うんです。それでいて、実を言うと、それが1番難しいことなんじゃないかとも思います。さらには、演ずるのは日本でも指折りの俳優の方々なわけですから、特に、藤山さん、國村さんお二人の芝居の間や空気感を、なるべく切らないで撮りたいと思いました。お二人のあいだの「空気」を撮りたいという感覚です。当時は地味な演出だと思われた方もいらっしゃるでしょうが、時代を経て、朝ドラの見方も変わったり、見る方の目が肥えてきたことで、お客さんの鑑賞眼の幅も広がったというところはあるんじゃないかと思います」

しかも、健次郎と町子の表情に寄りたくなりそうなものだが、最終週は引きの画がかなり多めだ。しかし、引きの画だからこそ、かつては大きく怖くも見えた健次郎の背中が妙に小さく見えたり、町子が立ち上がるときの姿に老いを感じたりする。

「当然お二人とも、加齢による変化の表現はかなり意識されていましたと思います。だからこそ、理想を言えば、 本当にワンシーンワンカットでいいんですよ。お二人は全身でお芝居をされているので、常にお二人の全身が描写されていることが理想だと思っていました。どうしてもテレビドラマは尺が決まっていますので編集することになりますが、演出的な話で言うと、いったんアップを撮ってしまうと、バランスとしてしばらく切り返さざるを得ない。どこまでロングのままいけるか、というようなことを考えていたと思います」

町子が健次郎の病名を聞いたときの画面の揺れの演出意図

一方、抑えめな演出が多かった中で、話題になったのが、町子が医師から健次郎の病名を聞いたときの、一瞬地震が起こったのかと思ったほどのゆるやかな画面の揺れだ。

「町子の心理的なショック、絶望感をどう表現するかと考えたとき、まず撮り方そのものがそこまでと変わったことを視聴者に意識してもらうことが狙いでした。さっき言っていた『演出の作為』そのものなので、言っていることが矛盾しますが(笑)、そのシーケンスの心理的効果を高めるためには、逆に手持ちのカットに移行するまでは極力変化を見せずに淡々とフィックス(固定)のカットを積み重ねてゆくことを意識していました。音楽などもあえてあまり使わないようにしました」

また、健次郎の病名を聞いた後、町子が健次郎の病室に向かう廊下を歩くシーン。背筋は真っすぐ伸びているが、町子の周りは硬い殻に覆われたように、誰も触れることのできない張り詰めた空気が漂う。純子の近づくに近づけない微妙な立ち位置がまた、それを強く意識させた。

さらに、弟妹にも、子どもたちにも「強い」と言われる町子が、ただ一人自室で泣いていたらしいことが、ごみ箱から溢れそうになるティッシュの山に見えること。そして、それに気づく晴子(田畑智子)の視線……。まさしく演出の妙である。

「そう言っていただけるのはありがたいです。セリフがないところをどう描くのか、どういう動きをして、誰のどういう目線を撮るのかというところは、まさに演出の領域で、演出の腕が問われるところではないでしょうか。それと、音楽については、音楽はパワーがあるのでとても大事ですが、無理に煽るような使い方は、作っている方もお客さんも恥ずかしいじゃないですか(笑)。朝ドラの場合、わかりやすさが求められたりもするので、悲しい時は悲しい曲を流すような演出が比較的多いですが、僕は、特に最後の2週間に関しては、もう好きなように撮ろう、自分の趣味を出しても良いんじゃないかと考えていました。そこは当然、役者さんたちの芝居に信頼を寄せているからこそですが」

画像提供/NHK
画像提供/NHK

藤山直美×國村隼だから成しえた、日常ドラマの理想形

さらに一転して、最期の時を過ごす健次郎と町子の日々には優しい演出が随所に見られる。

健次郎の誕生日会で用意されたシルクハットと、一輪挿しの赤いミニバラの粋な演出。しかも、オープニング映像に登場するシルクハットは、健次郎への最後の誕生日プレゼントだったことが、ここに来てわかる。毎日当たり前に聴いていた主題歌「ひとりよりふたり」の意味も、よりクリアに響いてくる。

さらに、「バーカモカ」の電灯をつけるシーンは、ここまでの健次郎と町子の晩酌とおしゃべりの日々がたどり着いた場所だと感じさせる演出だった。

そして、「演出家が今だから語れる『芋たこなんきん』制作秘話」記事でお話しいただいた町子の1人語りのシーンがあり、さらにそこで終わらず、ラストには町子と純子が歩きだすシーンが描かれる。

「本当はもっとストロークが長い道で撮影できれば良かったんですが、いろいろな都合でセットの中で撮影することになり、美術デザイナーにスタジオの端から端まで使えるように家の前の道を作ってもらいました。大切な人が亡くなったことは悲しいけれども、生きている人たちは前に向かって進むしかない。やっぱり朝ドラですし、明るく終わるのが町子さんらしさでもある。それで、最終回のラストシーンで田辺聖子さんにもサプライズでご登場いただきました。それも寄りでは撮らず、わかる人に『あれ?』と気づいてもらえたら良いな、と。田辺先生は先進的な方ですが、ある種の奥ゆかしさも、先生らしさではないかと思ったので」

最後に、16年ぶりの再放送を終え、『芋たこなんきん』を、他に類を見ない名作にした立役者・藤山直美×國村隼の凄さについて、真鍋氏はこう語った。

「お二人は日本を代表する役者さんですから。いたずらに大げさな表現をしない、ちょっとした仕草や表情、運動(アクション)に色気が漂い、魅力的にうつるお二人なんですよね。『芋たこなんきん』はまさに、そうしたちょっとした日常の積み重ねのドラマであって、ごく普通のことが魅力的に見えるというのは、最も上等なドラマの在り方の一つだと僕は思っています。それは藤山さん、國村さんが演じられたからこそ作れたものだと感じています」

(田幸和歌子)

エンタメライター/編集者

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌・web等で俳優・脚本家・プロデューサーなどのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。エンタメ記事は毎日2本程度執筆。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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