なぜ、彼はリンチされ殺されなければならなかったのか?当事者が口を閉ざす闇が自身と社会に与えた恐怖
映画「ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ」は、いまから約50年前に東京都の早稲田大学構内で起きた「川口大三郎リンチ殺人事件」に焦点を当てる。
殺害された川口大三郎さんは当時まだ20歳。早稲田大学第一文学部二年生のごく普通の学生だった。
学生運動終末期に起きた事件のあらましはこうだ。
1972年11月8日14時ごろ、文学部自治会を牛耳り、早稲田大学支配を狙う新左翼党派・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)が、川口さんを対立する中核派のシンパとみなし、早稲田大学文学部キャンパスの学生自治会室に拉致。約8時間にわたるリンチを加えて殺害し、その後、川口さんの遺体を東大構内・東大付属病院前に遺棄した。
翌日の11月9日に遺体が東大で発見されると、昼過ぎに、革マル派が声明を発表。「川口は中核派に属しており、その死はスパイ活動に対する自己批判要求を拒否したため」と事実上、殺害への関与を示唆した内容で、川口さんが内ゲバによって殺害されたことが判明する。
川口さんの死因は「丸太や角材の強打によるショック死」で、遺体の打撲傷の痕は四十カ所を超え、全身あざだらけ。
骨折した腕から骨が出ていたほど、変わり果てた姿になっていたという。
だが、川口さんは学生運動や部落解放運動などに参加はしていたが、実際には中核派とほとんど無関係。つまりなんの理由もなく無関係の人間が、勝手な抗争に巻き込まれて、凄絶なリンチの末に殺害される理不尽な死だった。
なぜ、なんの関係もなかった川口大三郎さんは殺されなければならなかったのか?彼の死とは?
ここを起点に本作は、学生運動終焉期に激化した「内ゲバ」に迫ろうとする。
同じ革命を志す若者同士が激しく対立し、最後は殺し合いにまでエスカレートしていった「内ゲバ」について、当事者たちはいまだに堅く口を閉ざしている。100名以上が命を奪われながら、どういった内実があったのかほとんど語られていないという。
これだけの死者が出ていて、何も語らないまま終わらせていいのか?川口さんはこのまま忘れられてしまっていいのか?
このある種の隠蔽と無関心は、いまの日本社会が抱える問題にもつながっている気がしてならない。
「内ゲバの真相」と「川口大三郎の死」と向き合った代島治彦監督に訊く。全六回/第二回
演出家の鴻上尚史からの「次は内ゲバですね」の言葉を受けて
前回(第一回はこちら)、資料も映像もほとんど残されていない「内ゲバ」についての映画を作ることは「無理だろう」と当初は考えていたことを明かしてくれた代島監督。
それがなぜ、作る決断へと向かっていったのか?
「直接的には樋田毅さんの著書『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読んだことがきっかけです。
そこから、はじまりました
ただ、そこに至るには前段がありまして、まず前作の『きみが死んだあとで』の公開時に、演出家の鴻上尚史さんにゲストに来ていただいてトークイベントをやったんです。
その場で、鴻上さんから言われたんです。『次は内ゲバですね。内ゲバの映画を作ってくださいよ』と。
僕は『いやいや、それはできないでしょう』と返しました。『資料も映像も残されていないですし、当事者もまったく語っていないことですから、無理ですよ』と。
でも、鴻上さんは『いやできると思います。最近、『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』という本が出たのですが、知ってますか?』と話されて、本のおおまかな概要を教えてくれました。1972年11月に早稲田大学のキャンパスで起きた革マル派による川口大三郎君リンチ殺人事件のことが書かれていること、革マル派当事者ではないけれども、『革マル派追放』のために立ち上がった一般学生の代表で『新自治会設立』の運動のリーダーとなった樋田さんが著者であるといったことを。
その上で『これを下敷きにすれば(映画が)できるのではないか、内ゲバのことはきちんと描いて明らかにすべきではないか』といったやりとりをしたことがまず前段としてありました。
で、この段階ではまだ僕は、樋田毅さんの著書『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』は読んでいませんでした」
「内ゲバ」が自身に、社会に与えた影響
本の話に入る前に触れておくと、そのときのやりとりで、「内ゲバ」に関して、最終的に「ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ」のドラマパートを担当することになる鴻上と同じ思いを共有していることを確認したところがあったという。
「少し『川口大三郎君リンチ殺人事件』当時の経緯をお話しをすると、事件後、樋田さんは『革マル派追放』を目指して『新自治会設立』に動くのだけれども、革マル派による襲撃で重症を負うとともにその運動も挫折してしまいます。
一方で、川口君事件をきっかけに革マル派と中核派、社青同解放派の内ゲバは激化。1974年以降、革マル派と中核派、社青同解放派による殺し合いはエスカレートしていって、内ゲバによる死者は100名を超えてしまいます。
こういった時代の流れを僕はリアルタイムで見聞きしていました。しかも思春期の多感な時期に。
中学時代に連合赤軍リンチ殺人事件、高校時代に内ゲバ殺人事件を見聞きしていたんですね。
で、1977年4月に早稲田大学の政治経済学部へ入学することになる。鴻上さんはその翌年に早稲田大学に入学している。つまりほぼ同時期にこれらの事件を見聞きしてきた。
で、鴻上さんがその対談の場で言ったんです。『一般的には当時、若者が政治から離れたのは『連合赤軍事件』でのリンチ殺人事件と言われている。でも、自分は「内ゲバ」がもたらした影響の方が大きい。「内ゲバ」は、その後の政治状況に深い影響を与えていると思う』と。
これは僕もまったく同意見です。
確かに連合赤軍のリンチ殺人事件で一気に人々の心が離れていったところはある。
でも、それより、その後、10年ぐらい続いた報復に次ぐ報復の『内ゲバ』の殺し合いの与えた影響の方が僕らには大きかった。
高校生になるまでの僕は、学生運動に共鳴していたというか。学生運動をやっている学生たちのことをかっこいいお兄さんやお姉さんと思っていて、憧れを抱いていた。
でも、そんな僕でも内ゲバには怖気づいた。恐怖感を抱いた。なぜ仲間同士で殺し合いをするのか理解ができませんでした。
だから、そこで下手に政治運動にかかわると、暴力的支配の世界に入ることになるようなイメージを植え付けられたというか。
早稲田大学に入学したとき、自分は『政治的な運動にはかかわらないほうがよいな』という臆病な若者になってしまっていました。
『内ゲバ』は、若者が政治から遠ざかる大きな要因になっていました。それによって自分たちが政治を動かして、社会をよりよい方向へ進ませるといった気運もなくなってしまった。
その影響はいまだに続いていて、いまの若者の投票率や政治参加への低さにもつながっている気がします。
で、鴻上さんはいったんですね。『だからこそ「内ゲバ」についての映画を作るべき』と。
そのときの対談で、『よしやるか』と思ったわけではないのだけれども、『内ゲバ』というテーマに取り組む前段としてこういうことがありました」
(※第三回に続く)
【「ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~」代島治彦監督インタビュー第一回】
「ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~」
監督・企画・編集:代島治彦
撮影:加藤孝信
プロデューサー:沢辺均
音楽:大友良英
劇パート 脚本・演出:鴻上尚史
劇パート出演:望月歩(川口大三郎 役)、琴和(女闘士 役)ほか
出演:池上彰、佐藤優、内田樹、樋田毅、青木日照、二葉幸三、藤野豊、
永嶋秀一郎、林勝昭、岩間輝生、吉岡由美子、大橋正明、臼田謙一、
野崎泰志、岡本厚、冨樫一紀、石田英敬
公式HP:gewalt-no-mori.com
ユーロスペースほか全国順次公開中
写真はすべて(C)「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)