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ヌーランドの退場とバイデン一般教書演説の二枚舌

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(741)

弥生某日

 米国大統領は年に1度だけ議会に呼ばれ、上下両院議員を前に今後1年間の施政方針を明らかにする一般教書演説を行う。

 今年の一般教書演説は3月7日に行われたが、それは一般教書演説と呼べるものではなかった。バイデン大統領が11月5日の大統領選挙を意識し、共和党候補になることが確実なトランプ前大統領を徹底批判する選挙演説だった。

 バイデンはトランプの名前を出さずに「前任者」という呼称を演説の中で13回も使い、「前任者」は自由と民主主義に危機をもたらすとして、「前任者」と自分とを各方面にわたって対比してみせた。

 まず取り上げたのがロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵略である。「プーチンはウクライナで止まらない」とバイデンは断言した。そして「我々がウクライナに武器を供与すればプーチンを止めることができる」、「前任者はプーチンにやりたいようにやれと言ったが我々は容認しない。決してプーチンには屈しない」と言った。

 これに議場の民主党議員はスタンディング・オベーションで応えたが、フーテンの頭の中には「?」が灯った。「プーチンがウクライナで止まらない」とはどういうことか。ウクライナに続いてさらに他国を侵略していくと本気で考えているのか。

 ロシアという国を地図で眺めてみれば良い。おそらく世界一長い国境線を持つ国だ。つまり他国の地上軍に多方面から攻められれば防衛するのが極めて難しい。どうやって守るか。核兵器の抑止力、すなわち核の脅しに頼るしかない。

 それでも攻撃されれば核戦争を決意するしかない。西側世界はプーチンの核の脅しをけしからんというが、核の脅しに頼るしかないのがロシアという国の特殊性である。しかも広大な面積を持つ国だから、核戦争を決意する可能性も他国より高い。

 冷戦時代の米国外交の基本は、だから「封じ込め戦略」を採用し、ソ連との核戦争をやらないようにした。冷戦が終わるとソ連側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構は解体され、しかし西側のNATO(北大西洋条約機構)は存続した。その代わり「NATOは1インチたりとも東方拡大しない」との口約束が交わされた。

 それが核戦争を防止する方法だった。それを破ったのは大統領再選が危うくなったクリントン大統領である。クリントンはポーランド移民票を獲得するためポーランドなど3カ国のNATO加盟を承認し、米国外交の基本を覆してNATO東方拡大に舵を切った。

 それを官僚として推進したのが、国務省に勤務するビクトリア・ヌーランド旧ソ連問題担当副長官だった。彼女の夫はネオコンの幹部として有名なロバート・ケーガンで、ヌーランド本人もばりばりのネオコンである。ネオコンとは民主化のためなら戦争も辞さないタカ派集団で、民主、共和両党に根を張っている。

 次のブッシュ(子)政権は、チェイニー副大統領を筆頭にネオコンに取り囲まれ、9・11テロが起きると中東を民主化する目的で「テロとの戦い」を始めた。その頃、彼女はNATO大使となり、また同じ頃にロシア大統領に就任したプーチンは米国の「テロとの戦い」に協力した。

 ところがNATO東方拡大が止まらない。ついにロシアの嫌がるウクライナとジョージアのNATO加盟が現実問題となる。そこからプーチンは反米に転じた。するとヌーランドはオバマ政権でウクライナの親露派政権打倒を画策する。市民を扇動して民主化デモを起こさせ、ヤヌコビッチ政権打倒に成功した。

 プーチンは直ちにクリミア半島を武力制圧し、ロシア系住民の多い東部2州を支援してウクライナ軍との内戦に介入した。バイデン政権が誕生すると、ヌーランドは国務省ナンバー3の国務次官となり、プーチンがロシア軍をウクライナに侵攻させる計画を練った。2022年2月に侵攻が始まると、彼女は「プーチンがうまく引っかかった」と本音を漏らした。

 そのヌーランド次官が辞任することになった。ブリンケン国務長官がそれを発表したのは一般教書演説2日前の3月5日である。ヌーランドの義理の妹であるキンバリー・ケーガンが所長を務めるシンクタンク「戦争研究所」は、ウクライナ戦争に関する情報を西側メディアに提供する役目を一手に引き受け、ウクライナ戦争はヌーランド一族が密接に関係した戦争である。

 ウクライナの敗色が濃厚になったことから辞任することになったのだとすれば、バイデン政権の方針とヌーランド次官の考えが合わなくなってきたことを証明する人事かもしれない。そう思っていると、また別の興味深い情報が飛び込んできた。

 ドイツ空軍の高官による巡航ミサイル「タウルス」のウクライナへの供与とクリミア大橋爆破計画の会議の音声をロシアが入手し、3月1日にそれが公開された。ロシアが音声の入手に成功したのは、オンラインで会議する際に機密保持の措置を取らなかったためだとドイツの国防大臣は認めた。

 ドイツのショルツ首相は3月4日に、巡航ミサイル「タウルス」をウクライナに提供する意思はないと表明し、これは「越えてはならない一線で、これを越えればドイツは戦争の当事者になる」と述べた。

 このニュースとヌーランド辞任が結び付いたのである。つまり最も好戦的にウクライナ戦争を主導してきたのはヌーランドだ。ヌーランドはドイツの巡航ミサイル「タウルス」をウクライナに提供させようとした。それはクリミア大橋爆破のためだったかもしれない。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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