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【鎌倉殿の13人】承久の乱に加担した容疑の神職が北条義時に許された現代人には想像できない驚愕の理由

濱田浩一郎歴史家・作家

日吉大社(滋賀県大津市坂本に鎮座。延暦寺の鎮護社)の禰宜(神職)である祝部成茂は、鎌倉に呼び出されていました(1221年閏10月)。承久の乱(1221年6月)に加担したとの疑いがあったからです。

ところが、成茂は許されて、西国に帰ることができました。そこには、現代人からはなかなか想像もできないような「裏事情」があったのです。成茂が鎌倉に着いた翌日の夜のこと。鎌倉幕府の執権・北条義時の継室(後妻)・伊賀の方はある夢を見ました。

その夢というのは、鉄の鎖を付けられた猿一匹が、伊賀の方の傍らに座ったのは良いのですが、その猿は急に伊賀の方の髪を掴み、左右の手に巻くという行動を取ります。しかも、猿の顔は怒りに満ちていました。

そんな不気味な夢を見た伊賀の方。夢から覚め、起きた後も、心身からは気が抜けて、ぼんやりする有様。伊賀の方は(一体、あの夢は何だったのだろう)と思ったのでしょう。側に仕える女房を、京下りの知識人・大江広元のもとに遣わし、見た夢について尋ねます。

すると、普段は冷静沈着とも思える広元が、特に驚き騒いで、次のように言うではありませんか。「祝部成茂の罪を許すべきです。神道のことについては、人の力の及ぶべきところではありません」と(鎌倉時代後期の歴史書『吾妻鏡』)。大江広元は、伊賀の方の見た夢の「夢解き」(夢を解釈する)を行った結果、そのような結論に至ったのです。

猿は、日吉大社の御祭神(大山咋神)の使いとされていました。その神の使者の猿が、夢の中で怒っていたということは、これ即ち、日吉大社の禰宜・成茂を罪人とすることに、神が怒っているということに違いない。おそらく、広元は、そのように考えて、成茂を宥免するよう主張したのでしょう。

北条義時・伊賀の方夫妻は、日吉神を信仰していました。よって、「早く神社に帰り、神事を行え」ということで、成茂は許されることになったのです。成茂は、囚人として、神社を出発した後も、朝夕には必ずお祈りをしていたようです。その祈りが、神に通じたのかもしれません。

成茂は、閏10月29日の夜に鎌倉を進発するよう、義時から命じられました。義時は、成茂に餞別を持たせたようです。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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