【インタビュー前編】ジャン=ジャック・バーネル(ザ・ストラングラーズ)/パンク・ロックと空手の道
2019年11月、ザ・ストラングラーズが来日公演を行った。
UKパンク・ロックのレジェンドの単独来日ライヴとしては27年ぶりとなるステージ。東京3デイズの最初の2日は堂々ソールドアウト、3日目もほぼ満員となり、公演は大成功に終わった。日本の観衆が声援を送り、バンドの演奏がそれに呼応して熱気を帯びていくさまは、理想的とすらいえるエネルギーの交歓だった。
バンドのメンバーで日本と長く密接な関係を持ってきたのが、ベーシストでありシンガーのジャン=ジャック・バーネルだ。彼は日本文化に傾倒するのみならず、世界空手道連盟士道館のイギリス支部長としても活動してきた。
今回のインタビューではジャン=ジャックの日本との関わりを中心に語ってもらった。全2回の記事、まずは前編をお届けしたい。
なお、インタビューは英語で行われたため、彼の空手界の師匠・先輩たちが単に“ミスター〜”と呼ばれることも多い。ただ、彼の口調には常に敬意が込められていたことを付け加えておきたい。
<日本という国を愛している。何度訪れても、その気持ちが薄れることはない>
●ザ・ストラングラーズは1974年にサリー州ギルフォードで“ザ・ギルフォード・ストラングラーズ”として結成されたそうですが、その2年前、ギルフォード郊外に立教英国学院という、全寮制日本人学校が開校したのは知っていましたか?
うん、話は聞いていた。ギルフォードは大きな町ではないし、噂がすぐに拡がるからね。ただ家の近所ではなかったし、行ったことはなかった。当時は日本という国に対するイメージがまだなかったんだ。...1960年代の終わりから1970年代の初めはブルースが好きだった。ギルフォード郊外のゴダルミングという町で毎週日曜日にブルース・クラブが開かれていたんだ。ピーター・グリーンの率いる初期フリートウッド・マックは何度かライヴを見たよ。後にマックに加入するクリスティン・マクヴィーは当時クリスティン・パーフェクトと名乗っていて、チキン・シャックというバンドにいた。彼らも何度も見ることが出来たんだ。当時、未成年だとパブに入ることが出来なかったから、年上の友達に裏口から入れてもらっていた。エインズリー・ダンバー・リタリエイション、キーフ・ハートリー、フリーの前身バンドだったブラック・キャット・ボーンズ...14、5歳のとき、そんなバンドを見まくっていたんだ。
●...そういったブリティッシュ・ブルースのバンドを見ていて、何故まったく異なった音楽性のバンドを始めたのですか?
彼らの音楽は好きだったけど、物真似はしたくなかったんだ。自分自身の音楽性とはまた別の話だよ。何の矛盾もない。50年前に聴いていたのと同じ音楽を今でもやっていたら悲しいだろ?
●今回の来日公演で、初日は「アウトサイド・トーキョー」、2日目・3日目は「デス・アンド・ナイト・アンド・ブラッド」 という日本を題材にした曲をプレイしてくれて、日本人として嬉しかったです。
うん、「アウトサイド・トーキョー」は酷い演奏になってしまったけどね(苦笑)。日本という国を愛しているし、何度訪れても、その気持ちが薄れることはない。
●初日・2日目に異なった日本テーマの曲をプレイしたので、3日目はもしかして、同じく日本を題材にした「ラ・フォリー」をプレイするのではないかと考えたのですが...。
ああ、パリの人肉食事件ね。あの曲をやることは考えていなかったな。歌詞がフランス語だし、もしかしたら日本の次にツアーするフランスではプレイするかも知れない。
●第二次世界大戦で焼け野原となった日本は東京オリンピックなどによって復興していきますが、1960年代には“メイド・イン・ジャパン”というと“安かろう悪かろう”を象徴していたと聞きます。
俺の感覚だと、1960年代終わりには日本に対するチープなイメージはなくなっていた。評価が180度変わって、日本製品は高品質の証になったんだ。俺は当時からバイクに乗っていたし、そんな評価の転換を身で感じてきた。イギリスのバイク業界が壊滅するのを目の当たりにしてきたからね。もちろんそれは日本のバイクメーカーのせいじゃない。イギリスのバイク業界はケツに一撃を食らわされる必要があったんだ。当時、日本のバイクメーカーはイギリスのバイクを参考にして、さらに改良を加えたけど、最近ではイギリスのトライアンフが日本のバイクをコピーして、さらに品質を高めようとしている。そうやって競い合いながら成長していくのは良いことだね。
●その後、高度成長で日本人が国際社会で誇りを取り戻しつつあった中で1981年、パリの人肉食事件とアネーカの「ジャパニーズ・ボーイ」はまさに“国辱”でした。(「ジャパニーズ・ボーイ」は日本では山口由佳乃が「チャイニーズボーイ」としてカヴァー)
その歌は知らないなあ。どんな時代でも糞みたいなポップ・ソングはあるものだよ。パリの人肉食事件はショッキングな出来事だった。日本人が...というよりも、人間を食べるというのは最大のタブーだからね。それで曲にしたんだ。
●「ラ・フォリー」をフランス語で歌ったのは、猟奇殺人事件を扱ったセンシティヴな内容だったからですか?
いや、「ラ・フォリー」をフランス語で歌ったのは、まずパリが舞台だったこと、それからla folieにピッタリはまる英語の語句がなかったんだ。insanityやmadness(共に“狂気”)とはニュアンスが異なるしね。何よりも、そうしたのは“俺がそう出来るから”だよ。「ラ・フォリー」のミュージック・ビデオはパリのモンマルトルで撮影したんだ。午後8時ぐらいから始めて、朝の8時ぐらいに録り終えたっけな。
<シンセサイザー音楽を好きになったのは冨田勲がきっかけだった>
●1980年に日本出身のイエロー・マジック・オーケストラが初めてイギリスでツアーを行いましたが、彼らのイギリス上陸をどのように受け止めましたか?
YMOは素晴らしかったよ。ドイツのクラウトロックとは異なる日本ならではのエレクトロニック・ミュージックをやっていたし、それと同時に国籍を超越した音楽をやっていた。坂本龍一のソロ作品も何枚も聴いているよ。シンセサイザー音楽を好きになったのは、冨田勲がきっかけだったんだ。俺が最も好きなクラシック作曲家の1人がクロード・ドビュッシーだけど、初めて聴いたのは冨田勲による電子音楽ヴァージョン(『月の光』/1974)だった。
●ザ・ストラングラーズはしばしば1970年代イギリスのパンク・ロックを代表するグループのひとつとして挙げられます。私はパンク・ブームに遅れてきた世代で、おそらく初めてザ・ストラングラーズを聴いたのは「ストレンジ・リトル・ガール」(1982)だったと思いますが、その直後にトイ・ドールズが「ネリーさんだ象」を発表して、どちらも“パンク・ロック”と呼ばれていることに困惑しました。
そうだね。俺自身、初めて“パンク・ロック”と雑誌に書かれたとき、何のことだろう?...と思ったんだ。元々はアメリカで生まれた表現だったからね。パティ・スミスがイギリスでツアーをしたとき、俺たちがオープニング・アクトを務めたんだ。他のバンドに「何であいつらが...?」って嫉妬されたよ。その頃から“パンク・ロック”という言葉をあちこちで見かけるようになった。それから数ヶ月後、アメリカ建国200年(1976年)のタイミングで、英米バンドのジョイント・ライヴが企画されたんだ。ロンドン代表がザ・ストラングラーズで、ニューヨーク代表がラモーンズだった。イギリスの若手バンドはみんなラモーンズのファンだったし、俺たちが対バンになったことを気に入らない奴も多かったんだ。それで他のバンドとの関係がギクシャクして、ザ・クラッシュのポール・シムノンと殴り合いの喧嘩になったこともあったよ。それがマスコミや他のバンドの目の前だったから、ザ・ストラングラーズはさらに孤立することになった。でも徒党を組む気もなかったし、パンク・ブームの一部にならなかったことは音楽的に正解だったよ。...しかしトイ・ドールズにいたこともあるバズ(ウォーン)が今、ザ・ストラングラーズにいるというのも面白いね。彼は「ネリーさんだ象」ではプレイしていないと思うけど...。
●パンク・ロックは規律に中指を突き立て、空手は規律を重んじる武道だと思いますが、両者のバランスはどのように取ってきましたか?
パンク・ロックと空手は、決して相矛盾するものではないんだ。どちらも他人の決めたルールに従うのではなく、自分自身を厳しく律しながら、正しいと信じる道を進むことだ。社会には自分のルールを押しつけようとする連中がいる。「パンク・ロックはドラッグと無縁だ」「パンク・ロックはシンセサイザーを使わない」...誰がそんなルールを決めたんだ?俺はドラッグはやらないけど、それは誰かに指図されたからではなく、自分で選択したんだ。シンセだって使いたければ使うよ。空手だって、誰かに「練習をしろ」と言われてやるものではない。自分でやるしかないんだ。
後編ではジャン=ジャックの進んだ空手の道について、さらに掘り下げて語ってもらおう。
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ストラングラーズ/ソニーミュージック オフィシャルサイト
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https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20191105-00149632/