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『やまとなでしこ』はなぜ30%超え恋愛ドラマとなったのか 奇跡を起こした松嶋菜々子の「強さ」と魅力

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

『東京ラブストーリー』で始まり『やまとなでしこ』で終わった10年

2000年の12月18日に放送されたドラマ『やまとなでしこ』の最終話は大変な人気を博し、大きな話題となった。

松嶋菜々子演じる主人公が彼を追って海外に渡る最終話の視聴率は34%を超え「フジテレビ月曜9時ドラマ」の20世紀の掉尾を飾るにふさわしい人気となった。

この次のクールの月9ドラマ『HERO』はさらに高い視聴率を誇り(平均視聴率が34%という怪物ドラマとなった)、まさにテレビドラマのある絶頂期を迎えていた。

ただ、それ以降、30%を超える“月9ドラマ”は出現していない。

『HERO』は検事ドラマ、いわゆる事件解決ものだから、恋愛ドラマとして30%を超えた最後の月9ドラマ(フジテレビのドラマ)が『やまとなでしこ』となる。

1991年1月の『東京ラブストーリー』から始まった時代は、この2000年12月最終回の『やまとなでしこ』でひとつの区切りを迎えたといえる。

それはフジテレビドラマ、及び月9ドラマの黄金期であり、ひいては「連続ドラマがもっとも輝いていた時代」であった。『東京ラブストーリー』から『やまとなでしこ』までの20世紀最後の10年はそういう時代だったのだ。

鈴木保奈美が幕を開け、松嶋菜々子が(図らずも)フィナーレを飾った。(もちろん、『やまとなでしこ』が最後の人気ドラマだったとは当時は気づけない。何年かたって、ドラマ視聴率があまり20%を取らなくなってから、わかった次第である)。

「お、ま、た」というCMからキワモノ的に登場した松嶋菜々子

『やまとなでしこ』が20年ぶりに再放送され話題になった。

あらためて松嶋菜々子の魅力が全開だったドラマだったとおもう。

松嶋菜々子が広く認知されたのは、1995年の自動車のテレビコマーシャルからである。

クルマの後部座席からミニスカート姿でシートを乗り越え運転席に忍び寄ってきて「お、ま、た」とささやく怪しくも妖しい女性。イメージではお尻をぐいっと突き出していたようにおぼえていたが、確認するとすらっとした足をすっと投げ出して近寄ってくるCMで、これはいま見ても衝撃的な映像である。

このCMで松嶋菜々子の名前を覚えた。すこしキワモノな登場だった。

翌年、1996年4月からNHK朝ドラ『ひまわり』の主演になった。「お、ま、た」コマーシャルからの抜擢という印象が強い。

月9黄金期を支えた女優たちの多くが朝ドラ出身だったな、とあらためておもう。

山口智子『純ちゃんの応援歌』、石田ひかり『ひらり』、松嶋菜々子『ひまわり』がわかりやすい例だが、私にとっては鈴木保奈美も『ノンちゃんの夢』のヒロインの友人(従姉妹)役から認知されたというイメージである。出ていないのは松たか子くらいだが、彼女は彼女で大河ドラマ(『花の乱』)から登場した女優だとおもっている。

朝ドラ『ひまわり』で浅野ゆう子と松嶋菜々子が醸したバブルの気配

松嶋菜々子が広く知られるようになった『ひまわり』は現代を舞台にした朝ドラだった。

このドラマの内容について語られることが少ないようにおもうが、たしかにさほど評判になったドラマではなかった。つまらない、ということはなかったが、あとから話題にしたいほどの内容でもなかった。ひさしぶりに見返しても、ああ、そうだったよな、と何となくおもいだすレベルのものである。萩本欽一が犬の立場からナレーションをやっていて、舞台は谷中だった。そうだったな、という感想以外に何もない。

ただ『ひまわり』の始まりは、ややトレンディドラマぽかった。設定は1991年でまさに熱狂的経済成長期の最後の最後の時代、そこで一流企業の最先端の現場で働く女性社員を松嶋菜々子は演じていた。彼女を新しい部署に抜擢しようとする野心満々の上司役が浅野ゆう子だった。浅野ゆう子と松嶋菜々子がバブル絶頂期らしいスタイルで社内を闊歩する姿を見ると、(もしくは高級寿司店で寿司を食べてるシーンを見ると)とてもキラキラしていて、いまでもちょっとため息がでるくらいである。

ヒロインは第二話で逆プロポーズをする。ただ会社は結婚するなら、抜擢はないと宣告して、このあたりの女性軽視はいまだと大問題になりそうだが、1996年当時はしれっと展開していく。結婚か、仕事か、どっちか選びなさいと「バブルの女神」のような上司・浅野ゆう子は美しく迫ってくるのだが、朝ドラの主人公は欲張りですから「結婚はあきらめません、仕事もあきらめません、やらせてください」と主張する。それは受け入れられず、会社に居場所がなくなり退社する。そこからは谷中の下町ホームドラマという展開を見せて、彼女は弁護士をめざすことになる。

司法試験を突破して、すぐさま弁護士事務所を開くというふうにお話は進んでいくのだが、そうなるとまったく他人事な話でしかなかった。まあ、朝ドラの半分くらいはそういう気分にさせられるものだけど。

ただ、松嶋菜々子はいつも明るくめげずに進んでいく女性で、それは魅力的だった。

『GTO』『救命病棟24時』『魔女の条件』と続く松嶋菜々子の時代

朝ドラのあとに松嶋菜々子が主演したドラマは1998年1月の『スウィートシーズン』である。

そのあと人気ドラマにつづけさまに出演する。

1998年7月『GTO』

1999年1月『救命病棟24時』

1999年4月『魔女の条件』

1999年10月『氷の世界』

どれも主役ないしは、主人公の相手役(ヒロイン)である。すべてが高視聴率ドラマなのが凄い。

彼女はあっというまにトップ女優となり、2000年『やまとなでしこ』でその地位を不動のものにした。

2002年に大河ドラマ『利家とまつ』に主演して、いちおうとりあえずのゴールを切ったという感じだったのか、三十代に入ってやや余裕をもって出演するようになった。

2011年には『家政婦のミタ』に主演してまたとんでもない視聴率を叩き出すが、それはまた別の松嶋菜々子という感じがする。

1998年から2002年までは、ドラマ界は完全に松嶋菜々子の時代であった。

不倫ドラマで「愛人冥利に尽きます」と叫ぶ松嶋菜々子の魅力

1998年『スウィートシーズン』は「不倫のおはなし」である。

旅行会社で同じ部署の課長(椎名桔平)との不倫関係にある。一緒に京都旅行へいくところから物語は始まる。舞台は横浜。港や工場の風景が意味ありげにいくつもはさまれてくる。このへんが1990年代の「おしゃれな感じ」の映像だったのだ。

第一話で、温泉にさそわれ、一瞬とまどった松嶋菜々子は、元気よく答える。

「秋には京都、冬には温泉って、なんか、、、、愛人冥利に尽きます、、、、なんちゃって」

このセリフがこのドラマの基本トーンをあらわしていた。いくつもの屈託を抱えているが、それでも「無理して」明るく元気よくふるまう松嶋菜々子の姿がとても印象に残る。

ドラマは後半、不倫相手・椎名桔平の記憶が飛び、愛人がいたことを忘れてしまうという不思議な展開を見せ、意味ありげに近寄っても、まったくおぼえておらず素っ気ない対応をされてしまう。それを知ったとき、彼女は立ちすくむ。

立ちすくんだ松嶋菜々子の姿は美しい。

彼女は、「言いたいことがたくさんあるのだが、それをすべて我慢して、じっと黙って見つめる姿」がとても魅力的だとおもう。そういうシーンはどのドラマでも意図的に作られているように感じる。

『やまとなでしこ』の総集編だと、父が田舎へ帰る深夜バスを見送りにいったとき、謝る父の姿を見て、黙ったまま強く見つめて、話さない。その姿に強く惹きつけられる。そのあとしぼりだすように、父ちゃんごめん、とひとことだけ謝り、ひとことだけなのがとても胸に響く。

つづけさまに教師役を演じたセクシーさ

『スウィートシーズン』のあと、彼女は教師役を連続して演じる。

『GTO』では高校の英語教師、『救命病棟24時』は研修医だが、『魔女の条件』は高校の数学教師、『氷の世界』では女子校の地学の教師。

センセイばかりである。

教師役が暗喩的に示しているのはたぶん「誰にも想像できるセクシーな女性」なのだ。

教師は「立ち仕事」である。授業をするときの教師、講堂で生徒に話しかける教師はいつも立っている。松嶋菜々子は背がすらっと高く、立ち姿が見事で、(そのぶん恋愛相手役を見下ろすことがたびたびある)、その姿形を黙って見つめ続けていたい気持ちに駆られる。その立ち姿の美しさを見せようとして、教師役を振られることが多かったのではないだろうか。

『GTO』はきちんとした教師だった。グレートなティーチャーと生徒たち集団との関わりがメインのドラマで、つまりれっきとした学園ものである。生徒と対立する教師、と、生徒に寄り添う教師、が登場して、彼女はもちろん生徒寄りのマドンナ先生だった。

わりと穏当な、昔から定番の先生役である。

生徒との禁断の恋を描いた『魔女の条件』で見せたもの

『魔女の条件』は、生徒との禁断の恋におちる高校教師役である。

相手役は滝沢秀明。ふたり並ぶと、圧倒的に松嶋菜々子の背が高く見える。二十代後半の高校教師と男子高校生の恋の物語だが、松嶋菜々子がとても大きく見えるというのがこのドラマのポイントであった。

タイトルバックでも、二人が向き合ってくるまるように眠っているが、松嶋が小さい滝沢をかき抱いてるように見えるし、心中しているようにも見えた。そこがずっと気になるドラマであった。

ドラマは、女教師と男生徒という「絶対に周囲が応援してくれない恋」を展開していくばかりであって、想像を越える展開にはならない。

タッキーの甘い表情と、松嶋菜々子の強い意志が揺らいでいくような表情が見ものであった。ドラマはビジュアルがほぼすべてだと私はおもうが、このドラマはそれを徹底していた。

後半は無理に無理を重ねる展開で、要は「松嶋菜々子と滝沢秀明が一緒にいる姿」にどれだけ共鳴させるかに力を入れていたとおもう。それは見事に成功していた。

ふっとおもいだすとき、この二人が一緒にいるビジュアルはすぐにおもいだせるが、ドラマ展開はほぼおもいだせなかった。ラストは幸せに終わったか、不幸だったか、それさえおもいだせなかった。まあ、そういうドラマである。

このドラマは禁断の恋がどうなるのか、を示したドラマではなかった。

大事なのは、途中途中の困難なときに、まっすぐ前を見つめる彼女の姿である。

強く前を見つめる姿の松嶋菜々子に共鳴するドラマであった。

ドラマ史上に残る魔性の女を見せた『氷の世界』

『氷の世界』は、サスペンスドラマであった。

このドラマは前年の『眠れる森』というドラマと対になっている作品である。私は当時から強くそういうメッセージを受け取っていた。

真犯人が誰なのかわからないまま最終話を迎え、最終話に謎を明かされるというドラマである。最近でいえば『あなたの番です』『テセウスの船』と同じタイプ。

20世紀末の『眠れる森』も『氷の世界』も、どちらも大人気となり、犯人が誰なのかというのが、インターネットも普及してない世界ながら、とても話題になっていた。

前作『眠れる森』での犯人像(謎解き)にやや不評な部分があったので、じゃあ、これならどうだ、ということで同じ脚本家(野沢尚)によって作られたドラマだったようにおもう。しかし『氷の世界』のラストも、またかなりの非難を浴び、私は関係者でもないのだが「だったらどうすりゃいいんだよ」とひたすら言いたくなった作品である。途中おもしろけりゃそれでいいじゃん、とは多くの人は考えないみたいである。残念だがしかたがない。

『氷の世界』の松嶋菜々子が演じていた役は、とてもクールな美女であった。

私はこれはこれで彼女の代表作だとおもうのだが、上記のような背景があるからか、あまりそういうふうには言われてない(とおもう)。

でも圧倒する魅力にあふれていた。

松嶋菜々子はクールで謎めいた美女を演じると、まわりの空気ごと人を引き込んでいく。魔女のごとく、彼女の身体が動いているのを見せてるだけで世界を一変させる。すさまじい力である。そういうポイントですごいドラマだった。

地学教師というのは、冷たい鉱石に興味を抱いてる女性という記号的象徴であり、あまり教師姿は描かれない。常に誰かに愛されている女性という姿が描かれていた。

ドラマ史上、トップクラスの「魔性の女」を演じたとおもう。

たとえば、何も言わずに警察署を去るとき、眺めている警察官(遠藤憲一)に艶然と微笑みかけて去って行ったが、それだけでどこか痺れてしまいそうである。見ているだけなのに動けない、とおもってしまうのだ。

喋らないシーンでも、人を黙らせ、惹きつけ、とどまらせる女優は、やはり数少ないとおもう。

それが松嶋菜々子である。

そしてドラマを最後まで見ればわかるが、彼女はぶれていないのである。一貫している。とても強い。

よく見るとそこに心動かされるドラマでもあったのだが、ミステリーとして見てる人が大半だったので(犯人は誰だということだけで見続けているのがふつうである)、あまりそこは言及されることはなかった。

『やまとなでしこ』で人気が爆発したその背景

1998年から1999年に掛けて、かなりシリアスな役を演じつづけて、そして2000年の『やまとなでしこ』である。

あらためて、抑えて抑えていた松嶋菜々子の魅力を、正面きって全面に開いたのが『やまとなでしこ』だったのだということがわかる。

ずっとクールな役を経て、「お金だけで付き合う相手を選びたい」というサバサバした女性として出てきたのだから、すぐに飛びつきたくなる。

いわば年をまたいでのツンデレということになるが、でも彼女が艶然と笑うので、飛びついてしまった。

それが2000年10月時点での、ドラマ視聴者としての正直な心理である。

あまりドラマ内容は覚えていなかった。記憶としては、なんか楽しい感じ、というくらいしかおぼえてない。ただその気分だけは20年ずっと覚えている。

要するに、どんな話かというのは、ドラマにとっては二の次なのである。

そこのポイントが言語化しやすいので、多くの人はストーリー展開を話題にするが、ドラマの本質はそこにはない。

おそらく現場の人はみんな知ってることである。

あらためて素敵にコンパクトになった総集編の前後編を見ると、彼女が少女気分をずっと引きずったまま大人になり(貧乏が嫌だと決心したのは少女のときであった)、だからこそ人の気持ちを軽くしてくれるキャラだったのだとわかる。女性が口で言ってることだけを信用していてはだめだ、ということをあらためて感じてしまう。

田村正和ドラマとのつながりも感じた『やまとなでしこ』

『やまとなでしこ』の魅力は、合コンのたびに「今夜はたった一人の人にめぐりあえたような気がする」と言う軽さにあった。

このセリフを聞いて、いつも連想したのは1987年の田村正和のドラマ『パパはニュースキャスター』である。毎回、酔うたびに女性相手に同じセリフをつぶやき「いままで独身だったのはキミに会うためだ」と言い、次々と子供が出来てしまってたようで、その子たちが一挙に押し掛けてくるというコメディドラマであった。

1987年なので、ドラマが軽く浮ついたものになっていく端緒であった。トレンディドラマへの道にあったドラマである。

みんなが絶対的に松嶋菜々子を支持したのはその生きる姿勢にあった

松嶋菜々子の演じるキャラは、どんな状況においても、きちんと初志貫徹する姿勢を崩さなかったことがわかる。

かなり困難な状況にいることが多いのだが、でもどんな困難なときでも弱音を吐かず、強い意志をみなぎらせて、彼女は黙って強く前を見ている。その姿は一貫している。

クールなドラマであろうと、合コン好きな軽いドラマであろうと、彼女の演じる役はずっと芯がとおっているのだ。

松嶋菜々子といえば、前を強く見てる姿が浮かぶ。強く、やや、前屈みに立っている。凜とした美しさを求めず、やや前のめりに立つ、何かを強く見つめている、というのが彼女の立ち姿の特徴のようにおもう。

そして、彼女は志を貫徹する。どのドラマでもそうである。

『やまとなでしこ』も少女時代のおもいを遂にかなえているということで、強く最後まで自分を崩さずに生き続けた姿が描かれている。

それは2000年前後の日本人に圧倒的に支持されたのだ。

松嶋菜々子が主演をしなくなり、それと同時に熱を持って作られていた「おしゃれな恋愛もの」も見かけなくなり、私たちの生活は何かが変わってしまったようである。

あらためて『やまとなでしこ』を見終わると、彼女が、時代のひとつの「指標」だったのだな、とおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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