【メモの必要性】メモはとるべし!根拠のない“記憶の根性主義”からは早々に脱却して楽をしよう
メモ、とってますか。
人によってはそれはネタ帳みたいなものだったり、ビジネスのアイデアだったり、はたまた人と会話していてのメモだったり、打ち合わせ中にとるメモだったりします。
で、このメモは別にとらなくてもいいという意見があるようです。
こんにちは。デジアナリスト・手帳評論家・歌手の舘神龍彦(たてがみたつひこ)です。今回は、メモをとるってどういうことなのかをもう一度考えた上で、その必要性や、メモをとらない場合と比較した圧倒的なメリットとアドバンテージについて考えてみます。
なぜメモをとるのか
とくに手書きで人の話のメモをとる場合は、いろいろなメリットがあります。
まず書くことで、書いている内容がある程度頭に入ってきます。
人が話す内容全てを書くことは、普通はできません(速記者とか以外は)。
なので、適宜編集しながらメモをとることになります。キーワードや重要なセンテンスなどを拾って書き、適宜聞き直しながらまたメモをとる。
そして重要なのは、このプロセスです。書いていることで少なからず記憶に残っているわけです。
見直さなくてもいい理由
メモはとっても見直さないという意見もあります。だからそもそもメモしなくてもいいのだと。また記憶力に自信がないのではないかとも。
そしてメモをとるのは上述のように、メモをとること自体に意味があるわけです。そこで頭の中に何らかのインプットが働いているわけです。だから必ずしも見直さなくても良い。
そもそも、メモをしている時点で、聞いたことを文字の形で可視化しています。ただ聞いただけでは、聞いた瞬間の音・声が聞こえるだけです。メモをするとこれに加えて、手を使って文字を書き、また書いた文字が目に入っています。同じ情報が何回も繰り返されて脳に入ってくるわけです。このことの意味は決して小さくはない。
そしてそれ故に見返さなくてもいいわけです。もちろん、見返せばもっと良いでしょう。
記憶をがんばる=“記憶の根性主義”は無意味
メモをとらずに記憶に残すことができればそれに越したことはありません。
ですが、実際には、見聞きしたことは、普通の人の場合はどんどん忘れていくわけです。それをずっと覚えておくことができるのは、その種の才能に恵まれた限られた人でしょう。
実際に、聞いたことが時間の経過に従ってどんどん忘れられていくことには科学的なエビデンスもあります。
それよりは、まずメモをとる。適宜編集しながら手書きしていく。
つまりメモ帳なりノートなりは、記憶をするための媒体にすぎないのです。
見直せばそれはそれでよし、見直さなくても、メモをとっている時点でその役割は果たされているわけです。
がんばって覚えるのは、試験勉強や受験勉強の考え方から抜けきっていないからではないかと思います。試験勉強、受験勉強はいろいろな知識や公式をがんばって覚える必要があります。ですが、それ以外のケースなら、とくに覚える必要はない。そしてメモをとれば逆にある程度覚えられるわけです。
メモをとらずに記憶力を鍛えるとか、そういう古い常識のようなことは疑ってかかるに限ります。
道具をうまく使って楽をしましょう。そのことで、脳みそを別のことに使った方が効率も良く、楽なのだと考えます。