松坂大輔と1日違いでトミー・ジョン手術を受けた男の復活。レッドソックス左腕・ヒルが起こした奇跡。
秋の気配が日々濃くなるボストンは、9月25日、本拠地最終カードとなるオリオールズ戦初戦を迎えていた。7−0で迎えた九回二死二塁からオリオールズ・デービスが放ったホームラン性の一打に、レッドソックスの右翼ベッツが飛びついた。上体がブルペンに落ちそうになりながら、フェンズ上で間一髪ジャンピング・キャッチ。それが、レッドソックスにとって今季153試合目で初めて完封試合を達成した瞬間だった。ベンチからナインが駆け寄り、マウンドの左腕、リッチ・ヒルの周りに歓喜の輪ができると、32411人を集めた本拠地には、大きな歓声が沸き起こった。誇らしげな笑顔で外野から走ってきたベッツは、ウィニングボールを左腕にヒョイと投げてよこした。
「信じられない終わり方で素晴らしい試合が決まった。なんというストーリー。なんというピッチング。彼のために本当に嬉しいし、誇りに思う」と、ロブロ監督代行は、先発ヒルの9回2被安打無失点10奪三振の力投に涙ぐんでいた。
ボストン出身左腕が、メジャー11年目で初めてフェンウェイパークで先発した。だが、その道のりには、壮絶な戦いがあった。中継ぎ左腕としてレッドソックスのブルペンに入っていた2011年5月29日のカブス戦で、7球目を投げた際に、苦痛に顔を歪めて降板した。左肘靭帯断裂。6月9日に左肘靭帯再建手術を受けた。その頃、もう1人、肘の痛みと戦っていた男がチームにいた。長年の勤続疲労で右肘靭帯部分断裂が発覚した松坂大輔(現ソフトバンク)だった。ヒルが手術を受けた翌10日に、松坂は右肘にメスを入れた。球団でメジャー選手が2日連続でトミージョン手術を受けるのは初めてのことだった。
ヒルを襲った試練はそれだけではなかった。苦しいリハビリを乗り越えてマウンドに戻った後、インディアンスを経て2014年1月にレ軍とマイナー契約。その1ヶ月前に次男を授かったこともあり、古巣での再出発に意気込んでいたが、生まれつき病弱だった赤ちゃんはキャンプ中に生後2ヶ月で亡くなった。失意の底に沈み、戦力外通告を受けた後は複数球団を渡り歩いた後、今年7月には独立リーグのアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。そのキャリアは終焉を迎えたかと思われた。
だが、8月にレ軍とマイナー契約。先発投手として生まれ変わり、奇跡の復活を遂げた。ここまで3試合で2勝0敗。計23イニングを投げてわずか3失点。防御率は1・17だ。9月にシーズン初登板を迎えた投手が、3試合連続2桁三振を奪ったのは、1900年以降の近代野球では史上初の快挙となった。
「チャンスをくれた球団に感謝の気持ちで一杯。1球1球思いを込めて夢中で投げている。先のことなんか考えていない。今から思えば、昔は分かっていなかったんだ。年齢を重ねて、ようやく、ピッチングが少し理解できるようになった気がする。球持ちを長くする意識をすることで、ボールをうまくコントロールできるようになったことと、カーブとチェンジアップをうまく組み合わせて、ピッチングを組み立てられるようになったことが大きい」と、35歳は言った。
9月の活躍で、球団は来季の戦力として検討中。来季のキャンプに招待選手として呼ばれる可能性が高くなった。
「どんなに消化試合であったとしても、ここはメジャーリーグ。世界で最高の野球が出来る舞台なんだ」と、ロブロ監督代行は言う。最下位に沈む9月でも、夢を諦めない男たちにとっては羨望の舞台に変わりはないし、そこではどんなドラマも起こりうる。新天地のソフトバンクで登板することなく右肩を手術した松坂にも、このニュースが届いて欲しいと、ふと思った。