見よ、この嫌煙活動の壮絶さを
なんだか、余りにも熾烈すぎて驚いているわけですよ。以下、たまたま流れてきたtwitterのタイムラインより転載。
「35分に1人が他人のたばこの煙で死んでいる」「煙害死をなくそう」と、まぁセンセーショナルなフレーズが並ぶこと、並ぶこと。
先のIR推進法の成立の前後に散々、アンチ賭博の皆様からあらゆる憎悪を投げ付けられた私としては、人々の熾烈な憎悪表現を受け止め慣れているつもりだったわけですが、この世にギャンブル以上に嫌われているモノがあるとは。。愛煙家の皆様には「ご愁傷様です」としか申し上げようが御座いません。
ただ、私として現在の嫌煙運動を見ていて少し滑稽だなとも思うのは、いわゆるリベラルと呼ばれる人達がこの種の運動の先頭に立って、上で紹介したような熾烈な憎悪表現を積極的に振りまいていること。私自身は賭博という人々の特殊な趣味/嗜好に根ざした産業で生きる人間ですから、タバコも含めてその種のものに対して寛容に生きて行きたいなと思っているタチです。ところが、通常はこの種の少数派の個人的な嗜好や思想を持つ権利を守れと、全体主義、もしくは父権主義的な社会の動きに対して批判を展開する立場に居るリベラルの方々が、殊にタバコというテーマとなると急に「国民の大半は建物内の禁煙を望んでいる。禁止せよ」などと主張し始めるのは、傍から見ていると非常に滑稽に見えてくるわけです。
私自身はタバコを全く吸わない、吸ったこともない人間なので屋内禁煙になろうが、どうなろうが究極的には一切の被害はないわけですが、一言だけ申し上げたいのは「●●によって△△のような社会的被害が生じている。禁止せよ」「多くの国民は●●を禁止することを望んでいる」というような論法は、世に生きる人たちのあらゆる趣味/嗜好に跳ね返って来るものであるということ。他人の趣味/嗜好をそのように攻めたてる行為は、巡り巡って貴方自身に還ってきますよとだけは申し上げておきたい。貴方が愛して止まないアニメもゲームも音楽も、車もバイクも、スポーツも●●も(●●には貴方の嗜好を入れてください)、それを憎悪の対象として「アンナものは社会的害悪を生むだけ」的に見る人が世の中には必ず居るという事を身を持って知った方が良いのではないでしょうか、と個人的には思ってしまうわけです。