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ジェフ・ピルソンが語るフォリナー、スターシップ、マイケル・シェンカー【前編】

山崎智之音楽ライター
Jeff Pilson(写真:Shutterstock/アフロ)

2020年、世界を襲った新型コロナウィルス(COVID-19)の脅威は、一気にエンタテインメント業界を氷河期に追いやることになった。ポピュラー音楽でも多くのアーティストが公演を中止・延期しているが、その結果、彼らのツアーに同行するスタッフやクルーも収入源を絶たれている。

そんな状況下、フォリナーもツアー活動の休止を余儀なくされているバンドだ。1977年にデビュー、「アイ・ウォナ・ノウ」「ガール・ライク・ユー」「つめたいお前」などのヒット曲でヒット・チャートを席巻した彼らだが、近年はライヴを活動の中心としていた。それがストップしたため、彼らは公式サイトで限定マーチャンダイズを販売。収益を全額クルーに寄付することにしている。

(https://store.foreigneronline.com/dept/foreigner-crew)

現在フォリナーのベーシストであるジェフ・ピルソンはロサンゼルスの自宅でステイ・ホームしているところ。そんなジェフにバンドの現状、そして彼自身の近況について訊いた。彼はまた過去に在籍したドッケン、ディオ、マッコーリー・シェンカー・グループなどの思い出も語ってくれた。

全2回のインタビュー、まずは前編を。

<フォリナーの活動の核はツアーだ>

フォリナー『キャント・スロー・ダウン』ジャケット(現在発売中/マーキー・インコーポレイティド)
フォリナー『キャント・スロー・ダウン』ジャケット(現在発売中/マーキー・インコーポレイティド)

●あなたとご家族はご無事でしょうか?

直近の家族は大丈夫だけど、70代の親戚が1人、COVID-19に感染して、昏睡状態で人工呼吸器に繋がれているんだ。クルーの1人が父親を亡くしているし、深刻な事態だよ。

●...そんな状況下で、フォリナーはツアーを行うことが出来ず、クルー救済マーチャンダイズを発売することになったわけですが、何人の専任クルーがいるのですか?

10人のクルーがフルタイムで働いているから、彼らの生活費を捻出するためにマーチャンダイズを販売するんだ。Tシャツやマスク、過去のツアーからのコレクターズ・アイテムもある。“ブリードラヴ”のアコースティック・ギターのオークションも行うんだ。外見もサウンドも弾き心地も最高だし、落札した人にサインも入れるよ。現在のフォリナーはライヴ活動を主に行っているバンドで、スタッフやクルーにとっては死活問題なんだ。みんな家族がいるし、ぜひ協力して欲しい。

●あなたが2004年に加入してから、フォリナーは『キャント・スロー・ダウン』(2009)1枚しかスタジオ・アルバムを出していませんが、それは何故でしょうか?

21世紀のフォリナーの活動で、核となるのはツアーなんだ。ここ10年以上、常にライヴをやってきた。これは贅沢な悩みなんだけど、フォリナーはあまりにもヒット曲がたくさんあって、ライヴでニュー・アルバムからの曲をプレイするのが難しいんだ。『キャント・スロー・ダウン』を出した直後のツアーでも、新曲は2曲ぐらいしかプレイしなかった。だから新曲を書くことについて、あまり切羽詰まっていないんだよ。COVID-19のせいでスタジオに集まってリハーサルすることも出来ないけど、実はフォリナーとしての新曲もミック・ジョーンズと書いているところなんだ。数曲がほぼ仕上がっている。すぐに新作スタジオ・アルバムを発表するわけではなく、EPあるいは1曲単位、映画サウンドトラックなど、何らかの形で近い将来、新曲を発表出来ると思う。

●最近どのような生活をしていますか?

ホーム・スタジオでずっと作業をしているよ。いろんなバンドやプロジェクトでレコーディングして、ツアーは出来ないけど、とてもクリエイティヴな時期なんだ。ジョージ・リンチと俺の連名で『Heavy Hitters』というカヴァー・アルバムを出したばかりだ。デュラン・デュランの「オーディナリー・ワールド」、プリンスの「キッス」、オアシスの「シャンペン・スーパーノヴァ」...ちょっと目先を変えたポップやロックの曲をレコーディングして、ウィル・マーティンというシンガーが大半の曲でヴォーカルを取っている。ブレットボーイズのマーク・トリエンも1曲歌っているし、良い出来になったよ。ジョージとはジ・エンド・マシーンとしての新作もレコーディングしたところだ。ヴォーカルのロバート・メイスンはリンチ・モブにもいたけど、今はウォレントにいるんだ。ファースト・アルバムでプレイしたドラマーのミック・ブラウンが引退したから、弟のスティーヴ・ブラウンが参加している。アルバムは最高の仕上がりで、とてもエキサイティングだ。2021年の4月に発売予定だよ。前作以上にドッケンを受け継ぐサウンドで、日本のファンが気に入ってくれること間違いなしだ。

●ライヴを行う予定はありますか?

ジ・エンド・マシーンとしてストリーミング・ライヴをやりたいと考えているんだ。ファースト・アルバム『ジ・エンド・マシーン』(2019)を発表したときに3回だけライヴをやって、手応えを感じていたからね。すごく楽しかったし、バンドに対する情熱に火をつけてくれた。セカンド・アルバムを作ることにしたのは、そのときの興奮があったからだよ。

●ジ・エンド・マシーンのライヴではどんな曲をプレイしたのですか?

ファースト・アルバムから5曲ぐらい、それからドッケンやリンチ・モブの曲をプレイした。「イントゥ・ザ・ファイア」「トゥース・アンド・ネイル」とかね。ドッケンの曲をプレイすることには抵抗がないよ。クイーンの「タイ・ユア・マザー・ダウン」もプレイして、とにかく楽しかった。

●レブ・ビーチ、ロビン・マッコーリー、マット・スターとのバンド、ブラック・スワンでアルバム『シェイク・ザ・ワールド』(2020)を発表しましたが、そちらはもう一段落でしょうか?

いや、1月からレブ・ビーチとニュー・アルバム用の曲を書き始めるよ。みんな忙しいし、発売は2022年になりそうだけど、レブと俺のパートナーシップはいつだって良い結果を生み出すし、自分でもすごくエキサイトしている。

Jeff Pilson live with Foreigner / courtesy of Jeff Pilson
Jeff Pilson live with Foreigner / courtesy of Jeff Pilson

<スターシップfeaturingミッキー・トーマスでの活動は最高のスリルを感じた>

Starship featuring Mickey Thomas『Loveless Fascination』ジャケット(Loud & Proud Records/現在発売中)
Starship featuring Mickey Thomas『Loveless Fascination』ジャケット(Loud & Proud Records/現在発売中)

●それでは、あなたの過去のキャリアについて教えて下さい。

うん、覚えていることだったら答えるよ(笑)!

●スターシップfeaturingミッキー・トーマスのアルバム『Loveless Fascination』(2013)をプロデュース、大半の曲を書いていますが、あなたのキャリアにおいて決して正当な評価を得ていないのが残念です。

そうなんだよ!『Loveless Fascination』はほとんどプロモーションもされずに、存在すら知らない人も多いんだ。全面的に関わった作品だし、良い曲がたくさん入っていて、すごく誇りにしている。もっと大勢の人が聴いてくれたら嬉しいね。

●「How Do You Sleep」などは1980年代だったら全米トップ40に入ってもおかしくない秀曲だし、多大な貢献をしていることで“スターシップfeaturingジェフ・ピルソン”というバンド名でもおかしくなかったのでは?

ハハハ、有り難う(笑)。でも、やはりミッキー・トーマスの歌声があってのスターシップだからね。俺が出しゃばるつもりはないよ。ミッキーはシンガーとしても人物としても素晴らしい。『Loveless Fascination』の曲の多くは、彼と2人で作ったんだ。常にインスピレーションに満ちていたし、すごく楽しい経験だった。俺はバンドの一員であるのも好きだけど、1人のシンガーのために曲を書いてプロデュースするのも好きなんだ。『Loveless Fascination』ではギター・ソロも弾いている。珍しい経験だし、最高のスリルを感じたよ。

●ジェファーソン・エアプレイン〜ジェファーソン・スターシップ〜スターシップの歴史と伝統は、どの程度意識していましたか?

正直ジェファーソン・エアプレイン時代の「ホワイト・ラビット」「あなただけを Somebody To Love」みたいな曲は意識していなかった。でも1980年代の「シスコはロック・シティ We Built This City」「セーラ」みたいなスタイルを踏襲することは意識していたよ。俺はスターシップの音楽が好きだったし、ああいうタイプの曲を書くのは自然なことだった。「It's Not the Same as Love」のコーラスは元々、俺が1970年代に書いたものだったんだ。ジェファーソン・スターシップのマーティ・バリンとのプロジェクトのために書いた曲だった。『Rock Justice』というロック・ミュージカル向けの曲だよ。マーティは気に入ってくれたけど、当時は使われなかったんだ。スターシップでミッキーと一緒にやることになったとき、そのコーラスを思い出した。彼の声質にピッタリだし、面白い因縁があると思ったよ。ミッキーとはまたやろうと話しているんだ。でも、やるんだったらレコード会社のサポートが必要だ。だから時間を見つけてデモを作って、どこかと契約することになるだろうね。

<マッコーリー・シェンカー・グループではミュージシャンとして成長することが出来た>

McAuley Schenker Group『M.S.G.』ジャケット(ユニバーサルミュージック/現在発売中)
McAuley Schenker Group『M.S.G.』ジャケット(ユニバーサルミュージック/現在発売中)

●あなたはマッコーリー・シェンカー・グループのアルバム『M.S.G.』(1991)でプレイしましたが、その後、マイケル・シェンカーはアコースティック路線に向かっていきました。それにはどんな事情があったのですか?

俺とドラマーのジェイムズ・コタックはクリエイティヴな過程に関わっていなかったけど、バンドの一員だった。マイケルは俺のギター・ヒーローの1人だし、『M.S.G.』に参加することが出来たのは貴重な経験だったよ。マイケルがアコースティックに進んだきっかけについて、彼と話したわけではないから、事情は判らない。当時“アンプラグド”が流行っていたんだ。マイケルは決してトレンドに流されるタイプではないけど、アコースティック・ギターからインスピレーションを得たんだろうね。アルバムを発表してからマイケルとロビンはシャーク・アイランドのスペンサー・サーコムズをリズム・ギタリストに迎えてアコースティック・ライヴをやるようになった。それからスペンサーが何かの理由で抜けることになって、俺に声がかかったんだ。かなり急な話で、ライヴ・セットの全曲を3日で弾けるようになる必要があった。クレイジーだったよ。結局リハーサルを1回やっただけで、ステージに立つことになったんだ。大変だったけど、すごく楽しかったし、ミュージシャンとして成長することが出来た。

●マイケルとの共演で、どんなことを学びましたか?

俺は大半の曲で12弦ギターを弾いていたんだ。マイケル・シェンカーからギターを教わってギャラが出るという有り難い状況だったんだよ(笑)。ロビンの後ろでハーモニーを歌う必要もあったし、有意義なチャレンジの連続だった。ロビンとは今でもブラック・スワンでやっているし、友達だ。彼の結婚式で介添人をやったほどだよ。マイケルのことも大好きだ。しばらく一緒にやっていないけど、声をかけてもらえたら飛んでいくよ。マッコーリー・シェンカー・グループが解散した内部事情は判らないんだ。日本公演が決まっていたのに、何かの理由で中止になった。マイケルの健康か精神状態によるものだったと思う。このバンドで初めてのエレクトリック形式でのツアーだったし、ガッカリしたのを覚えているよ。ドッケンでライヴ・アルバム『ビースト・フロム・ジ・イースト(ライヴ・イン・ジャパン)』(1988)をレコーディングしたり、日本には素晴らしい思い出があったからね。

後編記事ではさらにドッケン、そしてディオでの知られざるエピソードをジェフに語ってもらおう。

LIMITED EDITION FOREIGNER CREW MERCHANDISE

(収益はすべてフォリナーのクルーに寄付されます。アメリカ/カナダのみ出荷の商品もあるので、サイトの詳細をご確認下さい)

https://store.foreigneronline.com/dept/foreigner-crew

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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