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ジェフ・ピルソンが語るドッケン、ディオ【後編】

山崎智之音楽ライター
Jeff Pilson / photo by Gina Hyams

ジェフ・ピルソンへのインタビュー、全2回の後編。

前編記事ではジェフのフォリナー、スターシップ、マッコーリー・シェンカー・グループでの活動について語ってもらったが、今回はドッケンとディオでの思い出について訊いてみよう。

なお新型コロナウィルスの余波でフォリナーのツアーが中止となったため、バンドの公式サイトで限定マーチャンダイズを販売。収益を全額クルーに寄付することにしている。

(https://store.foreigneronline.com/dept/foreigner-crew)

<ロニー・ジェイムズ・ディオが庭のスプリンクラーを修理してくれた>

ディオ『ストレンジ・ハイウェイズ』ジャケット(ユニバーサルミュージック/現在発売中)
ディオ『ストレンジ・ハイウェイズ』ジャケット(ユニバーサルミュージック/現在発売中)

●あなたはディオの『ストレンジ・ハイウェイズ』(1993)、『アングリー・マシーンズ』(1996)、『マスター・オブ・ザ・ムーン』(2004)という3枚のアルバムに参加しましたが、ロニー・ジェイムズ・ディオとはどのように知り合ったのですか?

ロニーと初めて会ったのはドッケンに加入する前、1982年のロサンゼルスだったと思う。何かのパーティーで、彼は既にハード・ロックの“神”だったから、すごく緊張したのを覚えているよ。その後、ドッケンは1983年、1984年、1985年と3回、ディオのツアーでオープニング・アクトを務めたんだ。ドラマーのヴィニー・アピスは今でも親しい友人だよ。

●ディオにはどのようにして加入したのですか?

ロニーとヴィニーは一時ブラック・サバスに復帰して『ディヒューマナイザー』(1992)を作ったけど、アルバム1枚とツアーだけで再脱退して、ディオを復活させることにしたんだ。当初、彼らは初代ベーシストのジミー・ベインとリハーサルしていた。で、ある日、俺は自宅にいたんだ。そしたら玄関の呼び鈴が鳴って、出てみたらロニーとヴィニーがいた。「ジミーがリハーサルに来ないんだ。誰かベースを弾いてくれる人はいないかな?」と言うから、「俺が弾くよ!」と答えた。ただひとつだけ問題があったんだ。その日、庭のスプリンクラーが壊れたから修理業者を呼んで、家にいなければならなかったんだよ。そうしたら彼ら2人が「ちょっと見せてみなよ」と言って、その場で修理してくれた(笑)!それで彼らのリハーサル・スペースに行って、俺はディオのメンバーになったわけだ。

●...すごいエピソードですね。

ディオは最高のバンドだったよ。彼らと友達になったというだけでなく、音楽的にも世界中のあらゆるバンドを蹴散らすパワーがあったんだ。『ストレンジ・ハイウェイズ』は作っていて本当に楽しかった。1980年代とは異なる、新時代のディオ・サウンドを作ろうと、全員の気合いが入っていたんだ。

●ロニーが2010年に亡くなって、元メンバー達がラスト・イン・ラインとディオ・ディサイプルズというふたつのトリビュート・バンドを結成しました。両バンドは時に反目しあうこともありましたが、あなたはアルバム『ヘヴィ・クラウン』(2016)をプロデュースするなど、ラスト・イン・ライン側に肩入れしていたのでしょうか?

俺は両陣営と親しかったし、どちらか片方に付くことはなかったよ。ディオ・ディサイプルズもアルバムを作ることになっていて、俺も数曲を提供したんだ。残念ながらアルバムは正式にはレコーディングしていないみたいだけどね。『ヘヴィ・クラウン』をプロデュースするのは素晴らしい経験だった。ヴィニーとジミー、それからヴィヴィアン・キャンベルは親しい友人だし、アンドリュー・フリーマンは素晴らしいシンガーだ。自分がプレイせず、プロデュースに専念する機会は少ないし、貴重だった。

●ロニーとジミーは亡くなってしまいましたが、ロサンゼルスの“フォレスト・ローン”墓地には2人のお墓がすぐ近くにありますね。

うん、あとモーターヘッドのレミーのお墓も同じ墓地だよね。ロニーの奥さんだったウェンディ・ディオが3人のお墓を手配したんじゃないかな?レミーは一人暮らしだったしね。その話をウェンディとしたわけではないし、実際のところは知らないけど...。

●あなたはレミーとは面識がありましたか?

LA界隈のロック・ミュージシャンはほぼ全員レミーと面識があったと思う。俺も何度か会ったことがあるし、「よお、どうしてる?」と話すぐらいの関係だったよ。お互いの家を行き来するような親しい仲ではなかったけど、とてもいい人だった。

●ベーシストとしてのレミーをどのように評価しますか?

レミーは世界で1人しかいない。モーターヘッドでの彼のベースは絶対的な個性があったし、バンドの音楽性にピッタリだった。ロック・ミュージックのベースというのは、そうあるべきものなんだよ。俺はメロディックな音楽が好きだし、モーターヘッドの大ファンではなかったけど、レミーのプレイを5秒聴けば「あっ、モーターヘッドだ」と誰でも判るアイデンティティがあった。それは凄いことだと思う。

<ドッケンで最高のラスト・アルバムを作りたい>

ドッケン『リターン・トゥ・ジ・イースト・ライヴ2016』(キングレコード/現在発売中)
ドッケン『リターン・トゥ・ジ・イースト・ライヴ2016』(キングレコード/現在発売中)

●2009年の“ラウド・パーク'09”フェスティバルにドッケンとリンチ・モブが出演して、ドン・ドッケンとジョージ・リンチがハグする感動的な瞬間がありましたが、その後ジョージとあなた、ミック・ブラウンはT&Nを結成してしまいました。2016年にはオリジナル編成のドッケンを再結成、日本公演を行いましたが、やはりドン抜きでジ・エンド・マシーンを結成しています。毎回“3人+ドン”という図式になってしまうのは何故でしょうか?

意図してドンをのけ者にしたことは一度もないんだ。彼がいつの間にか離れてしまうんだよ。2016年にドッケンで日本公演を行った後、スタジオで新曲「ジャスト・アナザー・デイ」をレコーディングしたんだ。そのときバンドの空気はすごくポジティヴだった。全員がもう1枚、ドッケンとしてのアルバムを作るべきだと確信したと思う。なかなか実現しないけど、最高のラスト・アルバムを作りたいと俺は考えているよ。実はジ・エンド・マシーンもドッケン再結成に繋がる可能性があったんだ。ジョージが書いた曲がドッケンっぽい音楽性だということに気づいた。もちろんレコード会社から要請があったことも事実だけどね。それで実際、ドンに聴かせてみたんだ。「どう?歌ってみない?」と言ったら、「うーん、ゴメン。契約上、“ドッケン”というバンドはひとつしか出来ないんだよ」とか言われた。ただ、永久にやらないとは言っていないし、良い形で別々の道を行くことになったから、タイミングさえ合えば、いつか再結成することは可能だと信じている。内部のモメ事はもう過去のことだし、フレンドリーにやっていけるんじゃないかな。あとはミック・ブラウンを引退から引っ張り出すことが出来たら黄金ラインアップの4人が揃うけど、彼とは音楽を超えた友人だし、無理強いはしたくないんだ。それでもドンとジョージ、そして俺の3人が再合体すれば、きっと良いアルバムを作ることが出来るだろうし、ライヴもやりたいね。

●ジョージとドンの不仲説は1980年代の音楽マスコミを騒がせましたが、どこまでが事実で、どこまでが話題作りだったのでしょうか?

決してヤラセではなかったよ。ドンとジョージは...まあ、ベスト・フレンドではなかった。ただ、それがマスコミによって誇張されたことは事実だ。インタビュアーが「ドンがこんなことを言っていましたよ」と煽ると、ジョージが「あいつの方がロクデナシだ」とやり返す。その連続だったんだ。他のバンドと較べて、ドッケンの人間関係がそれほど酷かったかというと、そうでもなかったと思う。ただ俺たちの場合、すべてを包み隠さず公にしていたんだ。振り返ってみると、そうするべきではなかったかも知れない。『トゥース・アンド・ネイル』の頃、最初に雇ったパブリシストがバンドのキャラ付けとして、不仲ネタを選んだんだよ。どんなことでもマスコミが書き立てれば、レコードが売れるからってね。

●ドッケンではあなたがドンとジョージの仲裁役というイメージがありましたが、実際にそうだったのでしょうか?

それも決してウソではない。彼らがコミュニケーションを取りたがらないから、俺が2人の間を行ったり来たりしていたのは事実だ。でも悪口とか人格攻撃はなくて、音楽についての意見の交換だったよ。

Jeff Pilson live with Foreigner / courtesy of Jeff Pilson
Jeff Pilson live with Foreigner / courtesy of Jeff Pilson

<共演してみたいミュージシャンは...?>

●あなたが1970年代から常にロック界の最前線で活動することが出来た秘訣は何でしょうか?

可能な限り高いレベルのミュージシャンと交流することだね。ドッケンやミッキー・トーマス、ロニー・ジェイムズ・ディオ、マイケル・シェンカーなどに共通しているのは、とてつもなく高度なミュージシャンシップを持っていることだ。彼らと一緒にやるには、音楽に対してひたむきである必要がある。でないと置いていかれてしまうよ。彼らが俺をベーシストやプロデューサーとして起用してくれるのは、音楽に対して限りない愛情があるからだ。だから全霊を込めてハードに働くんだよ。プロデューサーとして仕事するときは、アーティストをリラックスさせて、実力を100%発揮させることを優先する。スターシップfeaturingミッキー・トーマスのアルバムでは、ミッキーに楽しんでもらいたかったんだ。

●フォリナーはもちろんですが、ジ・エンド・マシーンとブラック・スワン以外に、現在進行しているバンド/プロジェクトはありますか?

元ガンズ&ローゼズのスティーヴン・アドラーと一緒にやっているよ。シンガーはアリ・ケイミンという若手で、素晴らしい声をしている。ちょっとアクセル・ローズっぽい声質で、アルバムのスタイルにピッタリなんだ。アリがアルゼンチン在住で、COVID-19のせいで行き来が出来なくて、なかなか作業が進まないけど、良い曲が揃っているよ。インターネット経由でトラックをやり取りしながらアルバムを作っていくかも知れない。スティーヴンのバンド、アドラーの『Back From The Dead』(2013)を俺がプロデュースして、それから友達なんだ。今回のバンド名がアドラーになるかアドラーズ・アペタイトになるか判らないけど、良いアルバムだから期待して欲しいね。

●あなたはあらゆるトップ・ミュージシャンと共演してきましたが、まだ共演したことがなくて、やってみたい人はいますか?

ポール・マッカートニーとぜひやってみたいね!それからリンゴ・スター。ハード・ロック界だったらトニー・アイオミとギーザー・バトラーとやりたいな。それからもちろんジミー・ペイジ。一生の夢だよ。

LIMITED EDITION FOREIGNER CREW MERCHANDISE

(収益はすべてフォリナーのクルーに寄付されます。アメリカ/カナダのみ出荷の商品もあるので、サイトの詳細をご確認下さい)

https://store.foreigneronline.com/dept/foreigner-crew

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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